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【実話】寝る前の潜在意識アクセスで起きた…覚醒体験とインナーチャイルド解放

 

この記事は、筆者がいわゆる「覚醒体験」のような非常に不思議な体験をした記録です。

「覚醒体験」は「一瞥(いちべつ)体験」ともいわれ、一瞬だけの意識の波のようなものだとされています。

いろいろと解釈は異なるようで私自身スピリチュアルの知識も浅いのですが、個人的に自分にとって非常に重要な体験で、生きてきた中でいちばん不思議な感覚に陥ったので、書き残しておこうと思います。

 

半年前から、寝る前の瞑想で潜在意識と繋がっていた

私は、スピリチュアルカウンセラーでもヒーラーでもない、ただの物書きです。

日々パソコンの画面とにらめっこ。運動不足だし嫌なことがあるとすぐにお酒に逃げるし、忙しいときはご飯も食べないしでまぁ不健康な人間です。

なので、自然と調和するために……とか、宇宙の意識で……とかそういったスピリチュアル的な実践や訓練をしているということはまったくありません。

ただし興味は比較的あるほうで、今までにも、日常で不思議な体験や怖い体験をしたこと何度かありました。

 

また、毎日「瞑想」もどき的なことをやっていました。寝る前に、深い腹式呼吸をして、全身の筋肉を緩めるというだけ。

とにかく仕事で脳が疲れるので、頭を空っぽにして少しでも眠りをよくすしたいという、ほとんどそのためだけにやっていました。また、自分の過去のトラウマ整理のようなことも意識したことがありました。

 

つまり、寝る前に潜在意識へのアクセス的なことをやっていたのです。

ここでは、寝る前の潜在意識活性化からの「覚醒体験」について記録しておこうと思います。

 

潜在意識とトラウマ

その前に、私の内面的なことを少しお話しておきます。この覚醒体験にとても深く関係するので、退屈かもわかりませんが少しお付き合いくださいね。

私は「自分のことが嫌い」ということに悩まされてきました。

幼少期から思春期にかけて、私の育った家庭の中はぐちゃぐちゃでした。母からはしつけの一環である体罰や暴言、そして過干渉を受け、15歳でうつ状態、適応障害、PTSDの診断を受けています。

今は回復して、普通に生活をしているのですが、いろいろとめんどくさくてしんどい性格で日々悩んでばかり。ただ、年を重ねたことや、心理的な知識を得たこと、よき理解者に恵まれたことで疾患的なものはほぼ回復しています。

母はとにかく、自分が不安になると私を攻撃する人でした。自分がどうしていいか不安になったり、他人からどう見られるか不安なときに、私を攻撃してしまうのです。そして、何時間か暴れて気が済むと、私を抱きしめたりご褒美をくれたりします。愛情はあるけど、自己コントロールができずに取り乱してしまうというタイプです。

虐待やDVなどいろいろな言い方をされますが、私としてはマルトリートメント(不適切な養育)という言葉がいちばん適切なのではないかなと思っています。親の加害意識は関係なしに、子供の脳に悪い影響を与えるのがマルトリートメントというものです。

物質や金銭的にも恵まれていましたが、その恵まれた環境を作るために両親は働きづめ。また、やはり母から受ける暴力や暴言の影響で長年苦しんできたことは事実で、それを原体験として発信をしてきました。

でも、心のどこかに「私が悪い」「すべては自分の甘え」という思いがずっと消えませんでした。
母が怒り狂うスイッチの理由が、今でも心のどこかでは理解できないまま。慎重に言葉を選び、自分の話を極力避けて、相手が望む自分を演じるということを無意識に続けていました。

すべては「私が悪いから」です。私が何か余計なことをしたり、気が利かなかったり、バカなことをしたからそうなった、という理屈が根底にあって、それが今でも消えないのです。

さらにそれを「母が悪い」ことにしている自分が許せなくて、ずっと悩んでいました。両親のことは許せても、自分のことは許せないまま……ということです。

「本当は自分が悪いのに、それを愛をもって殴って教えてくれた母のせいにする最低な自分」がいるんです。

その自分を許せないくせに、すべてを許したふりをして記事を書いたり、本を書いたりしていることに罪を感じていました。なんだか、何週も裏側に回り過ぎて意味がわかりませんよね(笑)

潜在意識へのアクセスが容易にできるようになっていた

半年ほど前から、寝る前に潜在意識へのアクセスを実践していました。最初に言ったように、仕事や生活で疲れた脳を空っぽにするためです。

軽い瞑想のような感じで、腹式深呼吸と緊張を解すということだけ。

ただしその少し前に、退行催眠を独自でやったり、トラウマ解放ワーク的なものをやったことが何度かあります。

私は催眠にかかりやすい体質のようでした。

誘導音声にあわせた催眠を何度かしただけで、次からは横になって深呼吸をするだけで軽い催眠状態に入れるようになっていました。

催眠状態を専門の方に確認してもらったわけではないので、確実ではありません。でも、そのときは決まっておでこのあたりがジリジリして、瞼がグーーーっと閉じる感覚があります。そして、身体が完全に脱力するのがわかるといった感じです。

ちなみに、退行催眠では産まれたときの感覚が毎回はっきりとわかります。

帝王切開で、胸と脇の下に手を入れられて持ち上げられる感覚や、息ができない感覚、真っ暗なところから明るいところへ出る感覚が毎回、はっきりとわかるのです。

思い出すのではなく、実際に息が止まり、上半身が上に引っ張られ、明るくなったところで息をはぁっと吹き返します。

つまりこれは、潜在意識へのアクセスが簡単にできる状態でもあったのかな、と思っています。

覚醒体験の直前

覚醒体験の半年ほど前、催眠や瞑想をし始めた4月ころからでしょうか……普段の仕事はライター業ですが、それに加えて2児の子育て、PTA役員の仕事がはじまり、自治会の仕事、さらに書籍の執筆がはじまり、本当に忙しかったです。

忙しいというのは、ある種自分が望んでそうしているところもありました。忙しくしていることで、何かを埋めようとしていた感じがあります。

「何も考えず、好きなことをしてお気楽に過ごす」ということは、完全にできなくなっていました。

ガチガチに固まった毎日を作ること、そしてそれをこなせる自分を演じることで安心しようとしていたところがあったように思います。

そして、夏ごろから少しずつメンタルがきつくなってきます。自意識の中に入り込みやすくなり「自分とは何か」「自分は何がしたいのか」「自分の価値とは何か」ということばかり考えるようになりました。

本を書いていても、記事を書いていても「自分がこんなことを書いていいのか」「こんな自分が何を書いてもゴミにしかならない」という思いが頭の中をかすめるんですね。

もちろん、報酬をもらったり、読者の方からの声を聞くことで「できているんだろう」という感覚や、感謝の気持ちはありました。

でも、いくら褒められてもそれを素直に受けとめられない気持ちや、温かい言葉や褒め言葉がすべて頭の中で反響してすぐに消えるという感覚に悩んでいました。

つまり、自分だけが自分を認めず「許さない」し、本質的には「できていない」という気持ちが眠っていたので、他の誰の言葉も浸透しないのです。

しまいには「自分で自分を認めないのが、私の唯一の価値」「自分を許さないのが謙虚さ」「自分にはそれしかない」とまで思うようになっていました。自分への怒りや自分を許せない感覚が強まり過ぎて、完全にこじらせていたのです。

そして、覚醒体験をする直前。10月2日。予定していた電話取材をお断りし、原稿の編集を2本だけやったら後はもう何もできなくなりました。

普段そこまでメンタルを弱らせることはないのですが、完全なうつ状態になりました。単純に身体が疲れていたのと、自意識に入りすぎたことも原因でしょう。

身体が震えて手の汗が引かず、眠ろうとすると何かに飲み込まれるような怖さを感じ……体もおかしかったように思います。

なんてことのない仕事関係のメールのやり取りが「おまえ迷惑なんだよ」という言葉に聞こえ、夫が「これ俺のお弁当?」と言っただけで「こんなのが弁当なのかよ」という言葉に聞こえる。なぜかわからないけど、1日中泣いていました。

ネガティブなものへの感受性がむき出しになったような感じで、何を言われてもグサッとささる。さらには9ヶ月間出ていなかったPTSDのフラッシュバックも起こして、自分のメンタルはとにかく危ないと自覚できるところまできました。

翌日3日は、あらゆる連絡を経ち、仕事はもちろんおやすみ。必要最低限の家事のみして、それ以外はずっと眠りました。「人間ってこんなに眠れるのかよ!」と思うほど寝ると、なんとか普通に生活できるところまで浮き上がってきました。

その後、このメディアの編集長と話をしました。彼女が自分の体験を話してくれたり、私ががものを書いて発信する事に怖さを感じたりといった、自意識的なものを外に向けるための話……といった感じでしょうか。これも、私の心をかなり軽くしてくれた要因です。

そして、その日は数日ぶりに瞑想をして寝ようとしたわけですが……そこで覚醒体験が起こったのです。

眩しい光・走馬灯・自分の声・インナーチャイルドの解放

いつものように軽い催眠状態に入ったな、と思い、その日はヒプノセラピーでよく実践される「呼吸を吸うときに美しいエネルギーを取り込むイメージ」と「吐くときにネガティブなものを吐き出すイメージ」を、なんとなくやってみました。

いつもそこまではしないのですが、なんとなく思い出してやってみたんです。

 

その瞬間。

自分の中に「青」と「水色」と「白」がごちゃまぜになった、眩しい光がぶあぁぁぁ!と流れるのが見え始めました。

その光の流れ方は非常に高速で、とにかく「ぶああぁぁぁ!」とか「だぁぁぁぁ!」という表現しかできません。しいて例えるなら、流星群のような感じでしょうか。(流星群を見たことないんで、あくまでもイメージです)

そして、そのあとに自分の過去の記憶が走馬灯のように蘇ります。

蘇る、というよりも「自分の過去のどこにでも、自由自在に行ける」という感じ。

そして、やはりそれはかなりの高速移動です。ロケットみたいなものに乗って、しゅーーーーん!と移動しているような感じ。「小学〇年生」「幼稚園年中」「3歳」とか、自分が思いつく年代に、どこでも走っていくことができました。

そして、その走馬灯が再生される中、私自身の声とも意識ともつかない何かが

「全部あっていい」「全部あっていい」

という声がするんです。

言い聞かせるとか、誰かの声がするとか、そういうんじゃなく、自分の中から沸いて溢れ出てくるように

「全部あっていいんだよーー!全部だよ!全部!」と、私が勝手に言ってるんです。

そして気がつくとボロボロに泣いていました。子供の頃のブスだけどかわいい私が出てきて、今の私が子供の私のそばにいって「〇〇ちゃん」と話しかけていました。

そして最後に、私がすっかり忘れていた2~3歳の頃の自分がでてきました。

テーブルの上に乗って歌ったり踊ったりして、カーテンの影に隠れてバッと出てきたりするんです。

「あぁ、私ってこういう人だったよな」と、ふと思いました。

 

これはたぶん、インナーチャイルドの解放です。

 

私がいままでどうしても言えなかったこと、そして理解できなかったのが「全部あっていい」とか「そのままでいい」という言葉だったんですよね。

かなり深い意識に入っていたようで、催眠から覚めるのに時間がかかりなかなか身体が動きませんでした。

覚醒体験、インナーチャイルドの解放後……

この次の日、明らかに気持ちが安定していました。見えるものがすべて素晴らしいというか、愛おしいというか……なんかつるんとむけたゆで卵みたいな感情で過ごしました。信じてもらえなそうな気がしているくらい、ありがちな結末です。

ただ、本当に朝起きたときの「しんどい自分を抱える感じ」がない。今まで真正面から対峙できなかった、太陽みたいな人とも自然に話すことができちゃったりして、なんだか不思議です。

もちろん、忙しい毎日は変わらないし、意識や表情などが劇的に変わったわけではありません。

でも心のどこかに「自分はぜったいに大丈夫なんだ」という確信みたいなものがあるんです。今も、この文章を書いていてすごく自然です。今までは、自分の体験を書くと命を削られたような消耗する感じがあったのですが、今これを書いていて非常に軽やかで楽しいです。

ただ、このときはこれが覚醒体験だとは別に思っていなくて「あれはいったい何だったのかな」と、軽く興奮しているような感じでした。

 

そこで、ネットで「催眠」「走馬灯」などと検索して出てきたのが「覚醒体験」と「一瞥体験」でした。

形は色々とあるようですが、似たような経験をしている方がたくさんいるようです。

その中には、やはりわたしと同じようにメンタルが極限まで落ちているときに、突然不思議な光景が表れて、大事なことに気づく……というパターンで一致する体験談がありました。

その方の体験談は、まさに自分の状況と同じで「仕事以外のことを考えられない」とか「楽しむこと」や「ゆるむこと」ができない時期が続いたと書かれていて、この体験の後はすべてが素晴らしく、尊く思えるというところまで一致します。

覚醒体験や一瞥体験というのは、悟りの境地に辿り着いたとか、そういう大それたことではありません。一時的に何か大切なことに気づいて、軽くなる。またしばらくするとこの感覚が薄れることもあるようで、あくまでも一時的な解放といった感じだそうです。

覚醒体験は、寝る前の潜在意識アクセスだけでなく、天体も関係しているかも

実は、私の生活がギチギチになり始めたのは「冥王星の逆行」が始まったころでした。

実際の宇宙の星の動きは、人の生活にダイレクトな影響を与えるものです。占星術(ホロスコープ)の世界では、このとき冥王星の逆行が終わるとい話題で賑わっていました。

冥王星は「世代」の特性を表す星だとされています。世代間連鎖や、社会のあり方について根本から変えるという力をもった星といわれているようです。

1年の間に5ヶ月間かけてゆっくり移動するため、この逆行している期間は「今までのあり方を見直す」ことや「私たちは何のために存在するのか」などを見直すときなんだそう。

まさに、私は「自分とはなんなのか」「自分は何がしたいのか」「自分の価値とは何か」について考え過ぎて、おかしくなりかけていたんですよね。

冥王星は2019年4月25日から逆行を初めて、順行にもどったのがなんと10月3日。(読む方によって日にちが若干異なっているようで、10月1日という記事もありました)

私がうつ状態になったのも、10月3日。時期がピタリと重なります。

結論として、冥王星の逆行は何を意味していたかというと「カルマの再確認」でした。

カルマについて色々読んでみると

・できない
・なれない
・許せない

がテーマだということもわかりました。

これはもう、私の中で「自分を許すときがきた」としか思えませんし、実際に今とても身軽な気持ちです。

自然の摂理に反していることを隠すためにいろいろな嘘をついて、それが「発信する恐怖」になっていたんです。嘘を垂れ流しているのと同じだったのかもしれないな、と思ったわけです。

でも、だからといって「今まで書いてきた記事や書籍を消してしまいたい!」という衝動には駆られません。今までだったらそう思ったでしょう。今より過去のものはすべて恥ずかしいし間違いだという気持ちが、以前は強くありました。

しかし今は、自分がどんなに嘘をついていたとしても、自分を隠して偽っていたとしても、過去は過去だと思えています。

 

だって、すべてあっていいということがわかったからです。嘘をついていたことも、自分を許せないまま偽っていたことも、全部あってよかったなと、本当に思えるんですよね。

また、2人の子供の横に、幼いときの自分が座っているのをイメージできるようになりました。私が座っているところに、子供のときの自分が寄ってくる、そして話しかけることができるような感覚も得ました。

だからといって、何か変わるわけでもなさそうです。

ただ、毎日を楽しく生きること以外に何も大事なことはない、ただ今生きているだけで嬉しいと、何の疑問もなく感じられます。

また、くだらないことで悩む日がきっとくるんでしょうけど、なんだかそれも楽しみというか、それも「大切だな」と思えます。

すべてが私の頭の中だけで起こったことなので、真実でもないし、幻想かもしれません。

でも、そもそもこの世の中はすべて幻想であり、自分が感じることがすべて。

「全部あっていい」ということがわかった体験でした。/夏野 新

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