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罪悪感の脅威とは?常にうしろめたさを感じている人へ

あなたは、常に「うしろめたさ」を抱えながら生活していませんか

現代の悩める人々は自己固定感の低さ、自信のなさといったものが多く挙げられますが、こういったものを自覚している人の多くは「罪悪感」と共に生きていることが多いです。

罪悪感とは、例えば自分が本当に悪いことをしたときや、隠し事をしているときなどには当然湧いてくるものです。しかし、自分の中だけの価値観で「いい」「悪い」を決めて、持たなくてもいい罪悪感に駆られている人が非常に多いと感じます。

筆者も、罪悪感という荷物を背負いながら日々暮らしています。

罪悪感って、例えばどんなときに感じますか?

あなたは、どんなときに「うしろめたい」と感じるでしょうか。

筆者の体感としては、自分で自覚できることの5倍以上は罪悪感に支配されていると思っています。自分でも気がつかない精神的ストレスは、無意識の罪悪感からきている場合があるのです。

「やるべきことをしなかった」ときの罪悪感

やるべきことをしなかった、できなかったときには、罪悪感を感じやすいですよね。

  • 朝予定の時刻に起きられなかった
  • 仕事中、上司に報告すべきことがあったのに言えなかった
  • 今日はここまでやろうと思った作業が終わらなかった
  • いつものルーティンになっていることをしなかった

こんな風に「本当ならやるべきこと(自分の中だけで決めていることも含め)」をしなかったときは、罪悪感をもちやすくなります。単純に自分の悪かった点や落ち度、ということではなく「自分に課したものを達成できなかった」ときにもつ罪悪感です。

「悪いことをした」ときの罪悪感

悪いことをしてしまった、という罪悪感も当然あります。

  • 他人の悪口を言ってしまった
  • 誰かのことを「嫌い」と感じてしまった
  • 甘い食べ物やお酒、たばこなどの嗜好品に走ってしまう
  • お金をたくさん使ってしまった
  • 口実を作って仕事を休んでしまった

このように「やってはいけない(と思っていること)」をした、という罪悪感も日常的に感じやすいです。しかし、これらの内容をひとつずつ考えてみると、特別に他人に迷惑がかかるものとは限りません。本来なら、罪の意識を感じる必要などないことばかりです。

つまり、ジワジワと感じてストレスになる罪悪感というのはすべてが「自分の中だけで湧いて出てくる罪悪感」であり、他人にはほとんどわからないものです

自分が無関係なことにも罪悪感を持つ

罪悪感に苦しめらている人は、自分に直接関係ないことにも罪悪感をもちます。

  • 災害があったときに、自分は元気にのほほんと過ごしている
  • 親しい友人知人の不幸を知ったあと、自分が楽しい時間を過ごしている
  • 自分よりも大変な状況で暮らす人がいるのに、自分は小さなことで悩んでいる
  • 不機嫌な人がいると「もしかして自分のせいで……」と勘ぐってしまう
  • ケンカが起こると「仲裁できない自分が悪いのでは」と思う

自分は直接的に関係なくても「自分の立場」と「他人の立場」を天秤にかけたり、役に立てないことへの憤りが罪悪感として残り、常になにごとも楽しめないという状況に陥っている人は少なくありません

自覚できるものの、5倍くらいは罪悪感に支配されている

先ほど挙げた「自分には直接関係ないのに、罪悪感を感じる」というパターンが多い人は、おそらく自分で自覚できる事柄の5倍くらいは罪悪感に支配されているかもしれません。

罪悪感は、自分の潜在意識の中に蓄積されたもので、ほとんど無意識の思考パターンです

だから、表面的には「自分は今、幸せだ」を思っているような気がしても、実は心の奥底では「自分が幸せでいるなんて、申し訳ない」「自分が心から楽しんでしまうなんて、お門違いだ」というように「幸せでいること」「楽しむこと」を常に罪だと切り捨てている部分があるのです。

罪悪感がもたらす脅威とは?

罪悪感は、自分の中だけで抱えているものだと思いがちですが、実は周囲の人にも伝わっていたり、伝線して作用してしまうことがあります。

自罰的な考えや、自信のなさは、周囲の人に伝わる

罪悪感を抱えたまま人に接すると、相手もそっくりそのまま同じように罪悪感を抱くことがあります。

例えば…

  • こんな私があなたの恋人でごめんね
  • 自分なんかが注目されるのは申し訳ない
  • ダメな私が母親で申し訳ない

こういった「罪悪感」は、相手に伝線して同じような気持ちを植え付けてしまいやすいのです。

  • 恋人を幸せにしてあげられない
  • 自分の好意や応援が伝わらなかった
  • 母親を喜ばせることができなくてつらい

自分が楽しんでいないと、周囲も楽しむことができない。自分が喜んでいないと、人を喜ばせることができない。自分自身のことを愛することができないと、他人のことも愛せない……

こんな言葉の裏には「罪悪感」が伝線していることが原因である場合が多いのです。

逆の立場になって考えてみる

あなたが罪悪感にさいなまれてしまうときには、逆の立場になって考えてみることをおすすめします。

例えば、あなたが「こんな私が恋人で申し訳ない」という気持ちを持ってしまうのなら、逆に自分の恋人があなたに対して常に「ごめんね」「もうしわけない」という思いを抱えていたらどう感じるか考えてみましょう。

自分としては、相手を最愛の人と思っているのに、相手は「こんな自分で申し訳ない」と罪を感じているなんて、かなり苦しいですよね

「申し訳ない」「ごめんね」という言葉は、その言葉を言ったり感じたりされるだけで「自分は可哀想なのだ」「自分は被害者なのだ」という感覚を与えてしまうのです。

罪悪感が強い人ほど、裏表を使い分けて消耗する

罪悪感が強い人は、裏表を使い分けてしまいやすい傾向にあります

誰しも、表向きの顔だけでなく、自分だけしか知らない一面や、親しい間柄の人にしか見せない顔があるものです。

しかし、常に後ろめたさを感じている人は、その罪の意識から「表向きを必死に取り繕おう」とすることがあります。

誰からも感じがよくて真面目で、聡明な印象を人に見せていても、その表向きの顔に疲れたり、他人に嘘をついているような気がすることもあります。これがさらに罪悪感を生み、そのストレスから裏の顔をもつようになります。

人知れずお酒に溺れたり、ネットの中で悪口を吐いて憂さ晴らしをしたり。ひどい場合には、誰にも知られないように犯罪行為に走る人もいます。

事件の犯人についての取材に対して「一見真面目そうで良い人だったのに」という声が多いのも、よく知られていることですね。

裏の顔をもつことでバランスをとろうとするのですが、その裏の顔に対してもまた「他人を騙しているような罪悪感」を重ねてしまうことがあるのです。

罪悪感は、ひとつ生まれるとどんどん連鎖して、罪の意識の塊のようになっていくものです。

罪悪感をもつようになったのはなぜか、振り返ろう

では、なぜこれほどまでに罪悪感にさいなまれてしまうのでしょうか。多くは、育った家庭環境や、親兄弟との関係が強く影響しているかもしれません。

育った家庭の親子関係が「癒着」していませんでしたか?

罪悪感の原因の多くは、親子間の癒着です。

親と子が、別々の人格であり、それぞれの人生を生きているという「自立した関係」がないまま、ずっと育ってきたという節はないでしょうか。

  • 幼少期や思春期に、親の問題を一緒になって考えた
  • 親に全て決められたり、常に口出しされた
  • 親の失敗や怠慢も自分のせいにされた
  • 兄弟げんかの原因をすべて押し付けられた
  • 子供時代にプライバシーがなかった

あくまでも一例ですが、親と子の関係がくっつきすぎている場合、子供は大人になってからも、自分ことと他人のことをすべて一緒くたにしてしまうことがあります。境界の薄さをもいわれ、自分のことと他人のことの区別がつきにくくなっている状態です。

だから、自分とは関係ないことについても「自分のせい」と思ったり、自分が自分の思うままに感じたり、行動したりすることを「罪」と感じてしまうのです。

親が「いい」と言ったことがいいことだと、潜在意識に刷り込まれているので、あなたが自分の中で「いい」と思うことを信じられないので、純粋に「楽しい」「幸せ」という感情に従うことができません。

実は、多くのことを「楽しめていない」ところがありませんか?

楽しむことができない、というも親子間の癒着によって植え付けられたものである恐れがあります。

子供時代、自分自身が「楽しい!」と思っていても、その影には楽しめていない「親」の怒りや不満があったのです。あなたが自然体でいることを否定したり、嫉妬したりして攻撃し、嫌みを言ったりする親は非常に多く、子供を長い期間苦しめます。

常に、苦しい思いをしている方が安心するという節はありませんか

例えば、仕事に没頭して休む間もなく働くという、ワーカホリックなどがそのいい例です。自分のために生きたり、自分が楽しいと思うことをやったとしても、その影には必ず罪悪感がついてきます。その罪悪感を抱くのが嫌でついつい仕事ばかりしてしまったり、自分を労わることなく忙しく過ごしてしまうことも多いです。

また、楽しいことよりも、苦しいことのほうが話しやすいというのも、罪悪感の影響です。嬉しかったことや、楽しかったことは「自分だけ楽しんではいけない」という強迫観念を呼び起こすので、あまり人に話せなくなることがあります。

逆に、苦労したことや嫌な思いをしたことの方が「人に認めてもらえる」という確信が持ちやすいので、話したり、共有することに抵抗がない場合も多いです。

罪悪感による「何事も楽しめない」という感覚は「自分だけが楽しんではいけない」という、子供時代の恐怖が今もなお残っているからかもしれません。

自分は何も悪くない。ひたすらにそう言い聞かせる

罪悪感から逃れるには「自分は悪くない」「自分と他人は違う人間だ」ということをひたすら言い聞かせることにつきます。

自分が感じる罪悪感のパターンや形を、しっかり見つめて分析することも必要です。

おそらくみんな「本当は、自分だけが楽しい!嬉しい!」と感じてもいいということを知っているはずです。ただ、頭ではわかっていても、心の奥底、脳の古くて強い記憶がそうさせているだけなのです

もちろん、カウンセリングやセラピーに通って、自分でも把握しきれない無意識の罪悪感を洗い出すのもいい方法だと思います。とにかく「自分が、自分のために何かを感じる」ということを許していかなければなりません。

今あなたが感じることも、やりたいことも、すべては自分のためでいいのです。あなたは、誰かの影にいるオマケなんかじゃない。あなた自身が「楽しい!」と笑うことが、周りも「楽しい」「嬉しい」と感じることなのです。

 

自分を許すことを、徹底的に考えよう

自分に厳しい人、自罰的な人は、他人から見るとものすごく大きなエネルギーやバイタリティをもっています

その原動力は、確かに罪悪感や「苦しんでこそ、生きている」という実感のようなものかもしれません。

確かに、罪悪感にまみれた言動ばかりでは、人に伝線したり、人に被害者意識を持たせてしまうようなデメリットもつきものです。でも、罪悪感をもっていることをあなたは自覚しているし、それが自分にとっても他者にとっても悪い影響を与えるということも知っているはずなのです。

だからこそ、改善したいと思っているわけですよね。

しかし、罪悪感を抱えやすいために、あなたは自分を成長させて磨き上げてきたという部分は絶対にあると思うのです。自分のことは二の次で、相手のためや誰かのために動くことを「生きがい」としている。

確かにストレスを抱えやすいけれど、そのおかげで何かを成し得たり、誰かを救ってきた部分はあると思います。

でも、やっぱりあなた自身の心が常にないがしろで、乾ききっているのは事実。罪悪感をなくしていく作業はかなり長い道のりで、難しいことかもしれません。しかし「自分に許可を与える」ことや「自分を可愛がる」ということは非常に大事な行為です。

自分の人生を生きるためには、罪悪感を少しずつ捨てて「自分が何を感じるか」「自分が今何をしたいか」という内なる声に耳を傾けましょう。そしてそれを、できる限り肯定して、受け止めてあげてほしいです。/Kandouya編集部

 

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