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「普通」って何だろう?普通という概念を捨てた時、驚くほど世界が広がる

「普通」って何ですか?

この質問に答えられる人は、おそらくこの世にはいない。それでも、生きていると当たり前のように作られている「普通」という概念。人を殺めたり、身勝手な都合で人を貶めたりすることは例外だ。しかしこの「普通」という基準に寄せて生きようと自己を犠牲にしている人が、この世には溢れているはずだ。だから、心を病み、生きる意味や目的を見失い、人を信じられなくなる。

筆者はこの「普通」という言葉がとても嫌いだ。この記事では「普通」という概念をかなぐり捨てて見た時、世界はまるでまったく別のものかのようになった経験を、お話していきたい。

「普通」というものから外れる人は、”厄介者”とされる社会

いつ、どんな場所でも、「普通はわかるでしょう」「普通はできるでしょう」「普通はこう考えるでしょう」という判断基準がある。わざわざパンフレットにして渡したりしなくても、分かって当然、できて当たり前という、もはや”ニュアンス”レベルの話だ。空気感でもう、「普通」というものができている。

  • 人とスムーズに会話やコミュニケーションをできるのが普通だ
  • 相談したり分かり合える友達がいるのが普通だ
  • この年齢ならこれくらいのことはわかっているのが普通だ
  • 20代~30代では、恋愛経験があって普通だ
  • 社会に出て一つの仕事をずっと続けられて当然だ
  • 家庭を持ったら、親は自分を犠牲にするのが普通だ
  • 我が子の事を心から愛せることが普通だ(叱るのが当然の義務だ)
  • 育ててもらった親に恩返しをするのが当たり前だ
  • みんなと同じことを、おとなしくやれる人が普通だ
  • 女は子どもを産み育てるのが普通だ(それを望むのが自然な姿だ)
  • 男は強く、仕事ができて当たり前だ(稼いできてなんぼだ)
  • せめて高校くらいは卒業しているのが普通だ(そうでなければ仕事もできないだろう)

数えだすとキリがないけれど、年齢、性別、環境などで決まって「普通」という概念のもと、枠からはみ出る人を「普通ではないから変わり者。厄介者」とし、枠の中にいる人を「いい人」「普通の人」とする。そして普通であるかどうかが、社会の秩序を保てるかどうかの判断とされていることが多い。しかし、実際はどうだろうか。

本当は「普通」という概念が「1番つまらない」

「みんな違ってみんないい」「十人十色」なんて聞こえがいい言葉だ。実際は、この「みんな違ってみんないい」というものの裏側に、「みんなとは違うけど普通のこともできる人ならいい」という実態が隠されている。変わり者は社会不適合。そう思われた人がどんなに何かを訴えても、正当化しているだけの人間だと、平然とはじき出される現実がある。

ある人は、幼い頃から優しくて、勉強もよくできて、友達もたくさんいます。家族とも仲良しで、小学校、中学校、高校でも真面目で優しく、困った人がいれば手を差し伸べ、大学も目標を持って決めました。人間関係もうまく信頼できる人がたくさんいて、素敵な恋人もできて、浮気や心変わりも一切せず、社会人になるとどんなことにも一生懸命頑張りました。収入も上がり、いい上司や会社に恵まれて、結婚をして家庭を持ちます。かわいい子が産まれ、穏やかに年齢を重ねて、最期は誰からも愛されてこの世を去りました。

これが普通というやつだろうか。だとしたら、世の中は「普通の人」を見つける方が難しい。

もし仮にこの「普通」という人が全員だったとしたら、世界は一色にしかならず、とてもつまらないものになる。驚くようなアイデアを出す人も、創造性の高い芸術も、傷ついた人の心を打つ音楽も、時代の変化も、何もない世の中になる。まるで「良い人間」のクローンのような世界だ。わざわざAIを進化させなくたって、みんなクローンじゃないか。

本当は多くの人が「何かがおかしい」と感じていたり、「生きづらい」「自分らしくいられない」と感じているはずなのに、それを声にできない。そして心を消耗した結果、身も心もボロボロになり、死にたくなったりするのだ。

表向きは「自殺大国だから救わなくては」「個が生きる社会を」なんて言っているけれど、そもそも、普通という概念を取っ払わない限り、本当の意味で「みんな違ってみんないい」ではないし、子供にいくら「いじめはいけません」なんて教育しても、いじめだってなくならないわけだ。

「自分の人生を生きたい」「誰かの特別になりたい」「唯一無二の存在になりたい」と願っていても、「ごく普通」である限り、一般ピーポーであり続けるし、それが無難で幸せなんだと思わざるを得ないのだ。

「普通」じゃない人は「幸せじゃない」という思い込み

たとえば、子供にお絵描きをさせるとしよう。風景を描くとして、空は青色、太陽はオレンジ、虹は七色、草は緑、花はピンク。木の幹は茶色で、とんでくるハチは黄色と黒のシマシマといったところだろうか。これを人は「普通」と呼ぶ。

では空はむらさき、太陽はピンク、虹は黒。こう描いてはいけないというのだろうか。こう描いた子供は「おかしい」のだろうか。さらにその先を言うと「幸せじゃない」のだろうか。人と違う感性や受け止め方、ものの捉え方、表現の仕方をする人は、幸せではない?

普通の風景を描く子供が、将来何一つ悪いことをしないとは言えない。逆に普通ではない風景を描く子供が、将来悪いことをするとも言えない。表面的には「普通」でも、その心にあるものは誰にもわからない。

誰かが悪いことをしたと聞けば、まるでこじつけるように「そういえば子供の頃から変わってた」と遠い日の記憶を持ち出して言うのだろう。誰かが悪いことをしたと聞けば、「そんな子じゃなかったはずなのに…」と驚くのだろう。

「普通」でいれば安全。普通でいれば、傷つかなくて済む。そんな思考にはまり、普通じゃないと幸せな人生を送れない、とよくわからない「普通」を目指し、人は今日も生きている。他人の「しあわせ」を勝手に決めつけながら。

心を腐らせる「普通」なんていらない!

あなたは”あなたを生きているだけ”の話だ

筆者には子供が二人いて、1人は健常児(世間で言うところの普通の子)、1人は自閉症である。自閉症は障害の一つとして決められている。対人関係が不器用で、人との接し方がわからなかったり、強いこだわりや特殊な記憶力(英語だけを覚えてしまう)などがある。

筆者は元々「普通」という概念が嫌いな人間だったけれど、この自閉症の我が子が、さらに大切なことを教えてくれた。

社会的なものさしで見ると、確かに「普通だ」とは言えないかもしれない。言葉もほとんど喋ることができないし、みんなと同じ行動を取ろうとすると、大きなストレスや苦痛をともなう。それでも、この子は「この子でいたい」だけなのである。一般的には「障害」だ。でも筆者にとっては、障害ではないのだ。空を青いと言えなくても、先生の言葉より教室の隅にいる水槽の金魚が好きで仕方なくても、道路の模様が楽しくてふらふら歩いていても、この子はこの子なのである。

そう思うと、これまでの世界は大きく変化した。なんて面白いんだろうと感動する。今までの自分では見ることがなかった世界が少しずつ見えてくるようにもなった。自分はまだまだ視野が狭いことを思い知らされた。

そして「普通と幸せは直結しない」し、どんな人でも、「私はこれが好き」「これがしたい」と言っていいと強く思えた。障害があるとかないに関わらず、どんな人でもなのだ。「大変ですね」「苦労しますね」なんて言われてもピンとこないし、人の人生について、簡単に言うのはいかがなものかと筆者は思う。

「私は普通じゃないから…」なんて悩むことない!

これを読んでくれているあなたも、普通という概念に疑問を持っているのではないだろうか。個性的で、自分なりの意思が強くあるのかもしれない。よくいう一般的な人付き合いをすることが、苦手な人かもしれない。どんな人だったとしても、あなたがあなたを否定することだけはやめてほしい。どうか「普通であることが幸せ」と思い込まないでほしい。

あなたがもし「普通ではない」人だとしたら、大きな可能性と世界観を持っている。他のどこにもない、あなただけの感性を持っていていい。それがあなたの「当たり前」であっていてほしい。傷つかないでほしいと、そう思う。

もちろん、どんな人間になりたいか、どう思って生きたいかなんて人それぞれだ。こんな考え方もあるのだと、少しだけ心に留めてもらえたなら、筆者は嬉しい。

「普通」とは、その人が自由に決められるもの

「みんな普通」というものをデフォルトにして生きていると、必ずと言っていいくらい、心に無理が生じる。だから、普通なんていう誰が決めたのかもよくわからない「ある基準」を元に生きてかなくたっていいんだ。

あなたはあなたの「当たり前」「これが普通」を選んでいいし、自分で決めていい。それが生きるということなのではないだろうか。「普通って何ですか?」この質問に答えられる人は、おそらく今も、この先も、現れることはないだろう。/kandouya編集部

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