
「自他境界」という言葉を聞いたことがありますか?
文字通り、自分と他人との間にある境目のことです。この「自他の境界線」というものを知らないと、いろいろな人間関係が上手くいきにくくなります。
また、自他の境界というものを知っていても、無意識に他人のテリトリー入り込んでしまったり、人が自分の中に侵入してくるのを許してしまったりするものなんですね。
この記事では、自他境界とはどんなものか、また自他境界が曖昧になっているケースなどを具体的に説明していきます。
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自他の境界線とは何?

自他の境界には「心の境界」と「身体の境界」があります。
身体の境界
どんな人も、見ず知らずの他人やあまり親しくない人と、とても近い距離になると不安や、不快感を感じると思います。
- 満員電車で人と密着する
- 知らない人と間を開けず隣の席に座る
- 親しくない異性からのボディタッチ
- エレベーターでは人と距離を開けて立つ
このように、知らない人や親しくない人とは、ある一定の距離をとりたいものですよね。
また、ある程度親しくても、身体に触れられたくないと感じたり、隣に座るのは嫌……なんてこともあります。男女間では、身体への触れ合いは段階を追って進めていくのが一般的だったりもします。
人間は「パーソナルスペース」と呼ばれる、人との親密さに応じて、許せる距離感がだいたい決まっています。
- 顔見知りや知人程度 120~350cm
- 親しい友人同士 45~120cm
- 恋人や家族など 0~45cm
このように、親しさや信頼関係に応じて、どの程度近づいていいか、また近づいてくることを許すか……という目安があるのです。
心の境界
心にも境界があります。この心の境界は、目に見えないのでとても厄介で人間関係の問題や悩みに発展しやすいです。
- 人の問題を自分のせいのように感じる
- 人に口出しや手出しをしたくなる
- 「自分がなんとかしなきゃ」と思う
- 自分がもっと頑張れたら…などと後悔する
人に起こっている問題に対して「自分があのとき〇〇したせいかも?」と思ったり「なんで〇〇しないの!?」と批判したくなったり、必要のないところで手を貸す、自分が責任を負いすぎる……といったことが特徴的です。
「人」と「自分」の境界線がしっかりと引けていない場合、同一化というものが起こるのでさまざまな悩みや問題が生じるようになります。
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自他の境界線が曖昧なのは、たとえばどんなとき?

日常のあらゆる場面に、自他の境界は曖昧になるシーンがあります。普段は境界が引けている人でも、ストレスがかかったときには曖昧になってしまうことも少なくありません。
また、特定の相手に境界を超えることを許してしまう場合もあります。
「自分のせい?」と思ってしまう
人が泣いたり怒ったり、困ったりしているときに「自分にも責任があるかも」と感じたり「自分があのとき〇〇しなかったから悪かった」と感じることって、ありませんか?
自分を責める傾向の強い人は、起こった問題にすぐに自分を絡めてしまうことがあります。まったく関係のないことも「自分も原因の一味である」なんて考えてしまうのです。自分の言動によって周囲の機嫌が変わると思い込んでいるので、日常生活で罪悪感を抱きやすく、ストレスを溜めやすいです。
「自分が何とかしなきゃ」と思ってしまう
人が困っていたり、甘えられたりすると「自分がなんとかしなきゃ!」と奮い立ち、責任を背負い込んでしまうことがあります。
もちろん、道端で困っている人に道案内をする……とかそういう程度のことではなくて、自分の生活や心身の健康、経済状況が脅かされても、人のために頑張ってしまうレベルになると危ないです。
人のために一生懸命親切にしたのに、最後にポイっと捨てられてしまう人。女性からお金を巻き上げる男性。この人には自分がいないとダメなんだ、と思い込んでよくない関係を断ち切れない人。いろんなケースがあります。
自他境界が曖昧であればあるほど、人と不自然な関係を築きやすく、悩みやすいといえます。
「一緒に悲しむ・苦しむほうがいい」と思ってしまう
親しい人が、苦しい状況に立たされたり、悲しんでいたりするときに「自分だけ人生を楽しんではいけない」ような気持になってしまうこともあります。
人と自分の感情を分けることが苦手な人は、誰かが落ち込んでいると自分も一緒に落ち込んでしまったり、誰かが苦しんでいると自分も苦しくならなければいけないような気持になって、自分を追い詰めてしまうことがあります。
「嫌われたくない」と強く思ってしまう
「人に嫌われたくない」と思う心理も、自他境界に関係しています。「嫌われたくない」という思いは誰しも多少は抱くものですが、自分の言動の基準が「人に嫌われないため」という基準になるので、とても疲れます。
接する人はそれぞれ違うのに、毎回相手にあわせて言動を変化させたり、顔色を伺わなければならなくなるので、とても苦しくなるでしょう。
「嫌われないように自分が努力したり、行動を変えたりすることで、人の気持ちをコントロールできる」と思っているのが、自他の境目を乗り越えてしまっている状態です。
なぜ自他の境界線が曖昧になってしまうの?

自他の境界が曖昧になってしまう理由は、ほどんどの場合幼少期の親子関係にあるとされています。
親子関係は、人格を築く一番大きな要素です。過剰に干渉されるような親子関係だったり、親が強くて子供が弱いといった関係性である場合に起こりやすいです。
ただ、日本の多くの家庭で親から子供へ境界への「侵入」がされていると感じます。どの家庭でも、当たり前のようにされているんです。
たとえば
「なんであいさつしないの!非常識だと思われたらどうするの!」
「そんなことするのは恥ずかしいからやめなさい!」
「あなたのせいで仕事ができない」
「そんなことは無理に決まっているからあきらめなさい」
非常にたくさんの家庭で、このような言葉が飛び交っていると思います。親の機嫌の善し悪しを、子供のせいにするというのはよくあることです。
ただ親が疲れている、忙しいためにイライラしているのに「もうゲームばっかりしていないで、片付けなさい」と怒られる。
「成績が悪い=進学できない=親が不安・恥ずかしい」などの親独自の価値観で、子供を叱ったり、頑張らせようとするケースも多いと思います。
ちょっとした小言やガミガミはそれほど問題ありません。しかし親の感情に子供が振り回されたり、親が子供を「自分の分身」「自分の所有物」と思い続けていると、どんどん問題が根強くなっていきます。
「自分」を守るために、子供を支配してしまうという構図が根強くあります。これは社会的な風潮や日本の独自の価値観が深く関係しています。毒親という言葉が流行し、悩んでいる人が多いという現況も、この境界線の話に通じています。
自分と他人は違う「境界」は認識しにくい

ここまで詳しく解説してきましたが、日常にはもっと境界の問題から起こる人間関係トラブルや悩みがたくさんあると思います。
目には見えないものですし、一見「この人は自分によくしてくれる人」「自分のことを指摘してくれる人は貴重」なんて、いろいろな理由をつけて納得しようとしていることも少なくありません。
目に見えにくく、さらにその時の精神的状態、生まれもった気質によっても左右されるものであり、無意識なことが多いです。
ただ、この概念のことを知って意識するようにしていくと、だんだん自分と他人の違いや、価値観の押し付けなどに気づき始めます。
自他境界をしっかりコントロールできるようになると、生きるのがすっっっごく楽になるので、是非とも心に置いてみてくださいね。/Kandouya編集部
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