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「毒親を許す」なんてことはありえない。許すって何なのかわからなくなった人へ

毒親を許すという概念は、存在しない

「毒親を許すにはどうしたらいいのでしょうか」

「毒親育ちを克服するには、どういう付き合い方をすればいいのでしょうか」

毒親という言葉が流行るずっとずっと前から、一定の層の人はこの課題と向き合い続けているのではないでしょうか。

私は、毒親を許すことをあきらめました。そもそも、許すとか許さないという概念では片付けられない問題だということがわかったからです。この記事では、毒親を許せないまま大人になり、自分の中の葛藤と戦い続けて疲れている人へ、私ができる最大の応援をしたいと思います。

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何をもって「毒親を許す」ことになるのか?

あなたは、毒親を許すという状態はどのような状態だと考えていますか?

  • 親もひとりの人間だから完ぺきではない
  • 自分も親になってみて、子供への接し方の難しさがわかった
  • 親のことで気を揉む時間やエネルギーがもったいないと思えるようになった
  • 自分の親を超えることで、自分の価値を見出せた

これは全て私が今まで「毒親を許せた」と感じたときに、思ったことです。確かにどれも、親の呪縛を解くためには必要な考え方ではあります。しかし、これは正直一時的なものです。

確かに、長年に渡って積み重なった恨みつらみを晴らすには、親に反発したり攻撃したりするより、自分の中での捉え方を変えていく方が効率的です。しかし、人間の感情や記憶というものは、とても複雑で目に見えません。

体の疾患のように「完治」という概念もありません。日常生活のあらゆるところで親からの影響や、親の呪縛に囚われている自分を感じることがあります。何をもって「許した」というのかはとても曖昧であり、完全に「克服した」「乗り越えた」という概念はないと考えています。

「毒親許しました」なんて、簡単に言ってはいけない

申し遅れましたが、筆者は虐待を受けて育った筋金入りの毒親育ちです。母親との関係に悩み続け「克服したい!」「連鎖を食い止めたい!」と必死になってきました。親を許し、本当の意味で和解したいと思って生きてきました。

私は10代で親から自立し、結婚し、2人の子供を生んで育て、時には親を家に招いてもてなしたりしています。そして、仕事では自分の経験を元にアダルトチルドレンから克服するための方法を書いた書籍まで出版しました。しかし、私は毒親を許していません。

書籍には、なぜ自分の親が毒親になってしまったのかというプロセスを見ていく方法や、専門機関でのカウンセリングすら難しい人に向けた自己分析や自己カウンセリングの方法を書きました。そして、それは確かに自分が10年間かかってなんとかやってきた実体験を元に書いたことは事実です。そして、私は今毒母をもてなしたり、励ましたり「私はお母さんのことを1ミリも恨んでいないから」と話せるようにまでなったのです。

しかし、私は毒親を許していません。「許す」という言葉を使えば使うほど、この言葉があまりにも簡単で危険な言葉だと実感したからです。

読者の方々にも「毒親を許せるなんて優しいですね」「毒親育ちを克服するには、私にとっては先が長いです」などと、許しについての意見や感想を度々いただきました。実際に私はこの本を両親に読んでもらい、過去の話をしたり、謝罪の言葉をもらったりもします。しかし、そのたびに「自分が親を許した」ということに、なんとなく違和感を持っていたのです。私は本当に親を許したのか、はっきりとわからない日々が続きました。

毒親を許すなんてありえない、という結論に至った

私はいろいろと考えた結果、毒親を許すなんていう現象は起こりえないという結論を下します。なぜなら、私は一番残酷な方法で親を攻撃しているからです。

私は、母に謝らせるスキを与えてきませんでした。母に、思いのたけをぶつけたこともなければ、本音を言ったこともありません。それは、母への恐怖心やトラウマのせいでもなく「母に謝ってほしくなかった」ただそれだけでした。だって、もし泣きながら謝られでもしたら「いいよ」って言わなければいけないと感じてしまうからです。

小さい子供が大人に教わる「かーしーて」「いいよ」とか「あーそーぼ」「いいよ」のやり取りみたいに。
私は今も、常に母を喜ばせています。LINEがくれば丁寧に返事をし、遊びに来たいと言えばもてなし、家事を手伝いたいと言えばやってらいます。物を買ってあげたいと言われれば、そうしてもらいます。子供の頃とまるで同じです。でも、私はその中のどれ一つとして望んでいませんし、何にも欲しくありません。今になって罪滅ぼしをしようとしてくれている母の気持ちを、踏みにじっています。

「娘に散々なことをしたのに、それを忘れて娘に甘える母」と「何をされても笑って許す、寛大で達観した娘」の上下関係を作りたいからです。

母が何を言っても、私は母を励まし、慰め、大人な態度をとります。おそらくは母は、私が泣きながら「なんであんなことをしたの!私の人生台無しにして!クソババア!」と言って欲しいはずです。私が母を罵倒すれば、母は自分の貸しを多少は返せます。でも私は絶対にそれをしません。何を言っても、何をやっても、笑顔で許したふりをするのです。

私は、母がなぜ毒親になったかという経緯や、祖父母が両親にどんな影響を与えたかまで、全て聞きました。毒親というものがどうやってできあがるのか、全て調べました。その中で「なるほど」と納得したことは確かです。でも、だからこそそんな簡単に許せるものではないのだと痛感したわけです。ここまでやっても、乗り越えることはできないのです。

人間の心や、感情の闇というのは、1+1=2という簡単な方程式では表せません。一見、何の問題もなくなったかのように見えても、起こったできごとや一度ついた傷は簡単に消えないのです。ましてや、幼少期から思春期までの大事な時期や可能性を奪われたのに、簡単に「許しました!」なんて言えるほうが不思議。どんなこともすべてさっぱり「元通り」なんてことは絶対にないのです。

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毒親に「目をつむれる」時間を、長く保つこと

毒親を許す方法、毒親を向き合う方法、いろんな情報が飛び交っています。でも、許すとか許さないとか、そういう問題ではないのではないかと私は考えています。

毒親のことを気にしないで生きられる時間を、より長く保つことが一番です。もし今毒親の元にいるのなら、貧乏をしてでも自立してみることをおすすめします。親と顔を突き合わせたり、いちいち気を揉む時間を、より短くしなければなりません。

また、経済的に自立することも非常に大事です。これをしない限り物理的に親を超えることができず、自分に自信を持てないからです。

そして、親から距離をとって試行錯誤してください。どの程度のスパンで会うとしんどいか、どんな話をするとしんどいか。そして、もう2度と会わないという選択をするのもありです。私みたいに、誰もわからない心の中で憎み続けたっていいです。

「毒親を許す」という形に決まりはないし、どうするのが人としていちばんいいことなのかなんて考える必要はありません。

だって、心の傷の度合いはみんな違うのです。何が起こったか、あなたが何を感じたかはあなたにしかわからないのです。何をもって克服か、許しかなんて、世界中の誰にも決められないのです。

毒親から逃げるだけでもう、疲れたでしょう?

毒親の元で耐えること、また毒親から必死に逃げることで、あなたはもう疲れ切っているはずです。だから、これ以上聞き分けのいい子になる必要などありません。

例え、表面的に許したように見せても、私みたいに心のどこかで残酷な気持ちを持って生きているんです。親を切り捨てたり、怒りをちゃんと露わにしたりしている人の方がまだ優しい人なのかもしれません。

毒親を許す、という現象は起こり得ません。そのぶん違う場所で誰かと笑ったり、誰かに甘えたりする時間を作ることに全力を注ぎましょう。どんな形でもいいのです。血のつながりなんて、本当になんてことありません。目に見えているもの、耳で聞こえるものなんてどうでもいいし、その奥にどんな闇をもっていても自由。私自身が、毒親を許せない怨念の強い人間です。だからこそ、許せなくて悩んでいる人を全力で肯定します。それが、大人になりきれない自分を肯定することにも繋がるからです。/Kandouya編集部

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