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毒親の孫フィーバーにうんざり!毒親との終わりなき戦いとは?

毒親育ちは、親から距離をとることや、一線を引くことによって楽になる……というのはもはや定説となりました。

しかし「お互いに別の人生を生きている」「自分は自分の人生を生きていい」ということがやっとわかり、安心したのもつかの間。

子ども側の私たちが、結婚して子どもを産んでからもまだまだ毒親との問題は続きます。

世間では「孫フィーバー」という言葉で注目されており、多くの反響を呼んでいます。

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毒親育ちが抱える「孫フィーバー」問題、本当に大事なこととは?

毒親育ちの人々の多くが、今も親とときどき連絡をとったり、定期的に実家に帰省して会ったりする関係にあると思います。絶縁するというのはなかなか難しいもので「距離感や、要領さえつかめば大丈夫」と一時は安心した人も多いのではないでしょうか。

しかし、自分自身の結婚や妊娠、出産といった一大イベントを境に、またしても毒親の暴走に悩まされてしまうケースがあります。

「毒親」という言葉も「孫フィーバー」という言葉も、一種の流行であり問題が一時的に表面化しただけにすぎません。昔から、親が子供の育児に介入してくることや、結婚生活や子育てに割り込んでくることはよくある話だったのです。

そういう親が増えているのではなく、今まで「よくある話」だったことに対して、多くの人が「おかしい」「苦しい」「困る」ということをメディアを通じて発信できるようになったからこそ、浮き彫りになってきたのですね。親に感謝できなくてもいい、親が厄介な存在でしかないこともある、ということが広まったように思います。

どんな家にも「親子関係」と「祖父母と孫の関係」における軋轢はあるはずなんです。しかしその「よくある話」の弊害は実に大きく、徹底して対策しないことによって連鎖することもあります。

筆者が大事だと思うのは、毒親の孫フィーバーを特別なことと捉えて大騒ぎすることでも、毒親に対する過去の恨みつらみを彷彿させることでもありません。自分の子どもにとっての最善を考えるためには、一般的な親子関係のイメージを取っ払うことが重要だと考えています。

この記事では孫フィーバーに陥っている毒親の特徴をあげつらって晒したり、親世代を批判したりする目的ではなく、いかに自分たちの子育てのペースを守っていくかについて考えていこうと思います。

なぜ私たちは、毒親の孫フィーバーに悩んでしまうのか?

毒親とはいつの時代も一定数存在する、ごくありふれた人たちです。周囲の人や親せき関係、ネットの記事やつぶやき、あらゆる場所で見聞きする「親に対する不満」を見て「それって毒親じゃん……」と感じることも、多いのではないでしょうか。

しかし「親とはこういうものである」「親子なんてたいがいそんなもん」という、あきらめや決めつけのような気持が、終わりなき毒親との戦いを複雑化させてしまうことがあると感じます。

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自分もいい歳になったから、普通の親子関係になろうとしてしまう

正直、いつまでも親のことを「嫌い」と思って拒絶する自分が少し幼いように感じて、親を受け入れたり、親との関係をまた復活させてしまうことってありますよね。

あんな親だけど、いろいろと大変だったのかもしれない。私ももういい歳になったし、親に少し感謝したり親孝行できるようになったほうがいいかもしれない。

そんな風に、思ってしまうことがあります。すると、親に孫の顔を見せたくなったり、一緒に楽しい時間を過ごしたりするのも悪くないかもしれないと感じるようになります。そして、昔はいろいろあったけど今はそれなりに普通の親子であるように錯覚するんです。

でも、これはやっぱり「錯覚」でしかないのです。

どれだけ時間が経っても、毒親は毒親のまま

どれだけ時間が経っても、毒親が真っ白でフラットな親になったわけではありません。毒親は毒親のままです。

親が子どもを養育する立場だったころは、親の傲慢さや筋の通らない生き方というものがすごくわかりやすいですよね。自分の気持ちをわかってもらえないとか、気分次第で態度や言動が変わる、心ない言葉や理不尽な体罰を受ける、身勝手に上下関係を使う……いろいろな過去が、それぞれにあると思います。

ただ、親と離れている時間が長くなると、そういうのをちょっと忘れたり、いいように解釈できるようになったりしてまるで「克服した」かのように思ってしまうんですね。

たとえば、すごく嫌な人なんだけど接する機会がそんなにないから、特に気にならない知り合いとか、いるじゃないですか? そういう感じです。

もしくは、過去のことを話し合い、和解しようとして頑張ったから、またフラットな親子関係になれるかも……という淡い期待もあるはずです。

これが、毒親の孫フィーバーのはじまりなのではないか、と感じます。「あれからずいぶん時が経ったし」「毒親っぷりが落ち着いたし」と、親をかばうような気持ちが出てきて、受け入れてしまいそうになるんです。ここが、親子関係という親密な間柄の怖いところだと思います。

本当に「子ども」や「孫」のためを思うなら、孫の子育てに介入してくるはずがない

もし自分が子どもに「毒」となる親だったとわかったら、積極的に孫や子どもに関わろうと思えるでしょうか?

他人との関係に置き換えてみれば、わかりやすいと思います。

自分が人を嫌な気持ちにさせてしまったり、傷つけるようなことをしてしまったとします。その相手から「関わりたくない」「あなたのせいで私は苦しい思いをした」と告げられてもなお、その人を追いかけて、子育てや生活のことに自分から介入しようなんて、一般的な感覚では思えないはずなんです。そこに「家族だから」「私は親だから」という傲慢さや、甘えがあるのではないかと感じます。

自分の子育てのどこがいけなかったかや、親子関係のもつれの根本的な原因は何か……ということがちゃんとわかっていたら、自分から子どもや孫に関わるのは怖いはずだし、そうしてはいけないなと割り切らなくてはなりません。

お願いされたこと、頼まれたことを引き受けるならまだしも、自分から率先して関わる気持ちになどなれないのが、筋の通った考えだと思うのです。

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毒親は、子どもを自分のペースに巻き込む速度が速すぎる

孫フィーバーに走ってしまうのは、自己愛が強くて人を巻き込むタイプの人に多いです。

エネルギーが強くて、人を自分のペースに巻き込むのがめちゃくちゃうまいんですね。一見、優しそうだったり、場の雰囲気を盛り上げるのが上手かったり、言葉を巧みに使いこなしたりするため、勘が鈍るとすぐ相手のパターンにハマってしまう。これが、毒親や毒母の特徴的なところだったりします。

話が上手で、雰囲気を作るのがうまい。だからこそ「この状況っておかしくない?」と子どもが気付くころには、けっこう相手のペースに飲まれていたりするんですね。結局昔と同じ状況だ……と気付いて、自己嫌悪に陥ってしまうこともあるのではないでしょうか。

毒母から逃げるまでの体験をまとめた、田房永子さんの「母がしんどい」のあとがき中に、衝撃的な一文が載っているのでちょっと紹介させてもらいます。

毒親との関係に苦しみ、3年間絶縁状態だったけれど、震災が起こったことで実家に安否確認の電話をかけたときのエピソードです。いくら年月が経っていても、毒母から子どもへの接し方は依然と何ら変わらず、たった少しの時間で相手のペースに巻き込まれるのを感じたとのこと。

3年かけてやっと、母の乗っ取り(洗脳・支配など)から逃れられたのに、たった40秒でもう乗っ取られる! と恐怖を感じて早々に電話を切りました。

母がしんどい/田房永子

ほんの少しの時間で、毒親のペースになってしまうんです。親も子供も、記憶に染み込んだ関係性のようなものがあって、それは数ヶ月や数年で消えることはないわけです。

ここまで本当に色々なことを考え、自分というものを取り戻してきたと思いますが、それを「親もきっと同じようにいろいろ考えただろう」という期待は、見事に打ち砕かれてしまうんです。もしくは考える方程式がとんちんかんなので、余計に面倒なことになるという場合もあるはず。自分の感覚を親に当てはめても、まったく意味がないのです。

親が子どもを自分のペースに巻き込むのは、私たちが思っているより簡単なのだということ、そして親子の関係は時が経っても自然と再現されてしまうということを、もう一度再確認しなければならないと感じます。

毒親の孫フィーバーに乗らないためには、自分たちが頭を使うしかない

毒親の孫フィーバーを止めようと、親に説明したり、説得したりするのは余計に厄介なことになる恐れがあります。

どこまでめんどくさいんだと、落胆するかもしれませんが、もう中高年となった親の価値観を今から崩すことは不可能に近い。だったら、こっちが戦略を立てて「自分たち家族」を守っていく方法を考えるしかありません。

毒親が孫に取り入ってしまう危険性

筆者は、毒親が孫に取り入ってしまい、孫が祖父母になついてしまうことを恐れています。祖父母は、養育の責任がないので「孫に気に入られればそれでいい」んですよね。孫への無責任な溺愛のようなものはよくある話だと思います。

私に対して口を出してくるのではなく、孫を引っ張っていくんです。

筆者の親はまだ働いている身で、時間的にも経済的にも余裕があるため、孫を積極的に預かりたいと言ったり、プレゼントを送ってきたりするのですが、基本的にすべてが「お金」や「贅沢」「子どもに相応しくない自由」なのでとても困っています。

子どもに相応しくない金額のお小遣いを与える、わがまま放題お菓子食べ放題、ゲームや動画などを好きほどやらせる、とにかく甘やかし放題です。

でも、子どもは甘やかしてくれる祖父母に会いたがるし「大好き!おばあちゃんち行きたい!」になってしまうんです。裏にどんな事情があろうと、親が子どものことをどれだけを考えていようと、子どもは「贅沢や自由」を与えてくれる祖父母になついてしまうこともあります。

たとえ「子どもに〇〇させないで」「〇〇は与えないで」といっても、根本的なところでその理由を理解してくれません。「お母さんに怒られちゃうから」「お父さんは厳しいのね」「子どもを伸び伸びさせるのも大事」といったスタンスでくることもあるので、もう説明のしようがなかったりもします。

毒親には話が通じないときは、子どもと自分たちで家庭を守る

毒になる祖父母は、私たちが思っているよりも大きな力をもっています。わからないところで、気づかないうちに人を自分のペースに巻き込んでいく力があるのです。

そんな目に見えない強い力……みたいなものを持った人に、1から10まで自分たちの子育ての方針や考えを話しても、正直伝わりきらないのですね。

だから、距離を遠くに保っておくことや、家庭のすべてを明かさないこと、子どもを両親に預けない、できるだけ頼らない……といった防衛や見張りが必要だと感じています。

理解してもらおうとするのではなく、こちらが予防線を張るのです。生活のためにどうしても子どもを預けなければならないとか、頼らなければならない事情があるときは別ですが、それ以外は緊張感をもち続けて接することが必要だと考えています。

この前説明したから、次からはそのようにやってくれる……という考えを捨てること。何度説明しても根本的に理解していないので、その都度対処していくことや、自分の目の届かないところで子供と祖父母にやり取りさせないことも大事だと考えています。

子どもに大人の事情を話すことは、大切なコミュニケーションである

毒親は話が通じませんから、そのぶん子どもに話しておくことも時には必要なのではないかと考えています。

「子どもに大人の事情を話すのはよくないのでは」という声もありますが、実はこの考え方に私は賛成できません。

子どもは、大人顔負けにいろいろなことを見聞きし、察知しています。親子関係のもつれがあることや、何か大人だけの事情があるということは要所要所で気がついている可能性があるからです。

よく、子どものころ親が「大人の事情」で話し込んでいることや、自分が尋ねたり言ったりしたことに、やんわりと言葉を濁したりごまかしたりする様子を感じ取ることってありませんでしたか?

筆者はそういう「大人の事情をごまかす瞬間」によく違和感や心地の悪さを覚えていました。

子どもなんだから知る必要ない、という考えではなく、子どもにもきちんと説明しておくべきことです。「世代間連鎖」の脅威はとても大きいもの。子どもも今は小さくて無知な存在であっても、いずれは自分の家庭を築いていく大事な人材です。その子どもに対して「自分たちがどんな親の元で育ってきたか」ということを話す機会はあってもよいのではないでしょうか。

「せっかく大好きな祖父母なのに、そんな現実を突きつけるのはかわいそう」とも思われそうですが、何も知らずに毒親に取り込まれるほうがよっぽどかわいそうですし、長い目で見たときに自分の家庭のルーツを知っているのと知らないのとでは、大きな差が生まれます。

自分の判断で行動できる範囲が広がる頃には、事情を話すことも必要だと考えています。もちろん、伝え方は難しいですし、祖父母を批判的に言うことは避けたいもの。だからこそ、子どもが小さなうちから少しずつ構想を練っておくことも大事ですね。

毒親の孫フィーバーを乗り切るには「親を親と思わない」選択が必要である

毒親と完全に縁を切ってしまわない限り、常に親はこちらを巻き込んできます。でも、時が経ったり、状況が変わったりするうちに「親を親として頼りたい」「親を好きになりたい」みたいな気持ちってどうしても出てくるんですよね。だから、近づいてしまうし、受け入れてしまうことも。

本当なら、子どもに「おじいちゃんおばあちゃん子」になってほしい。でも、毒親に育てられたことでどれだけ大変な思いをしたか忘れてはいけないなと、孫フィーバーになっていく親を見て改めて感じます。

「もし、これが親子ではなくて他人同士だったら?」という視点で関係を見ていくと、親の自己愛が主体になっているところや、介入しすぎているところがはっきり浮き彫りになってきます。 親を親として見るという、当たり前の感覚が私たちを惑わせているのかもしれません。

風化するのは、表面的なところだけ。あなたは、あなたが選んだ家族やせっかく作り上げたものを守っていってほしいです。そのためには「親を親と思わない」という苦しい選択や、悲しい現実に目を向けなければならないのかもしれませんね。

とても残酷ですが「大事な何かを守るためには、何かを捨てる」という考えを、徹底していくしかないのだろうと私自身、強く感じています。/Kandouya編集部


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