親子関係が悪いことや、親に対する怒りや確執を抱えて生きるのは、とてもつらいですよね。
「どうして私はこの親の元に生まれたのか」
「もっと純粋に愛してほしかった」
「普通の家に生まれていれば……」
そんな風に思ってしまうことも、多いはずです。筆者自身もそう思って生きていた頃がありました。
幼少期の親子関係のスタイルは、大人になっても体に染みついていることが多いです。
どこかで「あぁ、今までの価値観は間違っていたんだ」と気付かないと、人生が上手くいかなかったり人とのコミュニケーションがうまくとれなかったり、自分の考えや感覚に鈍くなってしまったりと、さまざまな弊害がうまれてしまいます。
ただ、だからといって人生を損しているわけではないと、私は考えています。
親子関係が悪い人、親と不仲な人は、確かに苦しい思いをすることもありますが、それ以上に「真剣に生きる」という意識を強く持てる側面があるのです。
親子関係が悪いと、人生は不利なのか?

当メディアでも、親子関係や毒親のテーマについて多く取り上げています。筆者自身も親子関係では深く悩み、それによって自分自身の性格の歪みにも向き合ってきました。
渦中ではもちろんつらさや苦しさを感じていましたが、それと同時に「これでよかったんだ」と思っている自分も、どこかにいたことに気づきました。
事実として、大変なことや苦しいことは山ほどあるのですが、心のどこかでは「真剣に生きている自分」にも価値を見出していたのです。
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親子関係の良し悪しは、運でしかない
親子関係の良し悪しは、運です。
子は親を選んで生まれるという説もありますが、それは人が意識の上でどう捉えるか……でしかありませんよね。証明することはできないし、誰にも正解などわからないことです。
機能不全な家庭に生まれるのは、運が悪かっただけなんです。そこに意味を見出そうとすると、余計に苦しくなるのではないでしょうか。
たまたま、大変な状況の家に生まれた。
たまたま親と性格の相性が悪かった。
家族という人間関係の歪みが、たまたま自分にしわ寄せがきた。
たまたま怒りやストレスをぶつけられる位置になった。
これはもう、私たちにはどうすることもできなったことなんです。
運が悪かったと認めることは「自分にはどうすることもできなかった」「自分は最善を尽くして生きた」ということでもあります。
親子の衝突は、子どもが「自分をもっている」から起こる
極端な虐待がなかった家庭でも、親子での衝突や不仲が起こるのは「子どもの自我」がしっかり存在している証拠でもあります。
「何かがおかしい」
「家族が嫌だ」
「親子関係がしんどい」
そう思うのは、子どもがしっかりと強く「自分」をもっているからこそ感じられるものです。
多くの人が「家族なんだから自然に仲良くできるもの」とか「血のつながりは越えられない」とどこかで無意識におもっていたり、刷り込まれていたりするわけです。
しかし、そんな集合的な意識や常識的な価値観を超えて「家族と自分は合わない」「自分は家族が苦手だ」と思えるその感覚は、強い自我であり、誇らしいことだとも考えられます。
「自分」というものを、実はしっかりもっているんです。今まさに親子関係の問題で悩んでいる渦中の人は、自分を宇なく表現できなかったり、自分の感覚を優先できない状態だったりするだけ。
親へ反発心や嫌悪感を持てるのは、けっして悪いことではないと考えています。
親子関係が悪いことで得られるメリット

筆者は「親子関係が悪いのは不幸なこと」という考え方を、まったくしなくなりました。
問題だらけの家庭で育ったことで、もちろん悩み苦しんだことは事実です。しかし、そこから得たものは大きかったとも考えています。
「愛」や「関係性」について真剣に考える
本当の愛って何なのだろう。
人と人との自然な関係性ってどんなものなんだろう。
そんなことを、ずっと考え続けていました。
親のことで悩んでいる人は、おそらく
自立・依存・愛情・信頼・迷惑・自己愛・劣等感・優越感・不足感……など
すべての感情について、真剣に考えているはずです。
途中でわからなくなったり、ときに自分や他人に厳しくなったり、疲れたり、絶望したり。
嫌なこともたくさんあるけど、そのなかで
「あぁ……そうだったんだ」
「世の中ってこういうことなんだ」
なんて気づくことも、きっとあったはずです。
逆境を生きた人には、真剣に生きる力がつきます。
苦労した人は人間が成熟しているなんてことも言われますが、それはあながち間違いではないと思います。
人生は「苦と楽」がセットになって繰り広げられているものです。
自分で人生を切り開く力
人は、困難からの回復力やタフさをもっています。心理学の分野では「レジリエンス」とも呼ばれます。
親に何も教わらなくても、逆に親に間違ったことを教えられても、自分の人生を自分の力で切り開く力が養われるのも事実です。
人はどんな逆境でも、その逆境に適応して生き延びられる能力が備わっています。
ただ「レジリエンスの能力」なんていうと、すごく強くたくましく生きる……みたいなイメージをもってしまうと思うんですが、そういうことだけではないんです。
- 心身の病気になってしまうこと
- 挫折すること
- 普通のレールから外れること
- 不良になること
こういうことも、実は逆境を打開するための適応能力の一種なのではないでしょうか。
逆境に適応する力とは、人やコミュニティの中で微妙な相互作用のバランスをとりながら生き延びる力でもあります。私たちは、不安定な平均台を渡るように、無意識に微妙なバランスをとりながら毎日を生きているのです。
たとえどんな状態であっても、それは自分の自我を守るためや、自分の感覚を取り戻すためのレジリエンスなのかもしれないと私は考えます。
人生における回復力・適応力といったタフな力は、人それぞれで大きさも表れ方も違います。元々もっている気質や、それを環境がどう作用するかによって、個人差が大きく表れるものです。
ものすごくひどい環境で育ったのに楽観的に生きている人もいれば、親子関係の歪みによって長年苦しい人生を送り続けてしまう人もいる、という具合に。
ただ、どちらがいいとか悪いという、優劣を他人が判定することはナンセンスです。自分自身がどちらを選びたいか、どちらを目指したいか……という問題です。
どんな人のことも理解できるようになる
親子関係が悪い場合、世界でもっとも愛されたかったはずの親に愛されなかったり、理解されなかったりする経験をしている人も多いですよね。
時には激しい怒りを抱くこともあります。
ただ、親子という一番密接な関係で問題が生じているとき、かならず「どうしてなんだろう?」「なぜこうなったのか?」ということを、子ども側が深く考えることも少なくありません。
一番親密な関係が上手くいかない、これは残念なことではあるかもしれません。しかし、そんな親子関係を理解しようとする想像力や思考力は、決して無駄にはなりません。
親子関係が悪くても、自分の人生を生きられる

親子関係は、もちろん健全で、温かいほうが良いに決まっています。それはもう当然のことですよね。
しかし、親子関係が悪い人生は不幸な人生というレッテルを貼りをやめることで人生が好転していきます。
血がつながっていても、自分以外はすべて他人です。
他人の人生を背負わなくてもいいし、他人のことは気にしなくていいんです。
親から離れてもいいし、親と心が通わなくてもいい。心からわかり合う仲間は、他に作ることができます。
アダルトチルドレンや毒親といった悩みは、あなたの心の成長や逆境への適応力を上げるための材料にしてみましょう。
この経験が、自分でも知らないうちに人生の役に立っていることがある。きれいごとではなく、心からそう思える日が必ずくると思っています。/Kandouya編集部
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