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「バカは嫌いだよ」良心的なだけの人生なんかもうごめん

誤解や批判を受けることは承知の上で言う、バカは嫌いだ。別に、自分が頭のいい人間であるとか、自分は特別な人間であるとか、そんなことを言いたいわけではない。

堀江貴文が「バカとつき合うな」という本を出せばヒットするのと同じように、世の中の荒波で毎日戦っている一般人だってバカに困らされていることが多々あるという話をしたい。

バカは嫌いだ、とはっきり言える人は、調子に乗っているわけでもうぬぼれているわけでもない。ただ、バカに振り回されたり、いいように使われたりしているに過ぎないのだ。

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ここでいう「バカ」とは、どういうこと?

バカ、というのは、他人の足を引っ張ってくる人や、柔軟性がなく頭の固い人などを総称した言葉だ。別に、計算ができないとか学歴がないとか、スキルや経験がない人のことをバカとあざ笑っているのとは全く違うことを理解していただきたい。

人はみんな違う、ということがわからないバカ

人の気持ちや背景を知ろうとせず、自分の感覚だけで人と接するバカがいる。人はみんな違う価値観をもっていて、日々生きている日常も趣味も仕事も家庭環境も全然違う。なのに「普通こうでしょ?」「そんなのおかしいよ」といって、自分と他人の違いを認めることができない。

自分と他人に違うところがあると不安になり、相手を批判したり、自分を正当化しようとしたりして焦り出すこともある。

他人を理解しようという姿勢がない人は、いつも「自分だけの感覚」で生きているため、それ以外の考えを受け入れない。だから、経験値がなかなか増えず、自分の中の引き出しも少ないままになってしまう。

人は、自分が知らないこと、自分が対応できないことに強く反応して、怒ったり説得してねじ撫せようとすることがある。

人の時間を奪うバカ

巻き込まれることで厄介なのは、人の時間を奪うバカである。例えば、少し仲良くなるとしょっちゅう電話やLINEなどをしてきて、愚痴や他人の悪口といった中身のない話を延々とされたりすることはないだろうか。

または、大勢でつるんで、その輪の中に入ってワイワイできる人だけを仲間とするような人もいる。そこから外れると「裏切者」「恩をあだで返した」なんていって大騒ぎしたり、人を批判したり悪口をいったりする。

こういうバカは、自分の感覚や欲求のために人の時間を奪ってくるのだ。「私たちに構ってよ」と言わんばかりに。自分たちのやっていることにどんな意味があって、どうなっていきたいのかという目的がまるでない。

その人はそれでいいし、何をしようと自由だ。ただ、その感覚とは違う人に対して、批判や嫉妬をするのはただのバカだ。

自分の欲求や主張が強すぎるバカ

「自分を見て!」という欲求が強すぎるバカというのもいる。これは承認欲求がいまひとつ満たされていないタイプの人だ。

「私、スゴイでしょ?」「俺かっこいいっしょ?」という自分アピールを、遠まわしにしてくる人だ。大人社会で、あからさまな自慢やアピールをする人は少ない。でも、遠まわしなマウントや、人がイラっとするような目立ちかたをする人は多い。

厄介なのは、その自己アピールのために他人を利用したり、踏み台にしたり、いちいち突っかかってきてマウントをとったりすること。勝手にひとりでやってくれるのなら結構だが、必ず人を巻き込むので付き合っているとかなり精神が消耗するのだ。

バカが嫌いなのは、振り回されてきたから

ここまで、厄介なバカの特徴を挙げてみたが、やっぱり人の時間を奪ったり人のエネルギーを消耗させてくる人と付き合うと疲れるのだ。

人に優しくしましょう、誠実に、人に感謝しながら生きましょう。幼いころからそう教えられてきた日本人は、こういうバカのことも平等に相手をしなければならないと思い込んでいるのだ。

でも、バカに振り回されることって、本当に意味がないし時間のムダだということに、多くの日本人が気付いていない。誰がどう見ても「その相手がバカでしょ」と思うような状況でも、相手を無視できないし、優しくしてしまうことがある。

バカな人も、実は人や状況を選んでバカを発揮している部分がある。だからこそ、こっちもバカへの接し方を分けていいし「バカは嫌い」と強く心に思ってもいい。

人を「バカだな」って思うのは、調子に乗ることとは違う

他人を「バカだな」と思うこと「バカは嫌いだ」と線引きをすることは、自分が自分の人生を生きるために必要なことだ。

別に、人をバカにして生きろとか、調子に乗っていいということではない。自分はバカたちとは違う特別な人間であると思えなんてことでもない。

相手に感情移入してしまわないために「バカは嫌いだから付き合うのはやめよう」と、はっきり切り捨てることが自分を守ることに繋がるのだ。

そもそも、この内容を読んでバカの意味をはき違える人こそ、他人の足を引っ張るバカだと思う。自分に興味のない話題には乗らなければいいし、おかしなことを言っていると思うなら心の中で「バカだな」と言って自分の好きなことをすればいい。

しかし、それができずに相手に「それは違う!」「お前は性格が悪い!」という人があまりにも多いから、世の中の人はみんな苦しんでいるんだろう。

本当のバカ嫌いは「自分の中のバカさ」にも気づいている

もう一つ大事なのは、自分の中の「バカ」に気づいている人は強いということ。他人に対して「バカは嫌いだ」と思ったり「バカと付き合うのは時間のムダ」と思う人ほど、自分の中にある「バカ」に気づき、改善を繰り返しいている。

自分の中の粗探しをやめない。常に客観的に、自分が他人の足を引っ張っていないか、他人の迷惑になっていないか、他人のエネルギーや時間を奪っていないか、という自責を繰り返している。

それは、他人の目線や評価を気にするということとは違う。「人に足を引っ張られたときのいらだちや、理不尽さをよく知っているから。だから、人にも同じことをしないようにと心配りをするのは、当たり前なのだ。

バカには2種類あって、愛おしいバカもいる

言うまでもないことかもしれないが、嫌いなバカと、愛おしさのあるバカの2種類がいることも事実である。

例えば、話が重くなったときにくだらない冗談をとつぜん挟んできたり、世の中に対する怒りをいかにおもしろおかしく、カジュアルに話すかを考えていたり、物の例えがマニアックすぎて誰にも伝わらなかったり。自分の中の好きを追求しすぎて、誰もやったことのない試みを始めたり、ふと思い立ったかのように海外に飛んで行ったり。

そういう「普通じゃない」人もバカと表現することがある。

嫌いなバカと、愛おしいバカの違いは、常に自分の中にある答えだけを大事にしていること。そして普通・一般的・他人の評価に縛られず生きていることだと思う。

「バカは嫌い」と思わないと、渡っていけない世の中である

足を引っ張ってくる人、人の時間を奪い、自分の価値観を押し付けてくる人のことは「バカだな」と思ってやり過ごしていいのだ。誰かに陰口や悪口を吹き込んで回るわけでもない、自分の中で「バカを相手にするのはやめよう」と思って生きていった方が楽なのだ。

世間は荒波であって、時には嫌いな人を切り捨てたり、自分から何かを奪っていくような人を「嫌い」とはっきり自覚し、無視する勇気だって必要なのではないか。

他人をバカ呼ばわりすることを「嫌な人間」「感じ悪い」と思うならそれでもいい。私はそうして生きているし、そうしないと自分の時間や人生を守ることができない。ときには善人をやめて、毒を吐き、社会に中指立ててみたっていいだろう。/Kandouya編集部


バカとつき合うな

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