
誰かが勇気を出して自分のつらさを打ち明けたり、つらさから道を踏みしてしまったときに 「みんなつらいんだから」という言葉を投げかけてくる人がいる。
本人に悪気はみじんもないことが多い。だからこそ「あぁ、私はつらいと思ってはいけないのだな」と思って、さらに自分を責めたり、自分が弱音を吐いたことを恥ずかしく思ったりすることがある。
先日、女優の沢尻エリカが麻薬取締法違反で逮捕された。その報道に対し、大物歌手がワイドショーで「みんなつらいんだからさぁ」と発したニュースを目にした。「なんでそうなっちゃったのかなぁ」という、残念な気持ちを表したに過ぎないのだが、この言葉はいちばん言ってはいけない言葉なんだ。
彼女とその人は社会的立場も職業も交友関係も、環境や性格などの内面的なものも全部違うはず。それなのに、どうして「みんなつらい」ということが道を踏み外してはいけない理由として挙げられるのだろうか。心が病んでしまったり、心の弱さから誘惑に負けた部分に対して「みんなつらい」という言葉を使うのはいちばんやってはいけないことだ。
一見「優しさ」「正義」のようにも聞こえるこの言葉は、多くの悩める人を苦しめて追い詰めている。
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励ましの言葉に見せかけた「みんなつらいんだから」が嫌いだ

つらい思いをしている人に「みんなつらいんだから」と言うことにはどんな影響があるのだろうか。正直なところ、この言葉は本質的な励ましではない。本当に気持ちをわかった上の発言だったらこの言葉は出ないのだ。
自分だけがつらいと思うなってこと?
みんなつらいんだから、自分だけがつらいと思ったら大間違いだぞ。
本気で悩んでいる人の頭の中では、こう変換されるだろう。悲劇のヒロインを気取っているとか、たいしてつらくもないのに「誰かに助けてもらいたい」と願っているかのように思えてくる。
他にも「つらいのはあなただけじゃないよ」「私もいろいろつらいけどなんとか頑張ってんだよ~!」と言ったような返しも、本気でつらいときに聞くと追い打ちをかけられたような気持になる。
自分の弱さ、不甲斐なさ、根性のなさが浮き彫りになったような気さえする。
「みんなは頑張っているのに、あなたは頑張れないのか」ってこと?
みんなつらいけど、頑張って生きているんだからあなたももっと頑張れ。もしくは、みんなつらい中頑張っているのに、あなたは頑張れないのか?
そんなニュアンスにもとれる。心身ともに健康でな人はきっと、こういう脳内変換はしないのかもしれない。でも、本気でつらい人は精神状態が不安定になっているため、どんな言葉も悪い方に捉えたり、ネガティブで批判的な意味に感じてしまうということを忘れてはいけない。
深い悩みや心の問題を抱えている人は、デリケートな状態なのだ。健康で楽観的な人の感覚で「みんな頑張ってるんだからさっ、前向いて行こうや」みたいなノリで言葉をかけるのはものすごく危険だ。
「そういうつもりじゃない」そんな言葉が人を傷つける
人を傷つける言葉の多くが「そういうつもりはなかった」「深い意味はなかった」ものだ。
別に、友人と楽しく食事している中で話すならどんな言葉だっていいのかもしれない。深く考えず感覚的に話したって問題ない。でも、悩んでいる人、つらい気持ちのさなかにいる人を相手にしているのなら、気をつけなければならないのは当然ではないか。
だから、人に「みんなつらいんだから」といわれても、その意見はあまり参考にしてはだめだ。あなたがつらいと思ったらつらくていい。他人がどうとか、みんながどんなかなんて、まったく関係ない。みんなが頑張っているから頑張るとか、みんなつらいけどなんとか耐えているから自分も耐えようだなんて思わないでいい。
人は人、自分は自分。他所は他所、うちはうち。人は、自分の都合のいいときだけ人に合わせることなんてできないと言い、都合が悪くなると急に人に合わせるように勧めてくる。矛盾だらけである。
なぜ「みんなつらいんだから」を発してしまうのか

では、なぜこの「みんなつらいんだから」が横行してしまうのだろうか。確実に問題は相手にある。でも、その相手がなんでそんな風に言葉を発してしまうのか考えると、少し楽になるかもしれない。
語彙がないから
語彙力とは「言葉や単語の知識量と、それをうまく使える力」のことをいう。この語彙力がないと、心で思っていることと発する言葉の意味にズレが生じてしまうので、ときどき誤解されたり相手を傷つけてしまうことがあるのだ。
「みんなつらいんだから」と言う人の本心は、「つらいきもちわかるよ」という意味であることも多い。
私もつらい経験や、苦しい思いをしたことがあるから、あなたの気持ちがわかる。みんな仲間だよ、という意味で「みんなつらいけど頑張ってるんだよ」という言葉を使う人は、けっこういると感じるのだ。
ニュアンスをうまく伝えられない人なのかもしれない。
深く考えていないから
いちばん多いのは、深く考えないで適当にその場に合っていそうな言葉を発してしまう人だ。
正直なところ、世の中の8割程度は物事を深く考えないのではないだろうかとさえ思うときがある。その場の雰囲気で、適当に言葉を選んでいるだけかもしれない。
相談されたり、つらい気持ちを打ち明けられたりしたときは、こういう言葉をかけるものだ、というテンプレートが頭の中に入っていて、自動的に出力したようなものだ。
「みんなつらいんだからさ」
「頑張ってればいつかなんとかなるよ」
「無理せず頑張ろうよ」
こういうフワッとした中身のない返答は実に多いと感じる。だから、あなたも深く捉えないで聞き流していい。
何と言えばいいかわからず、適当にまとめてしまうから
人は、自分の引き出しの中に「解答」が見つからないと逃げる。
あなたの悩みや相談に対して、適切な助言や案が浮かばないときに「みんなつらいんだから」と言ってしまうのは、適当にまとめて逃げるためかもしれない。
でも、「何と言ってあげたらいいかわからない」と素直に言える人は非常に少ない。相談された立場や、年齢・上下関係などのプライドがそれを許さないこともある。
「それっぽい言葉でまとめておこう」とするのだ。
本当は何も言えなくても「そうだったんだね。つらかったよね。」と言ってくれさえすればそれでいいのに、もっともらしいことが言えない自分をごまかすために「みんなつらいんだから」を使って話を切り上げることがある。
「みんなつらいんだから」はつらい人を批判しているわけではない

深く考えてみると、この言葉はつらい人批判ではないことも多いのだ。相手がどう感じるかわからないという想像力のなさや、自分の中にもっともらしい解答がみつからないときのごまかしであることも。
だから、あなたはつらいと思っていいのだ。そんな言葉にこれ以上落胆しないでほしい。
悩み、つらい思いをしただけでストレス抱えているのに、それを話して理解されないという2重のショックを受けることがどれほど絶望的か私にはわかる。
きっとその人は、あなた以外の人からも「もうこの人に相談するのやめよう」って思われていることだろう。
この「みんなつらい」に言葉に苦しんできた人はいっぱいいる。あなたは間違っていないよ。

どうしてこんなにも、悩める現代人が多いのか。時々考えることがある。
それは
「自分のつらさなんて、誰かからみたら大したことではないんだ」
「みんなつらさを抱えながらも頑張って生きているから、がまんしなくちゃいけないんだ」
という自分を追い詰めるような考えが、まかり通っているからだと思う。それは、他人からの言葉でも同じだ。
こういう安易な言葉、人の傷口に塩を塗るような言葉を「優しさ」と見せかけてかけてくるのって、いちばん厄介なんだと思う。
あなたは間違っていないから、自分のつらさをちゃんと肯定して、その気持ちを大事にしてほしい。/Kandouya編集部
https://kandouya.net/mentalhealth/7466/