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ギブアンドテイクの押し売りが嫌い!好意と義務感はべつもの

ギブアンドテイク、という言葉はとてもいい言葉であり、世の中の常識かのように捉えられていることが多い。

でも、ギブアンドテイク精神が嫌いな人や、この考え方に苦しんでいる人は非常に多い印象である。

「してもらったら、返す」というのはもはや当たり前の感覚になりつつあるけれど、一方で「何かをしてもらったら返さなければいけない」のが負担になったり、それを避けるために誰かとの関りを経っていくこともある。

「与える」ことと「返す」ことは、セットにしてはいけない考え方なのかもしれない。

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ギブアンドテイクは「結果論」でしかない

ギブアンドテイクは「そうするべき」ものではなく、あくまでも結果論でしかない。

たとえば、親が子供に無償の愛情を注ぎ続け、成長したある日お母さんの絵を描いてプレゼントしてくれる。

これは「お母さんいつもありがとう」「大好き」の気持ちが、母親にとって不意に与えられるために、大きな喜びとなる。母親は最初から「そろそろ私に感謝しなさいよ」という気持ちではなく「あぁ、こんな風に成長してくれるのなら子育てを頑張ってきて良かった」という幸福感が結果的に「テイク」という形になっただけ。

これはあくまでも無償の愛をわかりやすく例えただけで、友人、恋人、夫婦、どんな関係でも同じことがいえる。

仕事の場合は、そもそもが本音と建て前があって当たり前の世界でもあるため、今回は除外して話していこうと思う。

「こんなにやってあげたのに」を恐れている人が多い

誰かに何かをしてもらうと、最終的には「こんなにやってあげたのに」「よくしてあげたのに」という気持ちが見え隠れすることがある。「世の中はギブアンドテイクだ」という価値観を強くもっている人は、誰かに何かをしてあげたあとに「恩はないのか?」「あなたからは何もくれないの?」という見返りを期待していることがある。

このギブアンドテイクの押し売りに、多くの人が悩んでいる。

与えたいから与えたはずなのに……

たとえば、あなたが自分から誰かに「〇〇してもらえませんか?」とお願いして、助けてもらったり与えてもらったりした場合、当然お礼やお返しをする必要がある。

しかし、ギブアンドテイクの押し売りをしてしまう人は、もともとは自分が「与えたい」と思ったから行動したのに、後になって「あんなによくしてあげたのに」と逆恨みのような感情をもつことがある

最初は「かわいそうだから」「わたしが何とかしてあげたい!」という正義感や同情の気持ちから、あなたに何かを与えてくれたり、手助けしてくれたりする。それは、相手が勝手に「与えたい」と思ったからしたことである。

別に「恩を返せ!」などと大げさに怒るわけなくても、心の中にじんわりと「何も返ってこない」という不信感や疑念のようなものが湧くと、それはけっこう人に伝わるものだし、はっきり言葉にする人もいる。

時には、誰かに「わたしはあの子にあんなによくしてあげたのに、当の本人はそんなこと忘れているみたいで……」と人に触れ回ることもある。そうして、自分の正義感からとった行動であったことを忘れるのだ。

「お礼すべき」「お返しをすべき」がこわくなっていく

日本には、お礼やお返しの文化が強く残っている。

お祝いをもらったらいくら返すのが適切であるか?半返し?半分以上返すのは失礼?もらってすぐに返すのは失礼にあたる?

単純に「ありがとう」と受け取って、その気持ちを味わう間もなく「お返しはどうしたらいいのだろう」「本当に喜ばれるお礼とはいったい何なのだろう」ということで頭がいっぱいになる。

誰かに何かを与えた人の気持ちとしては「そんなことを気にしないでもいいから、とにかく喜んでほしい」というただそれだけの気持ちであることも多い。しかしギブアンドテイクの押し売りをする人が多いことや、このお返し文化が根強いことで、結果的に「お礼をすべき」「お返しをすべき」という強迫観念じみた気持ちに変わってしまっている。

大人なんだから、そういうことはしっかりしたほうがいいというのもわかるけれど、せめてお祝い事以外の日常生活では、人に何かを返さなければいけないということに縛られたくはない。

ギブアンドテイクを意識してしまうのは、表面的な付き合いだから

ギブアンドテイク精神に縛られるのは、とても表面的な付き合いの人に限定しているのではないか。

大人として生きていると、どうしてもギブアンドテイクの精神を避けて通れない。やっぱり、失礼だと思われるのは嫌だし、してもらったら返さないと……という気持ちは誰にでもある。お土産ひとつもらっても、一度車に乗せてもらっただけでも、何か優しい言葉をかけてもらっただけでも……日常のあらゆる場所に「返そう」とする心が働く。

ただ、ギブアンドテイク精神に縛られるのは、表面的な付き合いの人だけだ。本気で大事にしたい間柄の人には、そんなことを意識しなくても「あの人が喜ぶからこうしてあげたい」「あの人が好きなものだから買っていってあげたい」などと自然に思えるし、行動できる。それが、深い信頼の上に成り立つ、結果的なギブアンドテイクなのである。

ギブアンドテイクは、好意の返法性?

人間の心理には『好意の返法性』というものがある。

人が好意でしてくれたことには、こちらも自然と好意を返したくなるという心理作用のことである。人が、ギブアンドテイクに縛られてしまうのは、この心理が働いてしまうからなのだろうか。

よくよく考えてみると『好意』を返したくなる、というのは相手を心から好きと思える場合に限る。だから、あなたが「してもらったから返さなくてはならない」と義務感に駆られているばあい、相手が最初にくれたものは好意ではない可能性もあるということになる。

好意というのは、表面をいくら取り繕っても人に伝わるものだ。あなたのことを好きだからよくしてくれるのか、それとも一時的な錯覚や、打算的な行為なのか……。

あなたが心から「あの人に喜んでほしいから」という気持ちでテイクをし返せないのであれば、それは無理にやらなくていいことなのではないだろうか。

考え過ぎる人は「お返し」が苦手?

考え過ぎる人は、義務感で人に何かを返すのがとても苦手である。相手に「最適」なお返しの品や方法が見つかるまで徹底的に考えてしまうからだ。

「お返しは〇〇にしようかな。でも、あの人はこれが好きかどうかわからない。でも、何か渡さなくちゃいけないからとりあえず何かを買っていこうか……でもとりあえずで適当に買っていくなんて、本当に意味のあることなのだろうか……やっぱり何もしないほうがいいのでは?でも何もしないわけには……」

こんな風に、考え過ぎてしまう性格や、人のことを思いやりすぎる人は、お返しひとつとっても一般的な人の何倍もの労力を使ってしまう。結果的に「もう何もしてほしくない」という風に心を閉ざしてしまうこともあるため、やっぱりギブアンドテイクの精神は、絶対に押し売りしてはいけないし、あえて素晴らしいものだとはいえない。私は個人的に、嫌いである。

ギブアンドテイクはやっぱり嫌い。義務感で縛られないで。

してもらったら返すのが当然だ、という考えもわからないわけではない。大人の日常や仕事では、もちろん対等な立場としてやっていくためにそうした心配りも必要なことが多いからだ。

でも、せめて私生活くらいは人の見返りを気にせずに生きたい。私は誰かに何かを与えたり、手を貸したりするときに「世の中はギブアンドテイクだから」するのではなくて「相手の笑った顔が見たい」と思うのが、本当のギブなのだと思う。

また、相手がどんどん何かを与えてくれればくれるほど、何も返せない自分で申し訳なくなるという気持ちもある。だからこそ、安易に人に手を貸してもらったり、甘えたりするのが怖い人もいるのだ。

お互いに、何かを与え、感謝の気持ちと共に何かを返せる関係というのは、確かに健全で安定している大人な関係だと思う。ただ、それが世の中の常識であり、全ての人が簡単にできることだとは思わない。それが「普通」になってしまうことで、誰にも頼れなくなる人がたくさんいるのだ。

だから、ギブアンドテイクの押し売りは嫌いなのだ。/Kandouya編集部

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