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母性の核心に触れる映画「子宮に沈める」を、世の全親に勧めたい理由とレビュー

映画「子宮に沈める」は覚悟を持って直視するべきだ

あなたは幼い頃、母親と「幸せなら手をたたこう」を口ずさんだことはないだろうか。

『幸せなら手をたたこう、幸せなら手をたたこう、幸せなら態度でしめそうよ、ほらみんなで………』

心の闇を痛ましいほどに真っ向から映し出す監督、緒方貴臣さんの作品「子宮に沈める」は、2013年に公開された映画だ。筆者はこの映画を知っていたものの、先日ようやく見ることに決めた。

正直、見る勇気がなかったのだ。それは虐待の様を見ることが辛いのでもなく、悲しい気持ちになりたくなかったわけでもなく、ただただ「これが本当にあったこと」という現実を受け止めるだけの器が自分にはないような気がしていたのだ。

結論から言えば、鑑賞後、「この映画はあらゆる親が一度は見なくてはいけないのではないか」と強く思った。その理由と個人的な感想を交えレビューしていく。

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TVを見れば当たり前のように流れる虐待死のニュース、育児放棄。これはいつの時代も、公になっているかいないかだけの違いで、目立ったか目立っていないかの違いで、今でも絶えず続いている。

子宮に沈めるは実際に起きた「大阪二児餓死事件」からインスピレーションを得た監督の、生々しい虐待死の物語である。実際の事件とは異なる部分もあるが、ほとんど実話だと思っていい。実際にこの事件を題材にしていると監督は語っており、母性とは何なのか?について切実に考えたとも答えている。

「子宮に沈める」のあらすじ

ロールキャベツを一生懸命作り、手編みのマフラーを一生懸命編んでいるような真面目でいい母親だった女性は、離婚後、まだ幼い子供2人を自宅の一室に放置し帰ってこなくなる。母親を信じ続ける長女・幸は、まだミルクを手放せない弟・そらと一緒に懸命に生き延びようとする。泣きじゃくる弟をゆりかごにのせて何度も揺らし、小さな手で必死にミルクを作った。それでも、食べ物もなくなりゴミを漁るようになる。弟が衰弱死した頃、何も知らずに誕生日を1人祝ってあげる幸……

画像引用「子宮に沈める」公式サイトより:http://sunkintothewomb.paranoidkitchen.com/story.html

生活音しかない映画が伝える強いメッセージ

画像引用「子宮に沈める」公式サイトより:http://sunkintothewomb.paranoidkitchen.com/story.html

”大人の事情”を限界までそぎ落とすことで映るリアル

人は映画を見る時、自分の経験則から考えたり、自分の世代や葛藤に対して共感し感情移入する。だからこそ「子宮に沈める」では、邪魔な大人ならではの雑念を可能な限りそぎ落とし、ただそこにある子供の現状を、子供の生き様を、子供の心を、映し出したのだと思う。

大人が見ると低い椅子の一つが、子供にとってどれだけ重く、めいっぱいの力で動かさなければならないか。大人がいとも簡単にはがせる粘着テープも、子供には剥がせない。インターホンが鳴り声を出したくても、インターホンに出るまでに時間がかかり、声を出した時には誰もいない……

この映画はすべてがローアングルで撮影されていることで有名だ。実際に子供を放置して出ていった母親の顔さえもほとんど口元より上は映っていない。まだ幼い子供は、それでも、母親の本当の表情が見えなくても、足にまとわりついて抱きしめてもらおうとするのだ。これを本当に知るためには、大人にしか分からない事情や感情は、必要ないのだと思い知らされる。

劇中の子供たちと同じく、見ている者も外には出られない

画像引用「子宮に沈める」公式サイトより:http://sunkintothewomb.paranoidkitchen.com/story.html

この映画はごくありふれたマンションの一室だけをひたすらに映し出す。観ていると呼吸もできないほど胸が詰まり、ただ見ているだけなのにやはり何度か逃げ出したくなる。しかし休憩しても、ひとたび戻ればそこはまた同じ部屋の中だ。

これは「子どもたちは逃げたくても逃げられない、だからあなたたちも決して逃がさない、逃げてはいけない」と伝えていると感じた。

子宮に沈めるで表面的に言えば「最低のネグレクトな母親」である女性は、ここから逃げた。目を背けた結果、幼い命が奪われた。その現実を見てくれ、感じてくれ、確かにここにあるんだ、という圧は、じりじりと迫る子供たちの命の終わりと共に、観ている者の心を突き刺していく。

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健気な母から殺害までの振り幅が意味すること

画像引用「子宮に沈める」公式サイトより:http://sunkintothewomb.paranoidkitchen.com/story.html

冒頭からしばらくは、どこをどうとってもいいお母さんという様を描いている。子供たちに微笑み、歌い、あたたかい手料理をふるまい、泣いていても苛立ったり叱りつける様子もなく…

どんな虐待も、ネグレクトも、なにも最初からその母に埋め込まれたプログラムではない。じわじわと、確実に心が壊れていくのだ。

母世代に「こうはなるな」と伝えているわけではない

この作品を観た人は、たとえば育児中の人であれば「こんなことをしてはいけない」「最低の見本だ」と思うかもしれない。しかし「子宮に沈める」が伝えたいのはこうならないように「がんばってください」ということではない。

人には表面的な笑顔や見せかけの顔がある。1人で育児をこなすのが本当はつらくても言えなかったり、どんなに大変でも「して当たり前だ」という概念があり、それは女性だから母性があってできるものだとはなから植え付けられているからだ。

どんなに頑張っていても、人間は心が弱くなる瞬間や折れてしまいそうになる時もある。果たして「この事件は母親のせいだ」と一口に言えるだろうか。手を差し伸べるべき人はなぜいなかった?何がここまで女性を追い詰めた?

本質を考えることにこそ、意味がある。

「私は大丈夫」「自分の周りにはこんな人はいない」は甘い

あなたはシングルマザーの友人に向かって、安易に「頑張れ」と声をかけていないだろうか?いい企業に勤めている夫の自慢話や、わが子にしてあげていることをしれっと主張していないだろうか。

見た目が派手でヒールを履いた若いママに向かって、よく知らずに「子どもがかわいそう」「きっとちゃんと子育てしてあげてないんだろうな」なんて密かに思い、嫌な視線を送っていないだろうか。「離婚したのはあなたの責任なんだから、何があっても強くなりなさい」「私の時代はもっと過酷だったわよ」なんて説教していないだろうか。

そして、自分は100%こんな風にはならない、と断言してはいないだろうか。

誰かのほんの一言、ほんのささいな言動が、頑張る母親を追い詰めてしまうことだってある。「あの人はいつも楽しそうね」なんてはた目から見て思えるあの奥さんも、実は苦しんでいるかもしれない。

困っている人を助けてやれなんて言えないし、誰でも自分の家庭で精いっぱいだ。

しかし想像力をもっと働かせて、この映画のような現実は誰にでも起こりうることだと身近に感じてほしい。正解でも不正解でもいい。一人一人が想像力を少し持つだけで、人に対して思いやりや理解が増える。

あえて観る人に「答え」を委ねた映画。あなたは何を思いますか?

最後に、育児放棄や虐待、そして最悪の結果死なせてしまうということはあってはならないことだ。何があっても、子供の命を産んだ以上、本人の意思を無視して奪うことなどあってはならない。

そのことを大前提にしても、世の中で起こるこうした悲惨な事件に対してもう一歩、二歩、深く考え捉えてみようじゃないか。

「これはごく一部のダメな人間のやったこと」と他人事で見ている限り何も変わらないのだ。

今回筆者はあえてこの映画「子宮に沈める」を最後まで直視したことによって、子供にも知人にも他人にももっと優しくなれるような気さえする。ぜひあなたも、母性とは何か、子育てとはなにか、なんでもいい、考えてみてほしい。

夕食一品がスーパーで買ったコロッケでも、その人たちの今日が幸せならば、誰も批判する権利などないのだ。

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