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角田光代【愛がなんだ】映画レビュー|愛に正しさなんかない

画像出典:映画『愛がなんだ』公式サイト

「八日目の蝉」「紙の月」などの代表作で知られる角田光代の「愛がなんだ」。2003年初版の小説が映画化した。

猫背でひょろっとした、何の変哲もない男に惹かれ、仕事も生活もすべて彼に投げ打ってしまう20代後半女子を中心に「愛ってなんなんだろう」ということを私たちに問いかけてくるストーリーである。

筆者は原作を読んでいないため、純粋にこの映画単体での評価と感想をレビューしていく。

この映画は、単なる恋愛映画、片思いのつらさを描がいたものではなく「愛とは、ひとつになること」を指しているというメッセージが感じられた。

「愛がなんだ」のあらすじ

テルコは友人の友人の結婚式で、守に出会った。パーティーの苦手な者同士という親近感から、仲良くなっていくが「恋人」になることはなかった。ただ、テルコは守に恋心を抱いていて、守からの着信や呼び出しには、いつなんどき、どんな状況でも応じた。デートに誘われれば仕事も休み、会社にいても仕事に身が入らなくなる日々……。

一見ダメな男女の典型だが、その周辺で起こる男女の恋愛模様はあまりにリアルだったーー。

「愛がなんだ」キャスト・スタッフ

主要キャスト

  • テルコ …… 岸井ゆきの
  • 守   …… 成田凌
  • 葉子  …… 深川麻衣
  • ナカハラ … 若葉竜也
  • すみれ …… 江口のりこ

スタッフ

  • 監督 …… 今泉力哉
  • 脚本 ……  澤井香織・今泉力哉
  • 原作 …… 角田光代
  • 音楽 ……ゲイリー芦屋

「愛がなんだ」を考察してみた結果「すべてはひとつ」の考えに繋がった

愛ってなんだろう。私は人生においてこのことを考える機会が多い。私はどちらかといえば、テルコや中原のような「与えすぎる」タイプの人間であり、自他の境界線をときどき見失う。だからこそ、この映画の中には強く共感できる部分がものすごくたくさんあった。

「マモちゃんになりたい!」と言ったテルコ

テルコは、実質片思いである守への愛情を「マモちゃんになりたい!」という言葉で表現するシーンがあった。

実は筆者も、本当に心から好きだと思える人に対して「この人になってしまいたい」「なぜ私はこの人に生まれなかったのか」というもどかしさや悔しさを感じることがある。身近な恋愛でもそうだったし、好きな音楽家や作家などに対してもそう感じることがある。もうそれは「好き」とか「嫌い」ではないのだ。嫌いになる瞬間など、永遠にない。

これは多少なりとも「自他の境界線」に関係しているのではないかな、と感じた。

境界線の薄い人は、自分と他人の境目がわからず、人に合わせすぎたり自分を見失ったりする。テルコはまさにそのいい例であり、自分がどんな状況でも常にマモちゃんを大事に、気を配り、なんでも受け入れる。

そういう女の子って、今の時代では「自分がない」「恋愛体質」「彼氏依存」のように批判や揶揄をされてしまう場合がすごく多い。

自分を強く持っている女性の方が素敵。やりがいのある仕事をもって、恋愛はほどほどくらいの女性の方が輝いている。

そんな声を聞くことも少なくない。でも、それがさも正しい女性像かのように広まってほしくない、ということはテルコを見ていて強く思ったことだ。

人の生き方も恋愛観も、すべて「ひとつ」の形に統一できるわけない。

強い人は弱い人に頼っていて、その強い人も誰かにとっての弱い人

表面的に強く見える人、自分をもっていてしっかりしているように見える人も、実はどこかで弱い人に依存して、頼っている部分がある。

たとえば、都合のいい女や体だけの関係、友達以上恋人未満、自然消滅……恋愛におけるさまざまな問題には「強い人」とそれに振り回される「弱い人」の縮図というのがあると思う。

ただ、その強い人も、他の誰かにとっては依存の対象となる「弱い人」である。

強い人が弱い人に頼り、またその強い人は他の誰かにとっての弱い人。これは、恋愛関係だけでなく親子や友達関係なども含まれていて、表面的にこの依存の環は見えにくい。

世の中、たったひとりきりで生きている人間なんていないから、どうしてもどこかに拠り所を求めて、頼って……と準繰りを繰り返しているのだ。

テルコはマモちゃんに依存されているが「マモちゃんがいいならそれでいい」としているのだが、同じ状況に立たされている中原に対しては同情し、親友の葉子に怒りをぶつけた。自分も同じようなことをされていることなどまるで気づいていないかのように、中原をいいように扱っている葉子を批判する。

このシーンで私は「どんな人にも依存心がある」ということや「他人から見た愛の形なんて真実ではない」ということを思った。

すみれが中原に、葉子のことを「そんな女最低だよ!」というようなことを言えば、中原は柄にもなく怒りをあらわにしたのもそうだ。図星であったからこそ、怒ったのかもしれないが「他人に何がわかるんだ」という説明しようのない気持ちから、話を自ら閉じた。

他人から見たら不自然な愛でも、本人にとっては美しい愛であることも

「そんな男を好きになるなんてバカだ」

「都合のいい女になってしまうのは、心の弱さのせいだ」

テルコは他人からみれば、そんな風に映るだろう。

またテルコを都合のいいように頼る守も、他人から見れば「最低な男」「うぬぼれている」と批判されるだろう。

中原の場合は、葉子のいいなりになって尽くすことで葉子をダメにしているのは自分なのではないか……と自問自答するようになった。そして、優しいふりをして相手を甘やかすのはもっとも残酷な自己愛なのではないかと感じていた。

中原のこの「残酷さ」は私も感じたことがあって、ものすごく切なくなった。「あなたがいいならそれでいい」「自分はそんな存在でもいい」そうやって優しいふりをして、相手を優先させて自分の本音を隠しているのは、実際いちばん残酷なのかもしれない。

愛とは「相手のそのままを受け入れられること」

愛ってなんだ。

それは、自然のままを受け入れることだと考えている。無条件の愛だ。

守がすみれのことを、ガサツなところも、酒ばかり飲んで肌荒れしていても、そういうのも全部ひっくるめて好きなんだと言ったのはそういうことだ。そして、テルコはそれを守に対して感じている。中原は葉子に対して、そう感じている。

「この人のことならなんでも許せるし、損や得も関係ない」そう思うことも、愛なのだ。

相手に何をされても許せ、というのは違う

そんな疑問を、この映画ではちゃんと答えを示してくれていた。それが、子供時代のテルコの登場だろう。

好きなんだから、それでいいじゃん!大人は考えすぎなんだよ。と言う子供時代のテルコ。確かに、愛に従って、自分の心に忠実に……そうやって生きていくのが自然なのだ。

でも、それでは社会が成り立たない。

「社会を回すために生きているわけじゃない」と言って、守を追いかけ続けていたテルコは、最後にとても賢い方法で守の幸せのために身を引く。自分の本当の気持ちを抑えて、守の幸せをただただ願った。

数ヶ月前のテルコは子供そものもであったが、本当の愛を実感したからこそ最終的に「大人になった」のだろう。

愛や好きは、ときどき自分を傷つける人を許そうとすることがある。許したかったら許していいのだけど、やっぱり人間は社会で生きていかなければならない。動物のように本能に任せて生きるわけにはいかないのだ。

だからこそ、自分にとってもう限界である時期には、これまでに出せなかったエネルギーを自分のため、守るべきもののために全部使ってみるようなことが必要で。その度胸が、人の生きざまとして今後の人生に影響していくのだ。

「すべてはひとつ」という考え方に繋がった

テルコが守になりたいと言ったことや、守がなりたかった像の飼育員になったこと。また、ナカハラは、葉子が「さみしいな」って思ったときに自分を思い出してくれるだけでいいと言ったこと。

それってもう、自分と相手はひとつだという考えなんだ。人から見たら「何それ?そんなの意味ないよ」と言うだろう。

でも私にはその気持ちがわかるんだ。別に何もいらないんだ。ひとつになれる感じをいっときでも味わえたら他には何もいらない。「この人が楽しいのなら、私はそれでいい」と思うのは、それがひとつになったということ、つまり愛の実感だから。

ただ、社会で生きていくのなら、やっぱりどこかで自分をもたなくちゃいけない。でも、そういう愛を最初から知っている「弱い人」が、世界には必ず必要であり、それでいいのだろうと思える。弱い人、人に合わせすぎてしまう人、恋愛でいつもつらい思いをしてしまう人、そんな人がもしかしたらいちばん愛情深い人なのかもしれないのだ。好きと言えないのは、主張が弱いのでも、自分がないのでもなく「相手を大切に思う愛」なのではないだろうか。

そのことに、多くの人が気づいていないだけなのかもしれない。/Kandouya編集部

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