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【episode3】正論ばっかり言われてもなあ。

正論というのは、いくらでも転がっている。清く正しく美しく。それが人間の在り方だと言わんばかりのことだって、色んな理屈だって、正論はいくらでも転がっている。

でも人間は正論だけではとてもじゃあないけれど生きてはいけない。

だって、愛を持って接しているつもりでも関係がうまくいかなかったり、正直でいようとまっすぐまっすぐ接しているつもりでも傷ついてしまったり、強くなりたいと死ぬほど心に誓っても、やっぱり折れそうにもなる。

何が正しくて何が間違いだなんて、結局のところ自分が関わる人との、お互いのOKとNGの問題なのに、正論という名の「人間マニュアル」がこの世にある限り、時々は息が詰まる。

私は誰かに「まあこういうときは○○する方が良いよね」と正論めいたことを言ってしまうと、どうも心がザワザワし始めるのだ。「とはいっても、実際はできないもんだし、できないからこそ人間くさくていいのにな」と思っているからだ。

こんなことを考えながら、ふいうちな夕方の雨に打たれて信号待ちをしていたら、花を抱えた中年の女性が傘をさしかけてくれた。「どうぞ、まあ、信号待ってる間の短い時間だけど。小さいお子さんもいるからね」

私はうっかり数秒かたまってしまった。「あ、ありがとうございます」

困っている人がいたら助ける。これもひとつの正論かもしれない。でも、その女性が、この先私(と子供)がどこへ帰るかもわからないことから「短い時間だけど」とほほ笑んだのを見て、できる範囲で、気が向いたから差し掛けてくれた傘のぬくもりを素直に嬉しく思った。「優しさ」って本当は、これくらいの手軽さで十分なのだ。どちらも気負わない、そんなくらいで。

正論通りに生きようとしたって、私たちにはできっこないんだ。頑張ろうと決めても頑張れなかったなら、それでいい。自分を奮い立たせたくて心に嘘をつくことだって、ある。大切な人の心情を汲み取れないことも多い。

もがいて情けなくてみっともないと思えても、正論通りに生きる「マニュアル人間」になる必要はないのだ。やらなくてはならないことを2時間ずらして、いつのまにか眠ってしまって慌てる翌日の朝も、人間らしくていい。

kandouya編集部/モリハナ

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