kandouya

ネガティブ/マイノリティ専用WEBマガジン

【episode5】沈黙という”思いやり”

何かあると、「黙ってしまって何も言わなくなる人」のことを好かない人はいると思う。誰かに対して、言いたいことがはっきりとどんな状況でも言える人もいれば、言えない人もいる。

どちらかといえば言いたいことが言える人の方が、黙ってしまう人を見てイライラすることもあるのだろうし、第一黙っていては何を考えているのかもわからないじゃないか、と感じるんだと思う。

確かにそれは一理ある。

結局のところ、思っている事や気持ちは、声に出して言葉に変えて相手に伝えることをしなければ届かない。どんなに付き合いの長い友達でも、長年付き合っている恋人同士でも、夫婦でも。心の中でどんなに「ありがとう」と思っていても、言葉に出さなければ表情に現れにくい人もいるのだ。

私も長いこと、「はっきり言う人」「黙る人」という二つのパターンの中で色々経験した来たように思う。それに、そういう大きく分けた関係性の中で、物事を捉えることも多々あった。

しかし今、「はっきり言う人」「黙る人」の他に、「言わない思いやりの人」がいるということに気が付いているのだ。これもひとつの視野なのかもしれないけれど、そういうものを持っている人がいるんだってこと。

こういう人は、言いたいことが言えないわけでも黙って逃げているわけでもない。

たとえば、自分と対面する相手が感情的になっている時、自分自身も感情的になってきてヒートアップする構図はよくあることだと思う。そこで感情的VS感情的になるのはそれなりに簡単なわけだけれど、それもふまえてよくよく考えてみると、ここで黙って相手の感情を見届けることの方が難しいのではないか?とも思うのだ。

人間は完璧じゃないし、理屈で自分をコントロールしきれるほどできていない。だからはっきり言えるタイプの人からすれば「黙ってるのはずるい」と思うかもしれない。でも、だったらなおさら、「あなたは感情的になっている相手の本当は思ってもいないけれど言ってしまった暴言や悲しい言葉も最後まで黙って聞き続けられますか?」と問いたい。

私には、できないかもしれないなあ。

「黙るという思いやり」を持っている人って、本当は一番器がでかくてどっしり構えているのではないか。それに、案外人間って、そんなにべらべら喋らなくても生きていけるし、「言わなくちゃ」と焦ることもそんなにないのである。

今私の周りには、こうした主張や発言だけでなく、黙って言葉を減らすことで冷静にその場を見ている優しい人がいる。語り合ってみるととても本質的であり、静かで穏やかなぬくもりのようなものを、まとっているようにも見える。ああ、私こういう人好きだなあ…そう思ったのだ。

大切に思うあまり、心を通わせたいと思うあまり、その思いがよじれてねじれていつしか傷つけあうこともある。原点に帰ってみるとただ好きなだけなのに、いい関係でいたいだけなのに、どうして相手に「うざい」なんて言っているのか。

そんなことを繰り返すくらいなら、時々は黙っている思いやりもあっていいのではないだろうか。言葉は、手段であって目的ではないのだ。人と人が交わるための、ひとつのツールなのだと思う。

kandouya編集部/モリハナ

おすすめ書籍《トラウマ・HSP・アダルトチルドレン》

スポンサーリンク

Return Top