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ネガティブ/マイノリティ専用WEBマガジン

【episode6】自分へのハードルを下げ、スモールステップで生きる。

「1歩踏み出せない」

この言葉は、よくありがちな言葉だ。本当は人間なんて一人一人、その1歩の歩幅が全然違うのに、まるで「これくらい進んで当然」というような無理な1歩を強いられているように思う。

自分では気づいていなくても、知らないうちに自分に掲げたハードル。そして、失敗したり怖がったりするうちに、できない自分を責めて、さらに「なぜできないのか」とハードルをどんどん上げてしまう。

けれどどんな人だって、スモールステップで生きていいのだ。

それは、あなたなりの”小さな1歩”をさらに小さく小さく細分化して、昨日よりわずかでも進んだならばよしとする、自分はちゃんと進んでいるのだと感じながら、確実な小さなステップを踏んでいくことじゃないかな。

できてるのか?変わることができているのか?よくわからず、自信確信のない歩幅で進むから、心に浸透していかないんだと思う。

たとえば、すごく嫌な仕事、学校、環境があって、朝起きるのも用意をするのも憂鬱で、それでも昨日より1分早く起きることができたなら、それだけでも「頑張っている」と自分を認めて褒めていいと私は思う。

大人なんだからこれをしてちゃあいけないなんて、一体だれが言い出したのだろう。子供だったら許されることが、大人になると許されないのもまた、誰かが決めた「これで当たり前」「このくらいは普通」というよくわからない概念だ。

心を壊し、身体にムチを打って生きることが「頑張っている」のなら、いずれこの世からまともな精神状態の人間はきっといなくなる。「愛されたい」とも「認められたい」とも言葉にできないまま、やがて心が限界を迎え、生きている意味さえ見失う。

そして、「私は他の人より劣っている」とか「きっとあの人は凄い人なんだろう」なんてよく思うと思う。でも、大体そういうのは思い込みだし、どんな人も立派に見える人も強く見える人も、意外と弱いし臆病だったりする。蓋をあければ、みんな大して変わらないものだよ。

「それでいいよ」で笑い合えること。自分ではみっともなくて情けなくて消えてしまいたいと感じるような出来事、記憶でも、他人から見ればかわいそうだと決めつけられてしまうことでも、「それでいいよ」で笑い合えたなら、たったその一言でどんなに生きやすくなるだろうか。

こんなことを本気で願っている私は、きれいごとだと鼻で笑われてしまうかもしれないけれど、別にひとりくらい、こういうことをしれっと言ってのけるやつがいたって悪くないでしょうと開き直っている。

だからあなたもスモールステップで、頑張り過ぎず、開き直って。本当は無理だってわかっていたって、かならずどこかに理解してくれる人間がいる。この世は冷たく汚く果てしないくらいに広い。ただひとつの小さな輝きを見つけるのは困難だ。だけどそれを見つけられたら、ちょっとだけ、もう少しやってみるかって思えるから。

kandouya編集部/モリハナ

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