男尊女卑から、女尊男卑へ
女は賢い、女は強い。
なんだか違和感がある。現代の、男尊女卑を挽回しようという動きの陰に、何か違うものが見える。男尊女卑を通り越して、女尊男卑の時代になったら嫌だなぁと、思っている。
今まで女性は、男性の後ろを3歩下がって歩き、男性のためにお茶を沸かし、その立場の違いを感じてきた。月経や出産、授乳育児などを当たり前に耐え忍ぶことが、女性の仕事とされてきた。本当に女性にとっては暗い時代だったのかもしれない。今だって、まだまだ女性の立場が弱い現状は多くあるだろう。
ただ最近、様々なメディアで見聞きするエピソードやメッセージを見ていると、女性たちの長年の恨みつらみのようなものが、男女平等の影に隠れているような気がしてならない。「男性が出産の痛みを味わうと死ぬらしい!」「男性にも生理痛の地獄を一度でいいから味わってほしい!」「育児や家事を“手伝う”という感覚はおかしい!」「男は結婚前に徹底的に教育しておくべき!」
私たちが苦しんできた分、男たちも苦しめ!そう言っているようにしか、聞こえない。男女平等や、女性の社会的地位の確立を目指しているのか。それとも、女性たちの今までの恨みを晴らすべく、男性が攻撃されているのか。正直、女性という立場から見ても、行き過ぎと思えるような“女のすごさ”と“女のしんどさ”アピールがあるように思う。
男はバカなんかじゃない
じゃあ、男性はしんどくなかったのか?女の上に乗っかって、いつも良い思いばかりしてきたのか?絶対にそんなことはない。
男性は、産まれた段階で、女性よりも6週間程度発達具合が遅れている。また、産まれる以前の胎内では、母親のストレスの影響を受けやすく、精神的に非常に弱くて敏感であるとされている。男の子の方が甘えん坊であるというのは事実で、ストレスを受けやすく不安になるために母親への甘えが強くみられるのだ。言語の発達も女の赤ちゃんより遅く、なかなか言葉が出ない。心に浮かんだことを、言葉で表現することができず、突然走り出したり手が出たりするようになる。
例えば、幼児でも女の子は言語の発達が早いため「お母さん、お腹空いたからおやつたべたいな。」と、気持ちを話すことができる。すると親は「そっか、じゃあ何かおやつ用意するね。」と、自然なやり取りができる。しかし男児は言語の発達が未熟であり、その言葉が出る前に、行動に表してしまう。勝手にお菓子の袋を開けたり、冷蔵庫を開けることもあるだろう。
しかし、そんな脳の仕組みを知らない大人は「まったくダメでしょ!」「もういい加減にしなさい!」と叱り飛ばす。元々思っていることは同じ「お腹が空いた」ということなのに、言葉が出る女と男ではこうも対応が違う。男性は幼児期からきつく叱られながら育てられていることが多い。仕方がないといえば、そうなのかもしれない。
親は、男児が突然走り出したり、危ない行動に出ることがないよう、常に気を張っている。危険回避にばかり気を取られて、ゆったりとした会話、情緒的な雰囲気を楽しむことも、少なくなる。
さらに男という性別であるだけで「強くなければいけない」「弱いことは恥ずかしい」という教育を受ける。同じことが起こっても、女の子はよしよしとなでられ、男の子は「男の子なんだから泣かないの!」と言われてしまう。
こんな風に育てられてきた男性に、女性の気持ちをすぐに分かれ、察しろと言っても無理だ。もちろん、女性も男性の気持ちを理解するのは難しいだろう。でも、女性ばかりが大変な思いをしていて、男性はのうのうと鼻くそをほじりながら生きているとでもいうような風潮はおかしい。性別は、どっちがえらくてどっちがバカかを決める物差しではない。なぜ今の女性たちは「女の方がしんどい!」と思ってしまうのだろうか。
私は男性に出産の苦しみを味わってほしいとか、生理痛の痛みを味わってほしいとは思わない。それは、ただ単に「私が苦しいんだから、あんたも苦しい思いしてよ。」と言ってるいるのと同じだ。「私のことが好きなら、私と一緒に死んでよ。」にも似た、恐ろしいセリフだなぁと思う。
男女平等を叫ぶ前に、相手の性をもっと知るべき
男性だって、女性と同じくらい大変な思いをして生きている。平等平等といいながら、とっくに平等のラインを追い越して、女尊男卑に向かっているような気がしてならない。
もちろんまだまだ女性が社会に出にくく、特に子育ての面ではかかる労力もストレスも大きい。しかし、生物学的に女性が子どもを産み乳を飲ませるというシステムがある以上、完全なる男女平等を今すぐ完璧に実現するのは難しいだろう。社会のシステムや常識に対して憤りを感じるのは分かる。しかし、だからといって男性をバカにしないでほしい。お互いに、よいところを褒め合い、不足するものを補い合うような家庭を作るには、相手を攻撃したり、蔑んだりしても何の意味もない。子供はそんな両親を見て育って、大人になって、また同じようなことを繰り返す。
いくら正しいこと、もっともなことを言っても、そこに相手への愛がなければ意味がない。相手を本当に愛しているのなら、分かってもらおうとするのではなく、相手の性を自分からもっと知らなければならない。人間の性は、知れば知るほどおもしろい。男性と女性にはこんなに違いがあるものなのかと、驚くだろう。そして、そんな違いをよく知らないまま、お互いの性をバカにし合い、勝負しようとするような浅はかなことは、時間と労力のムダでしかないということに、多くの人に気づいてもらいたいと思う。
(文・夏野新)