自分ってほんとクズだな。
そう思うことは、悪いことだろうか。自分を卑下してはいけない。自己否定している限り幸せになることなどできない。
もちろんその理屈は重々承知である。自分に対してそれなりの肯定感をもって、楽しく、仲間と和気あいあいと生きる人は、確かに幸せそうにみえることもある。
それに引き換え自分は、ことあるごとに自分のクズさに失望し、ダメなところばかりに目が行き、落胆してきた。
いいことがなかったわけではないけれど、そういう「自分ってクズだな」と思うことの方が多いかもしれない。でも、それがなかったら自分はどういう人間なのかと考えてみると……
なんか、自分らしくないな。
という矛盾のようなものを感じはしないだろうか。
「自分クズだな」と思う瞬間
自分、ほんとクズだな。そう思う瞬間は日常にいくらでもある。思い返してもその量と頻度の多さに、どれをピックアップしたらよいかも正直わからないのだけど、思いつくままに並べてみる。
人のせいにしてきた
色んなことを人のせいにしてきた。漠然と心のどこかにずっとあったんだけれど、私は自分の不甲斐なさを人のせいにして心の中で怒ったり、泣いたりしてきた。
しいて誇れることは、それを表に出して言葉で人を傷つけることはしなかった点だけ。でも、どんなに表に出さなくとも心の中では人を憎み、怒り、人に全責任を押し付けた。理由はいくらでも思いついた、自分は悪くない。自分は生きててもいい。そう思うために、心の中では全部人のせいにした。
でも「本当は自分が悪いのに」という気持ちは消えない。でも「自分は悪くない」と思いたいようなかすかな気持ちがあって、それを尊重したいときには必ず人のせいにしてきたのだ。そんな自分がクズだなって、今でも思うんだ。
環境のせいにしてきた
自分をクズだと思うのをやめられないのを、いつかの環境のせいにしてきた。だってあんなにがまんしてた。あんなに悲しかった。その時のことをいつまでも引っ張り出してきて、自分がクズなのはこういう環境のせいですって言うんだ。だってそうだろう。
でも、なんかそれを言い訳している自分の姿もあって、そのときの自分からの視点が痛いんだ。だからたぶん、私は「あのときの環境がもっとこうだったら」「あの時代の環境が私に合わなかったから」という、たらればを口にしてしまうんだ。そんな自分は本当にクズという他ないだろう。
嫌なものから逃げてきた
嫌なもの、無理なこと、できないこと、知りたくないこと。そういうことから逃げたかったし、実際逃げて生きてきたと思う。知らぬ間に逃げていたこともあっただろう。だって無理なんだ。嫌いなんだ。できないんだ。
でも、そんな逃げている自分を自分はちゃんとわかっている。だから今自分はクズなんだって、どんよりした気持ちになっているんだろう。立ち向かえなかったことも、立ち向かえなかった理由も、全部わかってる。でも、誰かのせいにしても何も解決しないし、受け入れてくれる人なんかいないってもうわかってるから、だから自分をクズってことにすれば万事休すだと思っていたんだ。自分だけは自分の見方だろうって、思いたいみたいな感じがする。
愛すべきものからも逃げてきた
愛すべきもの。なんとなく気の合った友人。ときどき顔を合わせてた人。一時だけでも助けてくれた人。別に、その人たちに全生命をかけて愛を語れるような関係ではない人たち。そういう人からも全部逃げてきた。自分はあんたとは違うって思ったり、あんたの世話になるなんてごめんとか、あんたに自分の何がわかるんだとか、どうせあんたも離れていくって思ったりした。
愛ってなんなのかとか、好きって何なのかとかもうわからないから、よくわからないこわいものは全部要らないものとして逃げてきた。
クズな自分から逃げたくて生きてきた
自分ってクズだなって思うのは、いけないことなんだ。自分を愛せないと、自分を良いと思えないとダメなんだってみんな言うんだよ。
でも、自分がクズだと思ったからこそ、誰かにすがらなかった。
「クズだからしょうがないじゃん」
「クズだから、誰か私を救ってよ」
そう思ったことはなかった。クズな自分を、自分だけは手放さなかった。
「自分責めは甘えだ」なんて言うけれど、自分には甘えたっていいじゃないかっておもっていたのかもしれない。他の誰かに甘えるのは苦手でも、自分が自分の中で甘えて言い訳つっくって逃げていても、いいじゃないか。そうしてきたから、今私たちはここにいられるんじゃないか。
自分には嘘をついても、その嘘を自分はわかってる。人のせいにして逃げてることも、何かのせいにして閉じこもってることも、自分はわかってる。自分だけは、これまで自分を見捨てなかった。だから今、あなたも私もここに生きてる。
自分クズだなって思ったから、成長してきた
自分クズだなって、思ってもいいじゃないか。思うくらいなら、自由じゃないかな。
人は「俺ってクズだからさ」って言うのは、強がりで甘えだという。強くないけど、なんとなく強い部分もあるような感じに見せて生きる。でも、自分のクズさは武器だった。
だから、成長してきた。クズだったから生きてきた。でも、そんなゴミ箱に捨てられた紙クズが誰かの目にフッと留まって、開かれて「なにこれ、おもろい」ってくすっと笑う人も、もしかしたらいるかもしれない。こんな、ゴミクズみたいな文を、今あなたが読んでいるように。
クズだったけど、今生きてる。自分の嫌なところばかり見てきたからこそ、ここまで成長してきたと私は思っている。/夏野新