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day1. 名前|「星空は、雲を食べたい。」fromソラ

二月の夜、寒空をめいっぱい感じたくて窓を開け、遠い星を眺めると、気持ちが輝く瞬間がある。誰しもが光を持って、星空を作っている一人だと思うと、奇麗な星も人のように満たされず、何かを欲している気がしたのだ。

「染まらず、詰まらず、浮遊していて掴みどころのない、雲はなんて自由なんだろう」と、星の声が聞こえた気がした。

満たされないままの不完全だっていい。

星空は、それだけで美しい。

人だって、それだけで美しい。

雑音の中を駆け抜けて、持ち主の耳にもぐりこむ言葉

「ソラ!」と、知らない母親の叱り声に何度振り向いたことか。田舎のショッピングモールでは、やんちゃな3歳ほどの男の子がよく走り回っている。

広いところに出ると、なんだか解放感に溢れて走り出したい気持ちはよくわかるが、私は20代女性の「ソラ」なので、「可愛い服ないかぁ」など思いながら、ゆったりと歩いていた。

もちろん、自分の名前を大きな声で呼び、「待ちなさい!」と、追いかけてくる女性は、私の母親ではないのだが、名前は雑音の中を駆け抜け、持ち主に辿りつく言葉なのだろう。

私もよく母親の目を盗んでは、本気で叱られない程度の悪さをこっそりしていた気がする。ばれたら、母に追いかけられ、抱きしめられ、涙が出るまでくすぐられるやつを。条件反射で身構えてしまう。

「ソラ!」と、大人の女性に叫ばれると、全速力でその場から逃げ出していた記憶が反応してしまう。今でこそ走り出しはしないが、心臓に悪い。

「おぉ、びっくりしたわ」と、こぼす私は、声の主が自分の母親でないことを確認するかのように、一緒に買い物に来ていた私の母に話しかけたことが何度もある。

そのたびに、母はケラケラと笑うのだが、懐かしいような、悔しいような気持ちになって、「もう。」と、言って会話は終わる。

幸せが降ってくる合図の音

母は23歳の時に出産し、私が上京するまでの22年の間、いつもそばにいて育ててくれた。

一人っ子なのもあり、母がよく遊んでくれた記憶がある。一緒におにごっこをして、一緒に砂場で穴を掘ってくれるような母だ。

小さいときから、母でもあり親友でもあった。服を交換するようになった頃、それなりに反抗期をむかえ、たくさん喧嘩もした。実家をでた今でも、母が私の安全基地であることは変わりない。

私の名前をつけてくれたのは母だ。そして、人生で私の名前を呼んでくれた回数が、一番多い人も母だと思う。「なんだか好きだな」と思う人が、会話の節々に自分の名前を入れて話してくれると、不思議とどっぷり甘えたくなってしまうし、永遠に話を聴いていたいと思ってしまう。

無意識にも、母と名前を呼んでくれる他人が重なって、安心を感じているのかもしれない。私は名前を呼ばれることが好きだ。

自分の名前が素敵だから嬉しいといっているわけではなく、私にとって「ソラ」という単語の響きや言葉の意味が、安心感をくれるのだ。ふられた話題よりも、自分の名前を呼ばれた心地よさを噛みしめてしまい、話を右から左へ流してしまうことさえあった。

名前を呼んでくれる人は、怖いことをしない。

名前を呼んでくれる人は、私を見てくれる。

名前を呼んでくれる人は、私に何かを与えてくれる。

信頼している人に、「ソラ」と呼ばれたとき、「何?」と、自分でも分かるほど、星を散らして振り向いている感覚がある。名前とは、幸せが降ってくる合図の音だ。

名前を呼ばれるだけでその感覚になるのは難しい、よくわからないという方は、飼い犬を想像してみて欲しい。

彼らこそ「僕は、ましろです!(愛犬の名前を拝借)名前に恥じないよう、白くてふわふわの毛に気を配り、穏やかな犬を目指します!」と、自分の名前を背負っているわけではないだろう。

ご飯が出てくる合図

お散歩にいく合図

おもちゃを投げてもらえる合図

そのように、名前を理解しているように思えないだろうか。名前を呼ぶと、元気いっぱいに駆けつけてくる愛犬をみて、私は名前を呼んでもらえる幸せの意味に気がついた。

犬の名前、私の名前

犬といえばまた、「ソラ」の話になる。同じ名前をもった、私により近い存在に会ってみたい。同年代で、いや、せめて「ソラちゃん」に会ってみたいと気持ちはずっとあるが、たいがいの場合、「ソラちゃん」は人間ではなく犬なのだ。

性別が近づいたと思ったら、種族が離れてしまった。「ソラちゃん」に出会えたのはとても嬉しいのに、私は人、彼女は犬という新たな壁ができてしまった。

近所のペットショップには、飼い主が決まった犬の写真がコルクボードに張られている。そこには、一時期たくさんの「ソラちゃん」が飼い主に抱かれて写っていた。やんちゃな「ソラくん」にせよ、数年前の地元では流行りの名前だったのかもしれない。

私の名前を聞いて「わぁ、うちの犬の名前と一緒」と、ものすごく喜んで、愛情にあふれた眼差しで見つめられたこともある。母と笑い話をしながら、スーパーでのレジを待っていたとき、前後になった年配の女性に話しかけられたのだ。記憶している中で、二回ほどそんな経験がある。

私も愛犬への愛情の注ぎ方は、尋常ではない方の飼い主である。だから、話しかけてくれたご婦人の声の高さも、目じりの低さも、とても分かってしまうのだが、状況が面白くてたまらないのだ。犬と名前が一緒だと声をかけられるだなんて、一生経験しない人もいるだろう。

大学一年生の4月、自己紹介をしていた時も犬と同じ名前が場を和ませた。「ソラ」と名乗った私をみて、人一倍緊張していた子の顔がほころんだのだ。彼女の愛犬はミニチュアダックスフンドの「ソラちゃん」だった。あっという間に時間は過ぎて、もう8年の仲になる。親友の愛犬は今も元気にしているようだ。

天気のような大人でいい

「ソラ」という名前は、犬や元気いっぱいの男の子であることが、私のまわりでは多かった。しかし、ほとんどの人はやはりきっと「ソラ」といえば、文字のままの「空」を思い浮かべるはずだ。私もそうである。

空と同じ私の名前は、しばしば自分の名前や存在を疑うきっかけにもなった。

「空」という大きな存在があるから、幼い時は「私の名前は本当にソラ?」と、疑問が頭の上にいつもあった。青やオレンジや紺色に染まって、雲を泳がせているのが「ソラ」なのに。

私は人間なのに「ソラ」って名前?

そんなことを、西日に染まった部屋で一人、人の形をした自分の影を見つめながら考えていた。

しかし、どうやら私は「ソラ」という「人」らしい。

私は人であるはずなのに、元気な快晴も、穏やかな雲も、豪雨も、台風を作り出す時だってある。「人」という生き物は、大人になるにつれて安定していくものだと思っていたが、そういうわけでもないらしい。

完璧な大人はいないとしても、名前が「ソラ」であるから、輪をかけて感情の起伏が激しいのではないかと、いじわるな心の声も聞こえる。

名前の意味を背負ったり、名前に束縛されることもあるだろう。

落ち込んだときは特に、自分の中に理由を見つけて責めてしまいがちだ。自分自身、天気のようにころころ変わる私の気持ちにうんざりして、きっと名前のせいでもあるんだとますます落ち込んだ。

それでも、自分の名前を変えようとは思わなかった。私にとって名前はもう「幸せが降ってくる合図」になっていたからだ。このエッセイの名前を考えたときも、誰かのそんな合図になる名前をつけたいと思った。

誰かが、ホッとできる合図

誰かが、クスッとできる合図

誰かが、スッと軽くなる合図

名前を思い出すだけで、少しでも自分を好きになれるような響きに。

星空は、雲を食べたい。

人であることは、案外楽しかったりする。人が「楽しい」と思う時のエネルギーは、何億光年先の星にも光が届くほど輝くことができる。大小さまざまな光ではあるが、言葉や文章、絵画、音楽、色んな芸術や仕事を通してその光に触れてきた。

二月の夜、寒空をめいっぱい感じたくて窓を開け、遠い星を眺めると、気持ちが輝く瞬間がある。誰しもが光を持って、星空を作っている一人だと思うと、奇麗な星も人のように満たされず、何かを欲している気がしたのだ。

「染まらず、詰まらず、浮遊していて掴みどころのない、雲はなんて自由なんだろう」と、星の声が聞こえた気がした。

満たされないままの不完全だっていい。

星空は、それだけで美しい。

人だって、それだけで美しい。

理想と遠い自分であっても、一人一人が星のように尊い存在である事実を、すぐそばに置いておけますように。そんなエッセイが届けられますように。

読者の皆様が、少しでも、自分自身を愛せるような連載にしたいです。

どうぞ、よろしくお願いいたします。/ソラ

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