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day2. お風呂|「星空は、雲を食べたい。」fromソラ

ソファーに溶け込んだ身体

好きな色の花々が空中に浮かび、輝きがあふれて散らばっていく。シャンプーを押し出した瞬間のできごとだった。「またまた、おおげさに」と、思われるかもしれないが、香りがもたらす華やかな空間に、私も驚いだのだ。

一日中座っているソファーから、約7歩の距離にお風呂場はある。服を脱ぎ捨て、走ったら10秒でたどりつくだろう。そんな事実にかかわらず、「部屋の中に本当にあるのか?」と疑うぐらい、私のお風呂場は遠い場所にある。

いつもは、台湾ほどの距離にあるのだが、今夜はブラジルまで行くはめになった。

「どうしてこんなに、遠いのか♪」と、『うさぎとかめ』の替え歌を、口ずさめたらいいのだが、歌えるときはだいたい、お風呂も22時にはすんでいる。

営業の仕事をしていたころは、1日外に出て歩き回っていたので、帰宅後はすぐにお風呂へ直行していた。

なにも考えず、玄関の鍵を閉め、荷物を置くと同時に、服を脱ぐのだ。もし何かが頭をかすめて家事をすまし、少し休憩しようとソファーに座ったら最後だ。夜中まで一歩も動けない。

身体がソファーに溶けたまま、普段の眠る時間にさしかかたころ、明日の自分を想像して悶々とする。仮病を患う心の準備をするも、有給休暇はめいっぱい楽しみたいと我に返る。

このまま家に引きこもって、貴重な休みを無駄にするぐらいなら、眠りに行くつもりで仕事に行けばいい。

不機嫌な気持ちを会社にぶつけつつ、お風呂場へ向かう。眠って起きれば、気持ちはしゅんとなっているのだが、一悶着が必要なのだ。

リモートワークの方も増えたのだろう。私も家からほぼ出ずに、執筆をしている。

最長5日間、家から出ないこともあった。流石に冷蔵庫の生野菜も底をつきたので、そろそろ八百屋に行かねばと着替えるのだが、部屋着の楽さがもう恋しい。

15分で服を選び、髪をといて化粧をするような、最低限度のおしゃれさえ長らくしていない。朝ご飯を口の横につけたまま、お昼ご飯を食べていても、恥ずかしいと反省することもないのだ。

「ふふっ」と一人で笑ったあとに、きちんと拭いて仕事に戻るのだが、期待を裏切らない体たらくである。お昼ご飯もしっかり口の横につけ、PCにむかっている始末だ。

お風呂場は17,387km先へ

そんなこんなで、一生懸命働いてはいるが、お風呂場はブラジルほどの遠さになっていた。

貯金の額を確認しても、月へ旅行に行けるほど、もちろんお金は貯まっていない。私の財力では、ブラジルが限界だと決心して、のっそり身体を起こすのだが、いつの間にか冷え切った部屋の寒さに驚いた。

なんといっても今は2月だ。西日の色に騙されてしまった場合、下がる気温に気がつかないまま、身体は冷えていく。

「寒い、寒い」と我に返り、暖房をつけても、もう遅い。お風呂がちらつく時間には、服を脱ぐ寒さにたえられるほど、身体に熱が残っていないのだ。

「お風呂に入らなきゃ」と、気持ちをざわめかせながらも、身体を温めていくと、のども乾いて、少しお腹も減ってくる。

何か食べようと立ち上がったら、ソファーとの分離は大成功である。溶けた身体に力を入れて、日本を離陸できた嬉しさを噛みしめたい。

ブラジルに行くには、どこか経由が必要だ。アメリカ経由とパンを食べてもいい。ヨーロッパ経由でチョコレートにしてもいい。まずは、目に入った食べ物を一口いれて、キッチンで燃料を補充する。

「美味しい」と、気持ちが高まった勢いにのり、お風呂場に向けて進路変更だ。

そして、次が一番重要。パーンと扉を押した手はおろさずに、そのまま、シャワーのお湯を出す!浴室暖房がついていれば、もっと簡単だ。口いっぱいに食べ物が詰まっていても、指に力を入れてピッと、ボタンを押すだけでいい。

水は大切な資源であるし、暖房はつけたときが一番電力を使うらしいので、消すのももったいないのだ。贅沢がとめどなく流れていく中、身体は急ぎ足でお風呂の準備を始めるだろう。

お湯が出るまでのあいだ、寒いと我慢することもなく、服を脱げばぽかぽかの空間が待っている。ほんの少しの贅沢が、背中を押してくれるのだ。

自分の声と、少しの贅沢

やっとの思いでたどりついた場所で、お湯を浴び、暖かい液体に包まれていく。脳内で喋り続けていた言葉たちは、一斉に考えることをやめて、水の音だけが響いた。

「シャ――」という水の言葉から、不安や期待を連想することはなく、何も考えない瞬間がふわっと訪れた。

久しぶりに、自分と会った感覚だった。ご飯や睡眠で栄養だけは、必死に与え続けていたのだが、それは事務的なお世話であって、愛情が欠けていたようだ。

「どうしたい?」と自分に問いかけなくとも、黙って食べて、6時間は眠る自分に安心しきっていた。

お風呂の鏡に映った自分は、きちんと栄養を与えたのにもかかわらず、ひどく疲れている。

髪を洗うのも重労働だ。見えていなかった自分を慰めつつ、シャンプーを押し出したときに、冒頭に述べた衝撃は走った。

花と光が差し込んだのだ。

シャンプーの香りで、こんなにも刺激を受ける自分に動揺した。

今までになく億劫に感じていたお風呂で、予想を上回るほど、自分の感覚が敏感になっていることに気がついたのだ。疲れ切っていることを、やっと自覚した瞬間だった。

お風呂場には、いつもの優しいシャンプーと、贅沢な特別シャンプーを2種類置いている。

出かける予定もなかったのに、贅沢な方をワンプッシュしていたのもあるが、喜ぶ自分の声が大きくなり、嬉しくなった。

「お風呂に入っただけで、おしゃれになっていく!」気分が上がって、あふれる言葉に耳を傾ける。

お風呂はおしゃれになる場所だ。

良い香りのするふわふわの泡が、身体に香りをつけていく。触ると気分が落ちるような肌も、汚れを落としてピカピカになった。どんどんキレイになっていく自分を感じて、おしゃれをする楽しさを思いだした。

遠い記憶となった私のおしゃれは、時間のかかるものだった。

顔を洗って、髪をといたら、服を選ぶ。今日はどんな自分になりたいかなと、押してほしい背中を想像して、あれでもないこれでもないと、クローゼットをひっくり返すのだ。お化粧をするにも、顔のパーツはたくさんあるし、特に肌には5種類もの肌色や粉を塗り重ねて完成させていた。

華やかになっていく自分に嬉しくなって、ニコッと鏡に微笑んでみるも、おしゃれはちょっぴり疲れるのだ。服を選び、お化粧をすることが、おしゃれだと思っていたが、今夜は思わぬ発見ができたと身体中の泡を洗い流した。

トリートメントを髪につけながら、ゆったりと香りを楽しむ。そして少し、反省したのだ。

自分の声に耳をすませば、すぐに聞こえてくるだろう。

「健康を維持しているだけで、タスクオーバーだ」と。何を食べようかと考え、食べれば食器洗いやゴミ捨てと、やることは増えていく。病気を防ぐために身体を清潔に保ち、服を替えて、洗濯をする。

部屋にホコリや砂がたまると、健康に悪いので掃除も必要だ。そして、7時間は眠った方がいい。

人は無意識にがんばるようにできている。ソファーに寝ころんで、お風呂を先延ばしにするのも、疲れている自覚がはっきりとないからだ。ましてや、「怠惰だなぁ」と自分を責めてしまう。

火がなくても、火傷することもあると覚えておこう。熱いものに触れたとき、とっさに手を引っ込めるのは当たり前のことだ。少しの贅沢で、自分の声を拾えることもある。

お風呂へブラジル旅行をしている方は是非、少しだけ贅沢なシャンプーを1本、お風呂場に増やしてみてほしい。/ソラ

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