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day3. 太る|「星空は、雲を食べたい。」fromソラ

丸くなった顔

友人が、私の顔を見るなりにこっと笑って、赤ちゃんの成長を喜ぶような目で言った。「少し太った?」と。顔を合わせてからものの数分で、私の変化に気がつく友人に驚き、私は丸くなった頬を触りながら、目までも丸くしてうなずく。

というのも、私自身、自分の変化に気がついたのは、昨夜の出来事であったからだ。

丸い顔を映した鏡の角度は、少し上向きになっていた。部屋も暗く、眼鏡をはずして裸眼だったのもあり、はじめは錯覚がそうさせていると思った。しかし、顔の真正面に鏡を向けて自分を見つめたところ、普段より幼くコロコロした顔がこちらを見返してくる。

驚いて、玄関にある姿見でも自分の顔を確認したのだが、顔のふくらみを確かめている自分は、やわらかい頬のお肉をしっかりとつまんでいた。

寝る前に髪をとかしながら、鏡に映る自分の顔は、いつも角ばった逆三角形だったのだが、「今夜はまるまるとした満月のようだ」と、声に出る。今はむくみのせいかもしれないと、明日の自分の顔を楽しみに眠りについた。

起床してむくみがとれたであろうころ、鏡で再度、顔を確認した。昨夜と同じ丸い顔が、健康そうに微笑みかけてくる。私は確実に太り、顔に肉がついたのだ。

あなたは、太っている

私の顔は、頬骨が高い位置にあるのも相まって、人よりも頬がやつれて見える。20代になると、体重が増えても、お腹周りに脂肪がつくだけで、ほっぺたが丸くなることはなかった。いつもどこか疲れていて覇気がない顔つきは、一生変わらないのだとあきらめていた。

やつれた顔よりも、太るほうが恐ろしかったのだ。

小学生から中学生までのあいだ、バスケットボールをしていて、それなりに筋肉質で今よりもガッチリしていた。あわせて当時のストレス発散方法は、食べることで、過食が止まらず、人よりも太っているのが私だった。

学校というコミュニティは、私にとってノイズだらけの思い出だ。肌荒れや、スカートからのぞく足の太さ、身体のラインがわかる体操服で、私と周りの容姿をくらべた言葉は、なにかしらいつも飛び交っていた記憶がある。

多感な頃に、自分の容姿に関して否定的な意見を投げかけられると、心はその言葉を自分そのものだと思いこみ長らく離さないようだ。私は自分の体型が受け入れられないまま、つい数年前までは、少し大きめの服を選んで、だぼっと着ていた。

肯定するきもち、雪解け

ここ数週間で太ったことを、なんとなく自覚していた。ウエストの厚みが分かる服をクローゼットの奥深くにしまいこみ、自分がこれ以上傷つくのを恐れた。太るのは私にとって、とてつもない恐怖のままだった。

お気に入りの可愛い服が着れなくなり、どんどん楽しみが減っていく。

おしゃれの幅が狭くなるのにともなって、自信もなくなっていった。太ってもいいことは、今まで一度もなかったのだ。

丸くなった自分の顔を、何度も確認したのは、「太った事実」に、動揺したからだった。何度も、何度も鏡を見て、顔を触って確かめた。ごつごつとした頬骨は強調されず、横を向いても頬のくぼみは気にならない。やつれた雰囲気は抜けきっていた。

そして、以前よりも血色はよく、長らく感じられなかった艶やハリが、私の肌にもしっかりと存在を示している。幸せさえ、少し増したような顔つきだ。

「太ること」で得た幸福が、心の中に広がっていくのは、初めての感覚だった。

食べる幸せは一級品

同時に、「食べすぎた」と、募っていった罪悪感はだんだんと弱まり、「食べてよかった」と、自分を許せていく。

夜遅くに飲んだ3杯のココアも、バターでつやつやした食パンを、朝から口いっぱいに詰め込んだことも、コーヒーゼリーと一緒に食べたチーズケーキも、山になったチョコの包み紙も、後悔する思い出ではなくなっていく。

深夜、仕事の合間に飲むココアは格別で、「なんておいしいの、あなたは天才ね」と、話しかけてしまうほど好きだ。マグカップを持ってクルクルと、「あまい、あまい」の三拍子でワルツを踊った、薄い三日月の夜もあった。

起き上がるのに苦労する寒い朝も、好きな味が口の中に広がっていく様子を想像するうちに、キッチンにある食パンを焼きたくなってくる。「おはようございます」と、アラームに負けない大きさの声をだし、朝ご飯のために起き上がるのだ。

ベッドの少し離れたところにクリームパンを置いて眠るのも効果てきめんだった。朝に目を開くと、ぼんやりとしていても甘さが分かる、大好きな菓子パンが遠くに見える。袋をあけるとすぐに食べられる甘い菓子パンは、私の大好物だ。

菓子パンの置く場所には、気をつけないといけない。ベッドから手の届く範囲に置いてしまうと、朝のアラームが鳴り響く中、頭だけベッドからだして、夢うつつに菓子パンを食べては二度寝、三度寝と繰り返してしまう。あまり大きな声では言えないが、私は未だに眠りながら食事をとれる自信がある。

恐れるのは、別の事実である

私は本来、食べることが大好きなのだ。だからこそ、ストレス発散のはけ口や、ご褒美を食にしてしまうと、自分がどこまでも食べてしまいそうで恐ろしい。今回の太った理由は、食を気分転換のスイッチにしたからだ。

満腹中枢も乱れていたようで、お腹がいっぱいになる感覚がなくなっていた。満たされないままに食べ続けてしまい、胃の痛みによって、これ以上食べ物が入りきらないのだと気がつく。

加えて、私の好きなものは、糖分と炭水化物である。特にお菓子とパンが大好きだ。

たがが外れると偏食をして、栄養がかたより、太る一方である。また、一人で初めての高熱を経験して以来、一人暮らしではよりいっそう、健康にも気を配るようになった。

健康の基本は食事であると、偏食を厳しく自制していく。食はいつしか「楽しむ」というよりも、健康維持の義務感と、太る恐怖による罪悪感がせめぎ合う、行為になっていた。

「太りそうだ」と、好きだった食べ物は買い物かごに入れなくなり、「健康になれるかな」と、自分好みの味ではない料理を作る。友達と食べるカフェのケーキも、後ろめたさが勝っていった。

そしてだんだんと、私は食べるのが嫌になった。

ここ数年で、私はやつれていき、薄っぺらい体型と引き換えに、不幸そうにくぼんだ顔で生きていくはめになった。顔は、洋服で隠せない。化粧でごまかして笑っていても、ふと無気力に遠くを眺める瞬間が増えた。めっきり体力も、衰えていたのだ。

「太った」と、大げさに書いてきたが、一番軽かった去年の体重と比べても、3キロ程の増加である。

最も恐ろしいのは、たった3キロの体重の増加に、長年のあいだ苦しみ、怯え、しばられてきた事実である。

満開の笑顔

今回の3キロの増加は、次々と私を幸せにした。体力がつき、1日にこなせる作業が増えた気がする。あれもしたい、これもしたいと心がわき立つのだ。友達に会うのも億劫になっていた私が嘘のようだった。そしてなにより、ご飯がおいしい。運動をする元気もある。

友人は、私が太ったのをとても喜んでくれた。「少し太った?」と、尋ねたのは、やはり丸くなった顔が理由だったらしい。

ひとしきり話したあと、シャッター音が響いた。彼女は真剣な顔をして、携帯のカメラをかまえている。

「その顔の角度と、表情が美しい」と、肉付きのよくなった、私の顔の一瞬を逃すまいと躍起になっている。撮影した写真を見せながら、私の顔の造形美をただひたすらに語ってくれたのだ。

食べることに罪悪感を抱え、太るのを恐れていた私は、なんだかおかしくなって笑いが止まらなくなった。笑顔でもっと顔を丸くしながら、「ありがとう」と、友人に感謝を伝えたのだ。/ソラ

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