太宰治を道に落とした

「太宰が道に落ちてたんやけど、あなたのとちがう?」と、マンションのお隣さんから連絡が入った。
日も落ちて家に帰る途中、退屈な電車にゆられていた私は、小説の主人公に向けるような文面にわくわくした。
今朝は急いで家を出たから、玄関に置いてきてしまったのかなと、行きの電車の中では手持無沙汰に窓の外を眺めた。
桜も咲く季節だなと目をやったのに、看板広告の文字を読み上げてしまうばかりで心は退屈なままだった。
本を落とせば音もでるし、分厚い小説だったのでそれなりに重みもあった。
まさか、道に本を落して気がつかないだなんて思いもしなかったのだ。
添えられた写真を確認すると、竹久夢二がデザインした、ツバキ柄のブックカバーがかけられている。
間違いなく私のものだと確信した。
「無くした」と意識が働いていたら、一日中、心が落ち着かず太宰の所在が気になって落ち込んでいただろう。
でかけるときにいつも持ち歩く一冊だったので、行きの電車の中で太宰がいないことには、すぐ気がついていた。
今日の移動は暇でたまらないなと太宰を恋しく思ってはいたが、私の知らないところで私の太宰は大冒険をしていたのだ。
私以外に読まれたこともないのに道に落とされ置き去りになるだなんて、私が「この太宰」なら絶望もいいところだ。
砂をかぶって意識も朦朧としていたところ他人に拾われ、ブックカバーまで剥がされて中身を確認された後に写真を撮られたのだ。
恐怖に駆られて発狂する寸前だろうし、お願いだから早く家に帰りたい。
偉人は堕落加減も半端ではない

落とした本に感情移入した妄想が次々と浮かび、大切にしている一冊なんだと再認識してはよりいっそう太宰との再会が待ち遠しくなった。
拾ってくれたお隣さんに感謝しつつお礼に手土産でもと思ったが、悩むうちに何も選べなかった。いつも通りの手ぶらで玄関をノックする。
無事に太宰は私のもとに帰ってきたしお隣さんが作ってくれた夕飯もご馳走になって、「太宰を落として、何かがはじまりそうな文学少女気分」は、長いあいだ味わえなかった。
温かいお隣さんの部屋は居心地がよく、無気力にごろごろしているのが現実の私である。
逃避行動もそこそこにして溜まった仕事を片づけなければならない。ささやかなお礼と思い、食器洗いをする。
物書きの仕事に立ち向かう数分後の自分を想像する。今日は書けるだろうかと、自信がなくなっていくときにかぎって食器洗いもすぐに終わるのだ。
令和では偉人となった太宰だって、明治や昭和では乱れていた。忘れがちであるが、偉人も最初から偉人ではない。
太宰治は人としての堕落加減も半端ではなかったが、書き続けたのだ。何はともあれ、名作は書き続けた結果なのだと、私の体にも力が入る。
今日も明日も明後日も、物書きの仕事を続けていく。私は今、夢を実現させている真っただ中なのだ。
あきらめのわるい性格は、物書きに向いていた

物書きの仕事に手は届かないと思っていた。
有名大学の文学部を出た人だけが就ける、夢の仕事であると。
地方の国立大学で英米文学を学んだ私は、敷かれたレール通りにまじめな英語の先生になると思っていた。私の学歴を見たとき物書きとして雇ってくれる会社はないと、挑戦する前にあきらめたのだ。
あきらめたと言ってもあきらめがつかなかったから、広告代理店の営業に就職を決めたのだと思う。
当時、この仕事が私にとって「物書き」に近づける一番近い距離だと、決めつけて得た環境だった。
人生の半分をかけて学んできた英語を手放し、苦労して取得した英語の教員免許もただの飾りになった。
新卒で入った会社も結局は退職して、遠回りしながらたどり着いた先は、最初に望んだ物書きの仕事であった。
この長い道のりは自分の頭の固さが招いたのだ。大人になるにつれて選択肢が広がっていく中、「こうあるべきだ」と自分の信念に束縛されていた。
社会にある「当たり前」から外れるのを恐れると「なりたい自分」は遠ざかって行くばかりだった。
一人は「私」を小休憩させる時間

会社を退職したときに、学生でもなく社会人でもないと、初めて自分を表すものが「名前」だけになる感覚に触れた。
頼れる家族もいない東京で、私はひとりぼっちになったのだ。何にも縛られない「一人」の自由な時間と、不安な「独り」の寂しい時間を行ったり来たりした。
私は「独り」の寂しさを埋めるために人と会うと、疲れてしまうみたいだ。寂しがり屋なのに、「一人」の時間が満喫できたときの心地よさは「安心感」ともいえる。
人と会っているときは何も考えなくていいと救われるのだが、そのとき私は「私」であるしかない。
他人から見えている「私」は人であり20代の女だ。道端に生えた花ではないので自由にどこにでも歩いていけるし、足腰もしっかりしていて健康そのものである。
私は「私」であるだけで、十分に幸福なはずだ。
幸福であるはずなのに、私はしばしば「私」を休憩せざるを得ない。どうしてだろう。
暗い夜道を一人で歩きながら、満開の河津桜を見上げたり、吐き出した白い息を追いかけたりするとき、私は少しだけ自分の人生から抜け出している感覚がある。
ほんの数センチ身体が浮いているような、現実では感じられない空気感の中を漂うのを楽しむ。
誰でも、何でもない自分を感じるとき、私の歩いた後ろに草花が生えていくような、体中に生命力が満ち溢れる瞬間がある。
静かな夜、お気に入りの家具や植物に囲まれた部屋の中は、私をいろんなものに変えてくれる。
「いつか空を飛べるかもしれない」と、6階のせまい一室から新宿の夜景を眺めている私は、現実の飛べない「私」ではない。
ショパンが生み出したピアノの音符に溶け込んでいくように音楽を聴きいると、私の身体は液体にちかく、全身に波紋が広がっていくようだ。
こうして穏やかに「一人」の時間を満喫するとき、私は「私」でないことが多いのだ。
敏感な感覚と、鮮明になる妄想

もちろん、断言したくはないが人間である以上、私はひとりでに夜景の中を飛び回ることはできないし、目を閉じなければショパンの音の中にも入り込めない。
同世代の幼馴染は、仕事や結婚、貯金や子育てと、しっかり地に足をつけているように思う。
社会の「当たり前」の枠の中で求められる役割をまっとうしているし、悩みながらも私の知っている「大人」になっていく。
一方で私は、「そろそろ妖精がみえてきそうだ」と、ファンタジー小説を片手に不安になっていた。とめどなく濃く広がっていく自分の想像の世界があまりにも広大で、幼馴染が抱えた不安とはまったくレベルの違う場所にいるのだ。
大人になるにつれて、驚くことも、わくわくすることも減ると信じていた。動じず、現実を見据え生きていくのが私の知っている大人だ。小説ではなく、新聞を読んで、SF映画ではなく、戦争映画をみる。
しかし私も大人であるはずなのに、鈍感になるどころか幼かったころの感受性へと退化している感覚さえあって少し怖いのだ。
恐ろしいものは恐ろしいままで、辛いものも相変わらず辛い。
人生経験を重ねていくにつれて、人の言葉の裏側や、表情、しぐさから、読み取れることが増えたのだろう。
他人の悲しみや喜びがどんどん鮮明に感じられて、私の中に深く入り込んでくるようになった。人の感情は流動的でとどまることを知らず、私にとっては刺激が多すぎるようだ。
「完璧な大人」は子どもが信じるだけでいい

感受性の強さや妄想癖は、物書きの仕事を通して知れた「私」だった。黙って抱えた生きづらさは、みんな人それぞれ抱えている。
大人が必死に生きているだなんて、子どものときには思いもしなかった。「大人なのに本を落として気がつかないの?」と、ランドセルをきちんとしめた小学生の私は怪訝そうに尋ねるだろう。
「完璧な大人」は子どもが信じるだけでいい。社会が同じように「完璧」を求めていては、私の仕事は必要ないし、太宰治も大きな子どもであると社会からはじかれるはずだ。
「こうあるべきだ」には結局あらがってしまうのだから、私の好きな「私」でいいのだ。
私は太宰治のように「生」を色濃く感じながら、生きていきたい。
「太宰を落として、何かがはじまりそうな文学少女気分」は、私の仕事をより濃くいいものにして、誰かに届くおまじないをかけてくれる。/ソラ