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体験談!転校して環境を変えても不登校はなおらなかった話【子供の不登校】

突然ですが、私は13歳の2学期(中学1年生)から不登校になった経験があります。そのあと、中学2年生で別の学校へ転校しましたが、結局新しい学校でも不登校を克服することはできなかったのです。

「限界なら環境を変えるのが一番」というのは、もちろん一理あると思いますし、実際大人であれば引っ越したり環境を一気に変えることでいい方向に向かうこともあると思います。

しかし時が過ぎてみて、思春期の心の問題においては、環境を変えることが必ずしも正解とは言えないなと感じています。今回は、自分の不登校時代の体験談から、何が大切なのかということを書いていきたいと思います。(個人的な意見です)

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転校しても、不登校はなおらない!?

家庭に居場所がないのに、外で新しい居場所は作れない

根本的に私が学校に行けなくなったのは、何よりも「人間不信」がその理由です。本来家に帰るとそこに居場所があって、そこから学校へ行って人間関係も含めて色々な経験を積んでいくのですが、そもそも私は家庭に居場所がありませんでした。

元々私の中の「誰も自分の味方などいない」「誰の事も信じられない、怖い」という感情は、家庭内で作られたものです。物心つく前からの暴力や、常に「死ね」「消えろ」と言われて大きくなった私には、学校や友達関係といった「外での信頼」を築く方法がまったくわかっていなかったのです。

だからいじわるな女の子たちが人の陰口をトイレで言っているのも、昨日まで仲良くしていたはずの友達の靴箱に「死ね」と書いた紙をいれているのも、全部が恐怖でしかないし、むしろ「家庭と学校はまったく同じ」という思いでした。

数人の優しい友達でさえ、いつ自分を裏切るかと感じる

もちろん、仲の良い友達もいました。自分と波長の合うタイプの子で、どちらかというと大人しめの真面目な子でした。でも、たかだか13歳程度の子に、家庭内でこんなことを言われているなんて言っても、誰が受け止められるでしょうか。

親友だと思っていた1人の子に初めて自分のつらい経験を打ち明けたら、私は「嘘つき」呼ばわりされることになったのです。それに、誰にも言わないでくれると言ってくれたはずのその話は、3クラスある1年生の全員に知れ渡っていました。

誰も直接私には聞いてこないけれど、時々コソコソと「家が大変とか言って、先生にぶりっこしてる」「絶対嘘だよね~」と言われているのも知っていました。

そこで私は不思議とその人たちに対して、恨みとか悔しさなど湧いてきませんでした。ただただ、「ああ、やっぱりそうか。そうだよね。」「もう二度と、誰にも相談なんかしないでいよう」と思ったのでした。

こんな風に、親の知らない場所で、子供は子供なりの不信感や絶望を感じていることって多いのではと思っています。それに、すごく傷ついていることって、話すのもしんどくて言えない。

外部だけをなんとかしようとしても、意味がない

子供が不登校、といえば、大体の場合第一に「学校の環境はどうなっているのか」という意識になる親が多いと思うんです。でも、子供が不登校になったときに第一に目を向けるべきは「辛いことがあって帰ってくるその居場所」ではないでしょうか。つまり家庭の内部のことです。

仮に学校が合わなくてつらいことがあったとしても、家でちゃんと自分を認めてくれる存在が待っていてくれるかどうか。どんな時も家族は味方であると感じられる環境があったかどうかです。

人間には、子供大人に関係なく「絶対的に安心できる場所」が必要なのだと思います。それがないのに、外部的な問題(学校が悪いから学校を変えよう)だけを解決しようとしたことで、私はいつまでも安心することがなく、結局は不登校のまま、自分の殻を作り、そこに入っていることでしか「安心」「安全」を感じられない子供だったのでしょう。

もちろん、転校(引っ越し)となるとお金もかかります。転校させてくれた親には感謝もしていますが、当時の担任には「逃げるのか」とギリギリまで言われていたのをよく覚えています。

疲れ果てた子供が、不登校になるのがそんなに嫌ですか?

「子供が学校に行けない」ということは恥ではない

今私も親となり小学生の子供がいますが、もし子供が学校に行きたくないと言ったとしても、一度休ませ、自分が子供にたくさん時間を取ってあげなくてはいけない、と考えます。

世間一般では、「学校が大好きで明るくてお友達もたくさん」という子供が理想のように思われるでしょう。でも、それがそんなに重大なことでしょうか。親である私たちにとっても、何か苦手な分野、どうしても受け付けない嫌いなこと、ありますよね。

子供にとっては「学校が苦手」というだけの話ではありませんか?学校が苦手なのはだめで、ピーマンが食べられないのは許されるのはどうしてですか?「将来に関わるから」でしょうか。

子供が学校生活9年間のうちのほんの半年、1年くらい苦手な気持ちから行けなくなったところで、それが本当に将来に影響するでしょうか。私は、そうとは思えないのです。

むしろ、今どうしてもしんどい子供に無理をさせてしまい、大人になってからも大きな傷として心に残る方が、将来に大きな影響を及ぼすと思っています。「学校に行きたがらない」「休んでしまう」……その形だけに注目することに意味はありません。

足を骨折すれば3ヵ月でも学校を休むでしょう。心が骨折したと思って、休ませてあげるのもいいのではないでしょうか。

「普通」を求める気持ちが、親も子も追い詰めていく

自分が大人になった今だから、私は「大人ってほんとにずるいよな」と自分でも感じているのです。大人になればやらなくてはならないことでもうまく嘘をついてやり過ごすことも、逃げることもよくあります。

嫌いな人がいて表面的に取り繕ったり、苦手なことがあるなら最初から避けてその道を通ろうともしない、そんなことはいくらでもあるでしょう。私もそうです。

しかし、子供には「学校に行くのが普通」と当たり前のように押し付ける。自分が親として子供が不登校なのは「自分のせい」と言われたくない気持ちが、正直ある。それが事実なのでは?と感じています。

世の中の「普通」「当たり前」を求めれば求めるほど、そうではないことが起こった時、子供も親も心を追い詰めていくのではないでしょうか。親だからこうでなくてはならない、子供はこうであるのが普通だ、その概念こそが、ひとりひとりの可能性や思いを、奪っているのではないかと思います。

親子の本当の信頼関係は、1人の人として認めてあげること

子供は、自分ですべての決断をすることはできません。でも、何歳であろうと子供が感じる本当の思い、子供がどんな人なのか、「子供だから」ではなく「1人の人間」として、ちゃんと知ってあげることが信頼を作るはずです。

子供だって「自分の親だから」という理由だけでは、信じられない場合もあるのです。子供の成長と共に、自分の意思を持って、自分なりにちゃんと世の中を見ているのです。正解かどうかは、他人が決めることではありません。

「不登校」はひとつの意思表示にすぎないのではないかと、私自身思っています。あのころ「大丈夫だよ。あなたはおかしくなんかないよ」と言ってくれる家族がいれば、学校に行けたと思います。私は逆に「気ちがい」「手に負えない」「何も努力しない宙ぶらりんの人間」と何度も言われていて言葉では言えないほど深く傷つきました。

もしも家庭では精一杯寄り添っているのに子供が心を閉ざしているなら、それはかなり疲れ切っているのでしょう。何よりも休息が必要な時期であり、誰の声も届かない時なのかもしれません。

子供の不登校、環境を変える前に考えるべきことがある

Photo by Daniel Filipe Antunes Santos on Unsplash

あなたは、不登校でいる子どもの「心」をまっすぐ見ていますか?

子供の気持ちをとことん聞いてあげましたか?

子供に投げやりな言葉を安易に投げかけていませんか?

「不登校である」ということだけに目を向けてはいませんか?

自分の子供が学校に行けないなんて、親の私がどう思われるか…と自分を守っていませんか?

子供の不登校を理由に夫婦げんかをしていませんか?

学校に行けている兄妹にだけ優しく接していませんか?

子供はびっくりするほど、親の表情や言葉をよく見ています。隠していても、感覚的に気づいている子も多いでしょう。子供の不登校は、恥じる事でも責め立てることでもありません。

私は自分自身が不登校だったからこそ、「自分はダメなんだ」と自分を責める気持ち、「親に認めてもらえないんだ」という悲しい気持ち、よくわかるんです。どうか、子供の不登校に対して、一番に子供の心を守ってあげてください。/kandouya編集部

https://kandouya.net/mentalhealth/5704/

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