
人間や生き物は一人ひとり個性があり、考え方が違います。
子育てのやり方も、一人ひとり違います。
もちろん私たち親も。
同じ家庭に生まれた子どもでも、思いの伝え方、過ごす環境、食事の内容まで違ってくるのです。
同じ親でも、兄弟姉妹、それぞれに接する一挙一動がすべて違います。
子育ては「すべて違う」ということを知り、違いを楽しむことによって、とても味わい深いものになります。
なんてことのない日常のワンシーンも、子どもたちの視点や立場、個性の違いがあることを前提に見ることで、まったく違った感じ方ができることがあるのです。
ここでは、3人姉妹を育てる筆者の実体験から感じたことを、ありのままにお話していきます。
3人姉妹との暮らしと遊び

私には3人の娘がいます。年齢も離れているため、1人ずつの成長をその都度みてきました。
どの子も同じ様に育てているつもりでしたが、成長をみていると面白いほど見事な違いがあるのです。
性格はもちろんのこと、好き嫌いも違います。
食べ物や色の好み
興味のあること、遊び方……。
同じ物を好きになることももちろんありますが、考え方や見方の違いによって好き嫌い多様に分かれるのです。
子どもは、遊ぶ場所がどこであれ、どんな遊びであれ、それぞれの個性を存分に発揮させています。
公園で遊ぶならば、長女は滑り台が好きで次女はブランコが好き。三女は砂場がメイン……というようにみんなバラバラです。各々遊んでいるかと思えば、いつの間にか一緒に走り回っていたり、おままごとが始まることもあって、それを見ていると本当におもしろいと感じます。
遊びの中の「配役決め」
子どもの定番遊びである、おままごとが始まるとしましょう。
普通、おままごとにはおままごとセットを使うように思うかもしれませんが、子どもの世界では必ずしも食べ物や食器を用意するわけではありません。
ブロックやレゴ、粘土を使うおままごともあり、その発想もまた意表を突かれます。
そして、配役決めも見ていておもしろいところ。
長女と次女は、お母さん役をどちらが演じるか決めていきます。「中心人物」をどちらにするか決めるのです。
彼女たちにとって、中心人物を誰が演じるかは重要なポイントのよう。このポイントによって遊び方もストーリーも変わり、自分好みのものになっていくのです。
中心人物を決めたあとは、中心となった子が主体となってものごとを決定していくため、口論が生まれます。
私が横で聞いていると、本当に小さくて細かいことまで設定しているのがわかります。名前や趣味、仕事の有無まで徐々にストーリーの中に組み込んでいくのです。
そこまで決まると、ようやく本編のストーリーが始まります。
ここまでで私は、女の子の遊びは序章がとても長いことがわかりましたし、それと同時にその序章こそが重要なのかもしれないとも思いました。
ストーリーや人の動きの中で育つ
ストーリーが進むと、どんどん小物が増えていきます。
例えば、車に乗るシチュエーションがあると子供椅子をもってくる。パン屋さんのような、何か作業するお店に立ち寄るシーンでは、机と粘土セットが追加されます。
そこでもまた「誰がそれをするのか」で議論が巻き起こるのです。
末っ子の三女は、上の2人がこうした議論を繰り広げている中、なにをしているでしょう。
赤ちゃん役になったり、お姉さん役になったりと、ありとあらゆる手段を使い、立ち居振舞いを変えています。
小さいながらも、姉たちの行動を見て、状況に合わせた自分なりの行動をしているのだと気付きました。
下の子は上の子を見て育ち、学ぶといいますが、まさにその通り。目線の違いによって進む道が変わるのは、こうした日々の積み重ねによるものなのでしょう。
そして、食事やお風呂の時間をきっかけ、このストーリーは終わりを迎えます。
片付けと子どもの感性
遊びが終わった部屋の状況は、なんともカオス状態。開いた口が塞がらないとは、このことなのでしょうか。
片付けが始まって、まず動くのは長女。
その次に次女、そして三女と順番に動きはじめます。
テキパキと片付け始める長女に対して、次女はマイペース。三女は、片付けをしている様に見せかけながら遊んでいるのがお決まりです。
これが三姉妹流、片付けのスタイル。
さすがに長女ばかりが動くのではかわいそうだと、次女や三女にも片付けをするように促します。
最初から頭ごなしに怒鳴らないようにしようと心掛け、徐々に声のトーンを変えて少しずつボルテージを上げていくのです。
しかし、返事はするもののなかなか進みません。
最終的には私の怒りボルテージが最大に達し、噴火させることも多々あります。
しかしここでおやつの時間を伝えたり、子供たちが片付けをした後にご褒美があることを伝えると、三姉妹の単細胞が見事に動き出すのがよくわかっておもしろいものです。
片付けが終わったあとの部屋にも、子どもの個性が垣間見えます。
長女は自分のスペースをきれいに整えたことがわかり、片付け合格。
次女も長女に比べるとまだまだではありますが、使ったものをどこに片付けたらいいのか、だいたい理解していて、合っている。少々多めにみて、合格です。
三女は……
とりあえず自分の場所に押し込んでいるので、残念ながら不合格です。
年齢や性格の違いもありますが、片付けの様子や片付いた後の部屋の風景からは、まるで子どもそのものの姿が見えるようです。
もちろん、三女には徐々に片付け方法を伝えていくつもりです。少しずつではありますが、学び、成長していってくれるでしょう。
みんな違ってみんないい 子育ての「おもしろさ」

「すべてが違う」ということを前提に子どもたちを見ていくと、自然に子育ては「おもしろいもの」になります。
私は、三姉妹の遊びを通して、子どもたちが中心人物やストーリーを重視して世界をつくっていることを知りました。
遊びに使う「物」にはこだわらず、遊びたい物やそのとき必要なものを、あるもので間に合わせる行動なども見えてきました。
仲良く遊んでいかたと思えば、突然口喧嘩が始まったりすることも。それでも、みんながみんな自分の言い分があり、立場やものの見方によって違いがあるのです。
正解や不正解はありません。
さっきまで夢中になって遊んでいたことも、少しの時間のうちに変わっていく。目まぐるしく変化する彼女たちの世界は、大人の感覚や常識ともまったく違います。
彼女たち、そして私たちには、すべて違った世界と視点があるのだと教えてもらったように思います。
毎日が試行錯誤で、イライラする気持ちや怒りが湧く日もあります。疲れや悩みも尽きない毎日です。どんな母親も同じで、私もそのうちのひとり。
しかし、今まで生きてきて、この子育てほど楽しいものはないとも思えるのです。
こんなにも楽しさ、面白さ、達成感を味わえる仕事はないとさえ感じます。
子育てに答えはありません。
正解や不正解はない世界です。
だって、みんなそれぞれ違いがあるのですから。
1日の終わりに、朝からのことを思い返して深呼吸してみませんか?
夜に子供の寝顔を見ていると、その日過ごした日常全てが達成感へと繋がり、また新しい明日を迎えられる一歩になる。
きっと明日も同じように過ごせることはないと、私は思います。
そして私自身も、子どもたちと共に成長しているのだと思えてならないのです。/Kandouya編集部(ライター・hiro3)