「マイノリティは、進化系だと思う」———
前回、枠にはまらない夫婦の形として、chicchiworksを展開するHSS型HSPの気質を持つ妻のちづるさん、非HSPのけんごさんに取材を行い、自然体な二人の姿をお伝えした。
この時はHSS型HSPという気質を持つ奥さんと、そんな気質を理解して共に歩むけんごさんの「夫婦としての在り方」や「目に見えない葛藤」などに焦点をあて、お話を伺った。今回はその第二弾として、「時代」とマイノリティについて二人が持つ独自の視点を聞いていこうと思う。
以下、ちづるさん:ち けんごさん:け と表記します。
マイノリティの人が息苦しい今の時代を、枠にはまらない夫婦はどう見る?

理解されない?言われて悲しくなる言葉
ち:「人に言われて1番悲しいというか、ああ、やっぱりそう言われちゃうのかあ…と思うのは、生きづらさに対して『みんなそうだよ、頑張ればできるよ』という感じの事を言われてしまう時ですね」
「みんなそうだよ~」「そんなことができない人くらい、いっぱいいるよ~」という、ちょっと励ましにも思えるこの言葉は、当たり前に転がっているものだ。HSPだとか、HSSだとか、○○が苦手、できない…という部分に対しては、確かに「誰にでもそんなところはあるんじゃない?」と考える人も多いだろう。
では、様々な気質や生きづらさを抱える人と、そうではない人の違いや線引きは一体どこにあるのか。どう考えてもらえることが「理解された」ということになるのか。この非常にむずかしい問題は、もちろん二人の中にもずっとある。
マイノリティ/マジョリティーの境界線
ち:「できないわけじゃなくて。確かにやろうと思えばできるけど、それをやろうとすることで、逆に心身に支障をきたしたり、精神的な病気や心の重大な問題に発展する。最初はそうじゃなかった人でも、他の人が当たり前にできることをしようとすることが逆効果になって、大きな苦痛を伴うかどうか」
確かに、これに対して「みんなそんなもんだよ」と回答するのは、ちょっと違うようにも思える。「理解されない」という感覚や、「やっぱりそう言われちゃうか…」という感覚は、まだ心の中に根付いているのだ。
でも、こうも考えている。
ち:「マイノリティの人たちは進化系のような存在だと思うんです。今の時代には適応できないかもしれないけれど、未来では必要不可欠な存在として理解してもらえる時が来ると思っています。現代における「普通」に適応できない、ということは、今の時代に変化を起こすことができる人ということ」
確かに、疑問を持つことから改革は始まる。新しいことを生み出したり、画期的なサービスが誕生したり、変化を起こすためには「今あるもの」に対し疑問を抱き、時に反発してしまう心が必要なのではないか。
マイノリティである人は「生きづらさ」に気付くことによって、新しい視野を教えてくれる存在だと考えることもできる。
だから境界線はどこかという論点を持つよりも、「どこが違ってどういう見方が人間それぞれにはあるのだろう」と多方面で見てみることにこそ、本質があるのだろう。
「生きづらさ」とは、「プロセスの多さ」
け:「もちろん多数派や普通で生きられる人も素晴らしいんです。ただ、僕が奥さんを見て思ったのは、例え話ですが、すぐそこにあるボールペンを掴んでくださいと言われたとして、普通なら「ほい」と取れますよね。でも、生きづらさというのは、そのひとつのものを掴むまでのプロセスの多さだと思うんです。このボールペンを掴むために、どの角度で、どんな力で、どうやって取ればいいだろう?と考えるっていうことではないかな。そりゃあ、生きづらいわな…って。」
けんごさんのこの言葉は、マイノリティや生きづらさを持っている人のほとんどに当てはまるのではないか。「理解」というのは、「考えすぎだ」「そこにあるじゃん」「甘えてる」と言うことではない。
そこにあるその人のプロセスの多さに気付き、けんごさんのいうごく自然体の「そりゃあ、生きづらいわな…」が増えることだろうと思う。「もっとシンプルに考えれば?」とか、「みんな苦手なだめなとこくらいあるって」という言葉は、結果的には「マジョリティー」な人の思いだからだ。
しかし、少数派ということを自覚しているからといっても、ムリヤリに「マイノリティーだから理解して!配慮して!」と言いたいわけでは決してない。
ちょっと想像してみたいところだ。もしも筆者が近所のスーパーにいくまでの道が断崖絶壁の登山級コースだったら、そりゃしんどいわな。カレーの材料が歩いているうちに袋からこぼれおちて、それすら気づかずに帰宅するかもしれない。もはや、なんとか帰宅できたとしても料理する体力は残っていないだろう。
こんな風に、理解とは「少しの想像」なのではないだろうか。二人のお話を聞いて、筆者はそんなことを思ったのだ。
時代は、大きな岩をひっくり返している途中!?

二人が思っているのは、「マイノリティの方が実は優秀だ!」という世の中ではないし、「マジョリティーの人に合わせられるようにならなくては!」とそのための方法を探しているわけでもない。あくまでも少数派・多数派のどちらも認められる世の中である。どちらも必要であるという時代の訪れの予感も、二人の中にはあるそうだ。
「常識がくつがえされて、光が裏にも当たる」
け:「僕は、今の時代は大きな岩をひっくり返しているところだ、と考えています。これまで陽のあたらなかった部分が少しずつ掘り起こされてきている。巨大な岩をひっくり返そうと思ったら、大きな力を持ってしても時間がかかります。少し動いたと思ったら戻ることもあれば、知らなかった小さな化石や、新しいものがそこから出てくるかもしれない。」
け:「そうしていつか大きな岩がひっくり返ったとき、これまでに太陽を浴びていた部分も、そうじゃなかった部分も、両方が光になったり陰になったりできる時がくる…みたいな。その時には、普通の人もマイノリティーな人も、両方があっていいんだ、どっちも当たり前だよねって、そんな時代になったらいいと思うんです」
今はまさに時代が大きく変化しようとしている時。それは二人にとって、大きな岩をひっくり返している途中を見ているようなのかもしれない。じれったい気もするし、わくわくするような気もする。そんな変化の時を、自分らしく受け止めている。
とにかく色々な仮説を立ててみたり、考えたりする
ち:「私たちは、本当にいつも色々なことを発見した気になってるよね。笑 並行世界とか、宇宙とか……そうそう、もう私って宇宙人だと思ってるんですよ。けんごさんは、宇宙にめちゃくちゃ興味のある地球人!笑」
け:「そうそう、考えてる。スピリチュアルな話もするよね。腸内細菌は人間の特徴と似てるとか……すいません笑」
『生きる事って、考えることなんだな』と筆者もよく思っているが、二人も、たくさんのことを日々考えているから、そこから面白い発想が生まれ、マイノリティ(ちづるさん)×マジョリティー(けんごさん)という夫婦の組み合わせを、葛藤しながらもどこか楽しんでいるようにさえ見える。
「生きづらいから…」「しんどいからわかってほしい…」と何かにすがったり他力本願になっていないところが、chicchiworksとしても、ひとつの夫婦の形としても、二人の大きな魅力だと感じる。
今できることは、手を上げ、言葉にすること!
今はまだ、大きな岩をひっくり返している途中。だからちづるさん・けんごさんに今できることは「手をあげて、できる限り言葉にすること」。
世の中には、自分の持っている個性や生きづらさ、気質や障がいなどを人に言えない人も多くいる。でも、誰かが二人の動画や発信を見つけて、「あ、自分だけじゃないんだ」と思えるだけでも違う、と伝えてくれた。
「自分は普通じゃないんだ」と苦しむ人が二人の思いに触れて、知ることで前例があるとわかるだけで、少しでも救われるならいい。そう思っている。「モデルケース」というと分かりやすいが、まさにそうである。
ちづるさんとけんごさんの言う「普通」が、いつか誰かの「普通じゃないからダメ」を「普通なんだ」に変えることができるかもしれない。そう思って日々発信しているのだ。
そんなちづるさんとけんごさんのある意味ぶっ飛んでいる面白い発想を聞いてみたい人は、是非動画をチェックしたり、ライブ配信を覗いてみてほしいと思う。/kandouya編集部
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