「おひとりさま」というワードが流行していますが、あなたはこの言葉にどんなイメージをもっていますか?
私個人的には、結婚に行き遅れた女性が「ひとりでも大丈夫です」と寂しさを隠すようなイメージが少なからず……というより強くあるように思うのです。
でも、私はこの「おひとりさま」というワードがしっくりくる人はとてもたくさんいると思うんですよね。
性別も年齢も、職業も問わない。おひとりさまのスタイルも、自由。
もっと、たくさんの人に「おひとりさま」を楽しんでほしい。ひとりを楽しめる人は、誰かと一緒でも楽しめる人なんです。けっして寂しい人なんかではなくて、柔軟な人なのではないでしょうか、
そんな「おひとりさま精神」について、ちょっとお話したいと思います。
大人・性別・立場・イメージ……そんなのを全部取り払う「おひとりさま精神」
あなたは、無意識のうちに「大人だから」「女(男)だから」「主婦だから」「妻子持ちだから」「田舎住まいだから」なんていう枠に、自分を当てはめてしまうことってないですか?
私にはあります。もう大人なんだから、遊びはショッピングやカフェ巡り。大人の女性は、旅行や温泉で疲れを癒すもの。大人はストレスが溜まったら、飲みに行って憂さ晴らしをする。
そんな「自分は〇〇だから△△をする」という凝り固まったイメージって根強いと思うんですよね。
例えば、私は主婦で2人の子供がいます。平日の日中はひとりで執筆業をしていますが、それ以外の時間はすべて家族を中心に動かなければなりません。それは幸せなことですが、どうしても「主婦だから」「母親だから」「妻だから」という立場が前提になってしまうことが多いんですね。
ただ……「本来の私」は、主婦・母・妻・ライター、このどれもしっくりこないのです。
例えば、人に職業を聞かれたとき「ライターです」と答えることに、違和感をもっています。私は、WEBの記事も書くし、エッセイも書くし、実用書も書くし、セールスコピーも書きます。それを総称して「ライター」という枠があるわけですが、私はどうしても自分をライターと名乗るのが嫌で嫌でしょうがないのです。
だって、ライターにもいろいろな人がいるんですよ。
毎日取材で都会を飛び回ってるライター。何万文字ものWEB記事を、毎日書き続けるライター。元々弁護士や看護師、行政書士などの資格をもっていて、その知識を文章としてまとめているライター。私はそのどれにも当てはまりません。きっと皆さん、そうなんだと思います。でも、私はその「枠」に対する拒否反応がすごくすごく強いんです。
主婦という言葉も、実はとても嫌いです。
主婦とは、よき妻でよき母で、子供が学校や幼稚園に行っているときは、家事をしたり、ママ友とランチやショッピングをしたりして過ごすとか。趣味は手芸で、音楽は子供と一緒に童謡を聴くことが多くて……という「固定イメージ」みたいなものはどうしてもあると思うんですよね。でも、私はぜんっぜんそんなんじゃない。またその、イメージの「枠」に、たった一瞬でも自分を当てはめるのが心底嫌だなって、気づいたんです。
この日本で生きている限り、どうしても自分をひとつの「枠」に当てはめて名乗る場面は多いものです。
この枠って本当に窮屈だなって、30歳になった今ものすごく強く感じるようになりました。多分、私だけではなく、多くの人がそれをはっきり認識していないだけで、心のどこかに「本来の自分はそうじゃない」という思いを眠らせているのではないでしょうか。
そこで、私は30代の目標として「おひとりさま精神」をもっと育ててみようと思ったのです。
おひとりさまって、寂しいからそうするとか、そうするしかないのではなく「そのままの自分でいるため」に必要なことなのではないかな、と感じ始めています。
「ひとりが好き」でも「人が嫌い」なわけじゃない
おひとりさまの定義は、ひとりが好きなことです。
でも、ひとりが好きな人は、人が嫌いなわけではありませんよね。
基本的にはひとりでいるけれど、ときどきは人と一緒の時間を過ごす。何か特定の場所に行くときや、特定のものごとをするときは人と一緒にするとか。または、常に家族と一緒にいるからこそ、ひとりの時間を大切にしているとか。
そういったバランスをとるのが上手な人が本当の「おひとりさま」なんです。
でも、人との誘いを断ったり、ひとりで色々な場所に出かけたりする様子をみて、ときどき「寂しい人」とか「協調性がない人」「マイペース」「変わり者」といった悪い見方をされてしまうことも多いわけです。
おひとりさま女子という言葉だって、その象徴。アラサー・アラフォーの女性がひとりで焼肉やカラオケに行くことは「普通ではない」ということが前提にあって、そこから飛び出した人に大注目している。
私からすると、ひとりでどこかにいくとか、ひとりで何かに没頭することなんて、まったく特別視することではないんです。ひとりの時間をどれだけひとりで楽しく過ごせるかって、むしろすごく重要です。
誰かがいないと楽しくない。誰かと一緒じゃないと、何もできない。そういう人もそれはそれでOKなんですが「どっちが普通」で「どっちが変」という固定的な感覚は取り去っていきたいなと思うわけです。
おひとりさま精神を育てるために「ひとり〇〇ごっこ」を連載します
Kandouyaでは「ひとりぼっちで、どこまで日常を楽しめるか」ということをテーマに記事を更新しています。
一見、変な様子に見えるかもしれないし、くだらない遊びだと思うかもしれない。でも、それを私は「変なことをしている自分、おもしろいでしょ?」ではなくて「好きなことを大真面目でやってますよ」ということを示していきたいのです。
どんな人も、楽しんでいい。
どんな世代の、どんな立場の人にも、ひとりで遊ぶことを大事にしてほしい。
そんな思いで、ひとり〇〇ごっこの実況をお伝えしていけたらなと、思っております。/Kandouya編集部