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【編集部会議】「おいしいものを作る人」は、ネガティブを瞬間、包んでくれる。

Photo by Elli O. on Unsplash

こんにちは。kandouya編集部の森花です。

先日は編集者の夏野と一緒に、何時間もかけて「細かすぎてHSPじゃないと全く伝わらないあるある」を作っていました。実際、もうHSPはかなり広まってきているし、鼻息荒く伝える必要もなくなってきた昨今。私たちは自分の敏感さに対して、マイナスのイメージを抱くこともないため、それを前に出て公表する必要も、そんなにもうないのかなと感じ始めています。

ただ、もっともっと細かい部分ついて触れることで、当事者の人が「わかるー」とクスクス笑ってくれればいいなあ。

いつもは書かないイラストを描いてみましたが、変にプロのイラストレーターさんを知ってしまっているので、恐れ多くてビビってますが、是非読んでみて下さいね。笑

さて、今回の編集部会議(と称した私の気まぐれコラム…?)は、「おいしいものを作る人」です。ネガティブな感情や思いを、そのひとときだけでも包んでくれる、そんな人について書いてみたいと思います。

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おいしいものを作る人って、すごいと思う話

幸せは五感で感じると言いますが、味覚でしあわせを感じさせてくれる人。それは単純に料理人の人もそうなのですが、もっと日常のささいなひとコマでも、感じられるものです。

たとえば、私は若い頃好きな人と別れて、落ち込んでいた時に友人が「はい」と差し出してくれたカフェオレの味が忘れられません。その友人はあたたかい飲み物をよく淹れてくれる人なのですが、いつもはブラックコーヒーしか飲まない私にあえてカフェオレを淹れてくれました。

「疲れてるときは、甘い方がいいよ」

そんなちょっとした気遣いに、涙がにじみました。

他にも、小さな頃同じマンションの友達のお母さんが「今日はお昼うちで食べなよ」って言って出してくれた卵焼きの味や、はじめて姪っ子が小さな手で形を作って焼いてくれたクッキーの味など、何気ない「おいしいもの」が、その時の気持ちをひとときの間、あたたかくさせてくれることがありました。

「めんどくさい」より「してあげたい」が勝っているその気持ち

正直、私は料理があまり好きではないんです。もちろん、子供もいますので毎日やっていますし、たいしたことはできませんが家庭料理なら慣れもあって何でも作ります。なんですが、、何年やっても「好き」とか積極的にしようと思えないんです。だから、もし自分一人しかいない生活だったら、食事はめちゃくちゃ適当だと思うし、いかに片付けが楽かをメインに考えてしまいそう…。

だから、人のためにおいしいものを、「ひと手間」をめんどくさがらずにする人って、すごいなあと心から思うわけです。やっぱり、「私のために、めんどくさがらずに作ってくれた時間」というものに、ありがたみや優しさを想います。

ネガティブな感情でいる時も、その瞬間、たった何秒か何分であったとしても、ふいに嫌なことを忘れられる。ため息をついたり深呼吸することも忘れてしまっているとき、「はあー」と息をつくことができる。

料理をする仕事をしている人は、このひと手間をずっとずっと続けているということ、尊敬しかありません。

奥さんも、感謝して欲しいのは「気持ち」に対してである!

すごくお料理好き!という方はさておき、夫婦間でよくある「私がいつも家事やって当たり前と思わないでよね!ぷん!(^_^メ)」という奥さんの気持ち。これも、結局は「作った」「料理ができている」ということに「ありがとう」とか言って欲しいわけじゃないと思うんですよ。

そうじゃなくて、たとえば「旦那さんはこれが好きでこういうのが嫌いだから、ちょっとめんどくさいけどちゃんと考えてこの味にしよう」とか、「今日は体がだるかったから適当にしたかったけど、やっぱり家族の栄養は気になってしまうんだよね…」というような、ひと手間の中にあるめんどくささに勝ったその気持ち、なんだと思うんですね。

労(ねぎら)ってほしい、とだけ言うと「ありがとう」で済むように思えますが、実はそうではなく、「おいしいものを作る人」には、ぶっきらぼうでもちょっと怒っていても、やっぱり愛があるから。「自分のためだけにならもうどうでもいいけど、相手がいるからこそいい加減になりきれない」という愛ですね。

「人が作ってくれた」というだけで、本当はなんでもおいしい

一人暮らしをしたり親元を離れて、はじめて「ごはんがでてくることのありがたみ」を感じる人も多いと思います。私は昔から当たり前にご飯が出てくる家庭ではなかったので、あまりそういった経験はないのですが、結局自分以外の人が作ってくれたものって、なんでも美味しく感じられるのかもしれません。

ありあわせのもので作ったチャーハンでも。おみそ汁の一杯でも。瓶に入った鮭が具になったおにぎりでも。なんだって美味しいんです。自分で作ると「もう飽きた~」「どうでもいい~」と思えるようなものが、誰かが作ってくれた途端、ごちそうになる……。人間は、ちょっとした思いやりに飢えているものなのかもしれませんね。

だから、奥さんが作る毎朝のパパっと料理も、子供が小さいからと疲れ果てた奥さんのために文句を言いながらでも旦那さんが作ってくれた不器用な野菜炒めでも、「気持ちへのありがとう」があっていいんだと思います。

流れるような毎日の「おいしい」に目を向ける

「おいしいものをつくる人」は、本当にすごいです。完成形だけを見ないで、そこにある過程や思い、後片付けの大変さ、味の研究や改善。味覚で感じる幸せはそんなに長い時間ではないけれど、毎日の「おいしい」を流れるままにしないで、ほんの少し噛み締める時間があると、気づかないことに気付けるかも。

なぜ今回こんな記事を書いたかと言うと、最近友人がパンを焼き始めたり、おいしいお店の店長と友達になったり、うちの編集の夏野が私に食べ物を送りつけてくれたり、息子がはじめて私の誕生日におむすびを作ってくれたりしたからなんです。

「生命維持のために食べなアカンし」という流れ作業だったことが、私の心を動かしてくれることに気付いたからです。笑

(生命維持ってどんだけ興味ないねん)

幸せは五感で感じるもの。色々な感性を研ぎ澄ませて、その裏にある大切なモノに気付ける人間でありたいと、そう思っています。/kandouya編集部

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