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真面目なんかもうやめたい!否定しないで「真面目」を愛そうよ。

「真面目すぎるんだね」「もう少し力抜いたら?」「ゆるくいこうよ~!」

この辺の言葉の意味が理解できない。力を抜くとか、手を抜くってどういうことなのだろうか?

規則や秩序を破ってはいけない。もっと頑張ろう!弛まぬ努力を続けよう!子供の頃から、散々そう教えられてきたのに、大人になったとたん急に「真面目やめなよ」「真面目は損だよ」「真面目な人って息苦しい」とか散々な言われようだ。

この記事は、真面目をやめたいのにやめられない人間が書く「真面目というものをどうとらえて、どう扱えばいいのか?」を徹底解説する。もしかしたら、大した参考にはならないかもしれないし、真面目はやめられないかもしれない。だって。真面目はやめるとか、続けるとかそういうものじゃないから。

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真面目をやめたいのに、やめられない人の特徴って?

真面目な人は、とにかく自分を追い込むことで生きている実感を得ようとするところがある。不器用と言ってしまえばそれまでなんだけど、くそ真面目にしかわからない「生きている喜び」というものがある。

忙しい1日に快感を覚える

朝起きて、休む間もなく働き、たった10分のスキマ時間には面倒だと先送りしていた小さな作業をダッシュで済ませる。次の予定まで30分の空きがあるからと小走りで用事を済ませ、30分後にはギリギリの滑り込みセーフでちゃんと予定していた場所に到着。

こんな「ギチギチのスケジュールをこなせる自分」に対して、ときどき快感を覚えることがある。しかし、忙しいことに快感を得ているわけではなく「忙しいスケジュールをバッチリこなせているときの自分」に喜びを感じている。だから、予定通りにできなかったり、何かの都合によって計画変更を余儀なくされた場合イライラしたり、ストレスを抱えてしまう。

『理想の自分像』が強い

真面目な人は「真面目」が好きなのではなく「理想の自分」や「真面目な自分」が好きだ。私は、他人からどう見られるかをとても気にする。「他人の評価なんて気にするな」「嫌われる勇気も大事」とかなんとか、他人軸で生きることの無意味さはよく議論されているが、私はやっぱり「人からどう見られるか」を考えて言動してしまう。もうこれは、ちょっとやそっとじゃ変わらない。

理想像が強くあることって、そんなに悪いことだろうか? 自分はこうありたい。こんな自分は嫌だというイメージがしっかり持てるのはいいことだ。無理しすぎることで起こる弊害はもちろんあるけれど、人と接しなければ生きていけない世の中で「人からどう思われるか一切気にしない」なんて、不可能だ。真面目で自分に対する理想像が強い人は、美意識が高く、自分に厳しく他人に優しい人だ。

真面目な自分が嫌い

自分の理想というものを高く持っているのに対し、真面目な自分を好きになれないという人は多いだろう。私もその中のひとりだ。

というのも、どうがんばっても真面目をやめることができないからだ。やめたくてもやめられないから、自然なままで「真面目じゃない」人を羨ましく思う。「器用だな…」「要領がいいな」「自然体で羨ましい」という嫉妬心だってある。

真面目をやめるのは、禁煙とか禁酒とか、ヒモ男や魔性の女に引っかかるクセをやめることくらい難しい。気づいたらまた、真面目モードに入って自分で自分の首を絞めている。それがさらに「やっぱ自分ってダメすぎる……」「何やってんだろう……」という自責に繋がる。結果、そんな真面目な自分が嫌いになる。

『やらない』という選択肢がない

真面目をやめるには『できない』と、声を出して言うことだよ!

あぁ、わかってるよ。そんなことわかってる。でも、真面目すぎる人には『できない』という発想はないのだ。そもそも『やらない』という選択肢すらない。だから、体が勝手に動いていたり、無意識に行動していたりする。だから「できない」と声に出して言えるのは、本当に体を壊してから、もしくは精神的に追い詰められてうつ状態になってから、ということも少なくない。

「事前にコントロールしておく」「このままだとヤバいな」という、予見をすることさえ下手なのだ。

できたときだけ、結果をだしたときだけ認められてきた

真面目な人は、大人になって急に真面目になったわけじゃない。生まれつき、バカ真面目なわけじゃない。

今までずっと「できたときだけ」「結果が出たときだけ」認められてきたのではないだろうか。親や学校の先生からはどうしても、優秀な子やできのいい子が褒められたり、評価されるものだ。成績の評価以外にも、親や先生からの贔屓や接し方の違いなども「評価のひとつ」である。

子ども時代はいつだって、できるか・できないかの2択で評価されてきた。「できないこと」ではなく「今できていること」に目を向けよう!なんて言うけれど、大人になって急に「できていることを評価しよう」と思っても、難しいものがある。

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「真面目すぎる」「もっと雑に生きて」と言われても、理解できない

真面目すぎる人ほど「自分は真面目じゃないし、まだまだ不十分だ」と自分をつるし上げている。

精神科医などから「あなたは、少し真面目過ぎるのではありませんか?」と聞かれると、多くの患者は「何を言ってるんですか先生! 私は全然真面目なんかじゃないです!」と怒ったように言う。

また、真面目過ぎることで子育てが上手くいっていない母親に対して、教師が「お母さんが真面目過ぎると、お子さんも苦しいですよ」と声かけると「私の何を知ってそんなことを言うの!?私は〇〇もできてないし、〇〇もできてないダメな母親なのに!」と怒る。

真面目すぎる人は、とにかく自分に対しての怒りが強いのだ。そんな人に対して「もっと楽に生きよう」「雑になってもいい」と言うと、さらに真面目な人の怒りは募る。「できないことばかりの自分に、もっと雑になれと言うなんて!」「もう自分は世間から見放されたのか!」なんて思うこともある。真面目な人は、常にできない自分を叱責している。

だから、いくら言葉で「もっと自由に」「もっと素直に」なんて言われても、理解できない。まだ中国語や英語の方が理解できるかもしれない。

そもそも真面目ってなんだろう?

真面目というのは、自分に厳しく自意識が強すぎる人。

でも、真面目過ぎる張本人は自分のことを「真面目な人」とは思っていない。例えば、たばこを吸っていたりお酒が好きだったりすることは「不真面目」の象徴だと思っていることが多い。

ストレスが溜まって突然、お菓子やジャンクフードを貪ったり、買い物をたくさんして散財したりするのも一種の「不真面目さ」だと見える。しかし、これはすべて真面目過ぎることで溜まったストレスを、発散しようとする信号である。

外見も同じことである。突然派手な髪の毛にしたり、奇抜なファッションをすることで「真面目な自分」から目を逸らそうとしている場合がある。

表面的に見て「悪い行い」「不真面目な行動」をしている人は、真面目な自分を一時的にごまかしているに過ぎず、結局「自分はまだまだダメなヤツだ」と思い込んで自分を攻め立てる。その、表面と裏側の間での葛藤に、また疲れてしまう。真面目さは奥が深いんだ。「楽に生きようぜ」の一言では、変わらない。

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あんなに真面目だった人が……真面目をやめたいなら、想像してみて。

でも、やっぱり真面目過ぎるのはしんどい。いつかきっと、電池が切れる。もしかしたら、既に電池の残りは5%で赤色に点灯しているかもしれない。それなのに、真面目過ぎる心が「私は常に100%充電」と思い込んでいる危険性がある。

真面目すぎる人心は突然「ボキッ」と折れる

真面目すぎる人の心は、突然にボキッと折れる。よく「うつ病になる前に起こる〇つのサイン」なんてものがあると思うが、そんな分かりやすいサインなどないことの方が多い。

あったとしても、それは私たち本人の心の中にしかなくて、それを誰にも言えない人のほうが心を病むリスクが高い。

真面目で、理想が高く、理性が強く、人に優しい。そんな人の心は「ボキッ」と折れる。それでも、人からは「本当は弱い人だったんだね」と言われる。

事件を起こす人は大抵「あんなに真面目そうだったのに……」と言われる

テレビのニュースに登場する事件に対し、周囲の人はほとんど「あんなに真面目そうに見えたのに……」「いい人にしか見えなかった……」という。そういう事件はごまんとある。

真面目すぎることの弊害として事件を起こすことを、肯定するつもりはない。しかし、真面目さと暴力性や衝動性による事件は本当に紙一重だということは節に感じる。

私は、自分の真面目さからくる苦しさで爆発して、事件を起こすことが容易に想像できる。それは常に「自分を許せない」ことへの感情が爆発するとき。だから、相手は誰でもいい。通り魔や無差別殺人の犯人は、常に最悪な自分への怒りを持っているのだろう。

自分には関係ないと思っていたら、いつの間にか渦中にいることも

自分は確かに真面目すぎるし、真面目をやめたい。それでも、精神的な病気や事件などとは無関係だ。そう思っている人は、甘い。

うつ病になった人、事件を起こした人、全ての問題を抱える人はみな「自分は大丈夫」そう思っていたはずだ。だって、心を病みたいと思う人も、事件の加害者になりたい人も、世の中にはいない。みんな「自分は真面目だから」と安心している。

でも、その真面目さは自分を追い詰めて、自分をどんどん傷つけて、その耐えられない怒りがある日突然内側に向くか(自ら命を絶つ)、外側に向くか(他人を傷つける)の違いである。

真面目すぎる性格を愛そう。真面目を楽しもう。

世の中の人はみんな「もっと力を抜こうよ」「自分を解放しよう」「ありのままの自分を愛そうよ」と、言葉をかけてくる。でも、その言葉のどれもが「真面目をやめる」ことにはつながらない。ときには「真面目は損」「真面目は悪」だなんて言われて、一生懸命生きているだけなのに、世の中の癌みたいに言われてしまう。

私はそんな風に思わない。真面目なんか、やめなくていい。というより、やめようと頑張ることでまた自分の首を絞めることもある。ただ真面目に生きるしか、方法がなかったのだ。

真面目をやめるまえに、まずは「真面目な自分」をちゃんと見つめよう。なんでこんなに不器用なのか。なぜこんなに、手を抜けないのか。それを絶対に責めないでほしい。

正直、何の解決策もここで言えなくて申し訳ない。でも、私はそういう不器用で要領が悪くて、他人の目ばかり気になる自分を「これが自分だ」と自信をもって言おうと思うのだ。

ありのままって、そういうことだし、自分を愛するとは、そういうことだと思うから。/Kandouya編集部

もうちょっと「雑」に生きてみないか (WIDE SHINSHO)

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