本当に、深く深く悩んでいることは、正直言って誰にも相談できないものだ。
「何かあったらいつでも聞くよ。」
「いつでも相談に乗るよ。」
そう言ってくれる人の存在がいても、いなくても。人は、本当に深い悩みを持っているときは、誰にも言えないのだ。言えないからこそ、どんどんどんどん深くなっていって、説明のしようがなくなる。
相手にだって、都合があるだろうし。そもそも、悩みなんて1つのことだけではなくて、いろんなことが複雑に絡み合ってできているものだから、1時間や2時間で話しきれるものなんかじゃない。
世の中には、カウンセリングだの、電話相談だの、セラピーだの、いろいろな解決方法があるけれど、どこにも誰にも頼れずに袋小路に迷い込んでいるひとがいっぱいいるんだと思う。
そんな「悩みを相談できない」という悩みに悩みを重ねてしまったひとがやるべきことは、たったひとつ。
「書く」ということだ。
なぜ、相談できない人が悩みを「書く」といいのか?
なぜ「書く」ことが、誰にも相談できない悩みを解決するのに役立つと言えるのか。
それは「余計なことを考えずに自分の思うままを形に表すことができるから」だ。
悩みは信頼できる人に話すのがいちばん、と思われがちだが、いくら信頼できるといっても、話すときの相手は「人」だ。
だから「これを言ったら相手がどうお思うか?」とか「こんなことを話したら嫌われるかもしれない……」という不安から、自分の思ったままをスラスラと話せないことが多い。
悩みを相談できない人は、人の気持ちに敏感だったり、人から嫌われたり切り捨てられることへの不安を抱えていることも多い。
だからこそ、誰に見せるわけでもないノートやメモ帳に、思ったまま、感じたままの「感情」を書きなぐるのがいい。
誰にも見せないのに、それでいいの?
おそらく、半信半疑になるだろう。
でも、第三者を気にせず自分の思いを書くことで、人生を救われている人がたくさんいる。本当にいるのだ。
書式・文法・漢字・順序・字の恰好、全部どうだっていい
↑このノートは、筆者が「どこにも逃げ場がない」と感じたときに、とりあえず気を静めるために書きなぐっていたものだ。
最後の文に、鼻くそみたいなもんがついているのがその証拠だ。
字は汚いし、普段手書きで文章を書くことはほどんどないので、漢字がまぁ出てこない。
内容も支離滅裂だし、自分の思ったことが理屈として正しいか、間違っているかなんて、全然関係ない。
ただただ自分の思ったままを、ぶつける先がないから書いていた。
過去にもこうした「殴り書きノート」は数々あったのだけれど、読み返して「ウゲっ」と自己嫌悪に陥るたびに破ったり捨ててしまったりして、今はこの1冊しか残っていない。
それでも、私はこの「殴り書きノート」に助けられてきたと思っている。
自分しか見ない。誰にも見られない。
そんなものに意味があるのかと、当時の私も疑問だったけれど、意味があった。ちゃんと、自分の思ったことを「見つめる」人がいた。
自分のことをすべて理解してくれるのは「自分」だけ
なぜ自分しか見ないノートに、相談できない悩みを書くことで救われるのか……
それは「自分のことをすべて知っているのは自分だけ」だから。
自分のことを100%理解してくれるのは、自分だけなのだ。
あなたが今日書いた殴り書きを、数日後の自分が読んでくれる。数か月後の自分も、数年後の自分も絶対に読んでくれる。そのノートが存在する限り、自分はいつだって読んで「そうだね」「うん、わかる」「がんばってる」と、読んでくれる。
しかも、あなたの過去から現在までの事情をすべて知った上で、読んでくれる。
そんなのは、あなた自身にしかできないことなんだ。
他人に悩みを話すとしても、あなたの過去から今までをすべて知り得た上での助言やアドバイスをもらえることってないんだ。
あなたはたぶん、それを知っているから人に話すのをためらうのではないだろうか。
あるいは、自分のことを理解してくれるとしても、そんな大事な存在である誰かを、自分の深い悩みや胸の内を話すことで「失いたくない」という怖さもあるのではないだろうか。
悩みは、誰かに聞かせるから解決するとは限らない。誰かに相談したことで、さらに「わかってもらえなかった」という悩みを新たにこさえることもあるんだ。
それが怖いのなら、無理にすることはない。ただ、外に出さないとあなたは苦しいままだし、苦しみのゲージが満タンになって爆発してしまうかもしれない。その前に、今すぐできることは「書く」ということなのではないだろうか。
相談できない悩みを「書く」行為は、エクスプレッシブライティングという
悩みを「書く」ことでそのエネルギーを消化したり、苦しさを軽減するのは、私が勝手に「いいかも~」といっているわけではないことも断っておこう。
アメリカのジェームズ・ペネベーガー博士が「認知行動療法」の一環として提唱しているものだ。
ネガティブな感情や不満などを紙に書き出して「可視化」することで、そのつらさが大きく軽減するということがわかっている。
自分で書いて「自分で見る」というこの単純なプロセスで、自分の頭の中を客観的に見ることや、そのときに感じたことを認めてあげることができるのだ。
時には、昨日の心やテンションで書いたものが、翌朝になると破り捨てたくなるようなものもあるだろう。でも、それはそれでいい。捨ててもいい。全部あっていいのだ。
でも「今しんどい」「今非常につらい!」となったときに、頼れる人や泣きつく人がいないという状況ではとても有効だ。
どうせ、誰にも見せないのだから、好きなように思ったままを書けばいい。
つらい、死にたい、さようならと書いてごらん。
自分なんか消えてしまえ!と書いていいんだよ。書くだけで少し満足して、明日もう少しだけがんばってみるか。という気持ちになることもある。
今あなたが書いた、誰にも相談できない悩みが、いつか自分を励ます日が来るよ
たった今あなたが書いた、ぐちゃぐちゃで、支離滅裂でな殴り書きは、きっと未来の自分を励ます日が来る。
「なんでこんなものが未来の自分の役に立つの?」
そう、怪訝に思うだろう。
でも今あなたが感じていることは、必ず未来の自分のためになる。
「この時、本当に苦しかったんだな」「あんた、よく頑張ったね」
本気で心の底からそう思ってくれるのは自分だけなのだ。
だから、未来の自分に向かって「もうどうしようもないよ」「自分なんていないほうがいいよ」そんな風に、ありのまま、感じたままを書き残すような気持ちで書くのもいいと思う。
「悩み=誰かに相談する」というのは、一番難しいことなのかもしれない。
だから、今できる方法で私があなたに勧めることができるのはやっぱり「書く」ということだけなのだ。
書いて書いて書きまくれ。
誰にも見せない、自分しか知り得ない「気持ち」を今、とにかく書いてみてほしい。使いかけのノートでもいい。メモ用紙でもいい。チラシの裏でもいいから。/Kandouya編集部