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誰も自分を知らないところに行きたい…いい人でいることに疲れてない?

誰も自分のことを知らないところに行きたい。

私もよく、考えていました。

思えば、環境をガラッと変えることにあまり抵抗のない人間でした。環境が変わったら変わったで、適応するまでに時間がかかって疲れるのですが、遠くの土地に行くことも、学校を変わることも、友達や知り合いのいない場所で暮らすのも、あまり抵抗がありませんでした。

仕事をするようになったら、休日は部屋にこもるか、知っている人に合わないような遠くに町に行きたいと思うことが多かったです。もしくは、人通りの少ない山や海のようなところに足を運ぶことも多かった。

それはなぜかというと……その場その場に合わせた自分を演じることに、いつも疲れていたからなんじゃないかなぁと、今振り返って強く思います。

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いい人を演じる人ほど、今の場所から逃げたくなる

誰に対してもいい人として接すること。人に合わせて、その場の空気を調和することに神経を使っている人。

そんな人はどうしても「演じる」ことに慣れてしまいがちです。

演じるっていうと、自分を偽っているとか嘘をついているというような、悪いイメージを抱くかもしれません。

確かに、本質的にはそういうことになるのかもしれません。自分に自分で嘘をついて、誰かの評価や評判を気にしてしまう……。でも、それって単に「優しい」人だともとれるわけです。

誰も傷つけないように。誰にも、不快な思いをさせないように。そうやって生きている人ほど、今生きている現実世界に疲れて

「もう、誰も自分のことをしらないところに行きたい」と思うのかもしれません。少なくとも、私はそうだったかもしれません。

「本当は、いい人なんかじゃない」という自責の念

その場その場で、人に合わせたりいい人を演じている人は、自分の顔や名前が知れ渡っていくことに窮屈さを覚えるのではないでしょうか。

「〇〇さんって、こういう人だよね」

「あなたは、こういう性格だもんね」

そんな表面的な、レッテルを貼られてしまうことに、ひといちばい違和感を覚えるのです。

私は本当は、そんな人じゃない。本当はもっと悪いところもあって、ダメなところもあって……。

理想と現実とのギャップや、自分の中の「完璧」と「できない自分」のギャップに、自分がいちばん戸惑っているのかもしれません。

常に、いい人であろうとすることで、そもそも体も心も疲れます。でも、それに輪をかけて「自分は人を騙している」というような、無意識の罪悪感を覚えることも少なくないのです。

罪悪感って、実は自分でも気づかないうちに抱えているもので、いろいろな場面でいつも「うしろめたさ」を感じてストレスを溜めています。普通に、ただ平凡に暮らしているだけで、この無意識の罪悪感によって心が疲れてしまうんですね。

そしてその罪悪感は、さらに自分を責めてしまい、自信がなくなり……という負のスパイラルを引き起こします。

https://kandouya.net/mentalhealth/5704/

干渉されることへの嫌悪感が強い

「誰も自分を知らないところに行きたい」

そう思うのは、干渉されることに強い嫌悪感をもっているから、というのも理由かもしれませんね。

「昨日、〇〇の駐車場にいたでしょ?」

「この前見かけたよ~!一緒にいたの誰?」

私の場合、そんな他愛もない言葉も、うっとおしいと感じてしまうことがありました。

誰かに見られていることや、自分の知らないところで自分の噂をされていることなどに、すごく嫌悪感をもっていたんです。

これは相手に悪意があってもなくても同じで「とにかく、ひとりの空間を大事にして自由でありたい」という感覚が強いからなのかもしれません。

ずっと地元にいる人なんかは、どこもかしこも同級生や顔見知り……なんてこともあるわけですよね。

そういう、昔なじみの土地に嫌気がさすような瞬間も、人間にはあって当然なのではないかなと、私は思います。

誰も自分を知らないところに行きたい。行ってみるのも、大いにあり。

誰も自分を知らない場所で、いちからやり直したい。

なるべく人と深く関わりをもたないで、いろいろな場所を転々と渡り歩くのも悪くない。

そんな選択に対し「逃げだ」「どこへ行っても同じことの繰り返し」という意見も少なくありません。

でも、やってみたらいいのではないでしょうか。

私は、何度も環境を変えながら生きてきました。

引越しや転校もあり、色んな場所に住みました。

どの土地の経験も自分の大事な経験です。そこで出会った人たちは、今も付き合いのある人なんてほどんどいません。

それでも、自分がこの目で見て感じた土地の風景というのは残っているし、そのときの思いとか、決意みたいなものだって、自分の中の大事な糧になっています。

別に、同じことの繰り返しだっていいじゃないですか。

「百万円と苦虫女」という、蒼井優さん主演のすごくいい映画があるんですが、私はその映画が大好きなんですね。

生きづらい主人公が、アルバイトをしながら100万円を貯め、貯まったらその街を出て違う土地に行く、というだけの話です。人と深く関わることが苦手で、しがらみやレッテルのようなものから逃げたい。その一心で、働き、街を転々とし、いろいろな風景や人に出会っていくのです。

そんな人生があっても、いいのではありませんか。

【百万円と苦虫女】最高に愛おしい“上手に生きられない女”

移住しなくても、誰も自分を知らない場所に行くことはできる

ただ、何も移住するだけが「自分を解放する」ことではないですよね。

休日に、スマホの電源を落として、少しの荷物をもって小旅行に行くだけでも「自分のことを誰も知らないところに行きたい」を実現できます。

私、いまこれをすごくやりたいんですね。仕事も家庭もあるので「なかなかそうもいかないな」なんて理屈をつけて実行できていないんですが、これって「生きづらさ」と向き合う人にとってすごく大事な作業なんです。

行先も決めない。どの電車に乗るか、どの駅で降りるかも決めない。

なんとなく、ふと目に入った景色で決める。

入るお店は、やっているのかやっていないのかもわからないような、小汚い定食屋に入ります。すると店の人が気さくに話しかけてきて、その店の歴史とか、店主と女将さんとの小競り合いを聞いてみたりとか。

お腹がいっぱいになったら、歩いて次の駅をまで歩く。

まぁ、あくまでもそういうイメージなんですけど、見知らぬ土地を、何の当てもなく歩いたりすることって、今の殺伐とした現代に生きている人には必要な時間だと思います。効率化とか、時短とか、ノウハウとか……そういうのは少し忘れて、自分のことを誰も知らない町で、1日2日ほっつき歩いたって、誰も文句は言えません。

誰も自分を知らないところに行っても、それまでのつながりが消えるわけじゃない

自分をリセットするような気持ちで、新しい場所に行こうとする人もいると思います。

仮にそう決めたとしても、それまで出会った人達とのつながりって完全に消えるわけじゃないんです。

今はもちろん、スマホやSNSがありますから、寂しくなったら連絡をとることなんていくらでもできますよね。

それに、案外人は、他人の顔を覚えているもので、久々に以前の土地に返ってきたらあなたの顔を見て「懐かしいな!」と言ってくれることもあるし。その場所を離れたからといって、全て終わりなんかではないんです。

あなたがそうしたいと思ったら、その直感を信じてやってみてもいいと思うのです。

疲れた自分、演じる自分をやめる時間は、確かに必要です

どんな方法にしろ、あなたは「自分を演じること」や「いい人であり続けることへの罪悪感」みたいなものに、疲れているのではないでしょうか。

自分の感覚で、自分が楽しく暮らすことではなく、人に合わせることや、人に良く思われるための行動に疲れているのは確かなんじゃないかなぁと、私は思うのです。

もちろん、そうしているのは自分であって、それすらも、既によくわかっているんじゃないかなぁと思います。

世界は広いです。ひとつの場所に留まることは確かに安全だけど、あなたが行った先で見た風景や空気、出会う人は生涯の宝になります。道でただすれ違う人だって、目に留まるか止まらないかの違いで、あなたの頭の中は全然違う動きをします。すべてのことに意味があるんです。

1日でも、ずっとでも、誰も自分のことを知らない場所に行ってみるのも、全然悪くないし、むしろ楽しそうだなって思えてきませんか。/Kandouya編集部

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