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信じられる人の言葉しか聞けない!悩みも全て1人で抱え込むあなたが苦手なのは「見返り」

「せっかくアドバイスしてあげてるのに、頑固なんだから」

心から信じられる人、心から「この人の事が好き」と思える人。そんな人の言葉なら素直に聞けるのに、そのほかの人には何を言われても心に響かない…。というか、むしろ聞いてない。

「強がり」「頑固者」「変わり者」そんな風に言われたって、好きで1人で抱え込んでいるわけじゃない。

そんな経験ありませんか。「他人の言葉に耳を傾ける」って、簡単そうで難しいんですよね。でも、筆者はあなたのことを特に「頑固者」とも「融通の利かない人」とも思いませんよ。

この記事では、なんでも1人で抱え込んでしまうあなたの気持ちに寄り添っていきます。

1人で抱え込みたくてそうしているわけでは決してないという事実

「人は1人では生きていけない」「なんでも1人で解決できるから、強くて1人でも平気なんだね」

よく「なんでも1人で背負い込む人」が他人にかけられそうな言葉です。しかし、どちらも不正解。本当は「1人で生きてけない」なんてわかっているし、なんでも1人で解決できるなんて思ってない。

ただ、どうしても「あなたに話してどうなるんでしょうか」「結局決めるのは自分だ」と思ってしまうだけ。自分が強いなんて思ってないし、つらいときにはもちろん支えてほしい。「支えてくれる」のであれば。

けれど人間はめんどくさいもので、助けてもらえば「助けてやったのに」とそれとなく言われ、意を決して寄りかかってみれば、自分が気を遣ってしまうだけでさらに疲労が倍増…なんてこともあるのです。

信頼し合える関係ってとてもむずかしい。1人でしんどいことを乗り越えてきた経験の多い人は、強がっているわけではありませんよね。「物事の最終地点」を最初に見てしまっているのでしょう。

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1人で抱え込む人は、「見返り」がめんどくさい

自分が見返りを求めるのも、相手に求められるのもしんどい

もちろんしんどいとき、もう限界だと思った時、誰かにSOSを出したい。けれど、誰かに支えてもらうことや自分が支えることによって生まれる「見返り」の感情がしんどいのではありませんか。

どうしても誰かに何かをしてもらうことは、人としてそれなりに恩を返さなければいけないという気持ちがします。逆もしかりで、自分が一生懸命何かしたら、相手も同じだけの思いを返してくれるのではないかという期待が生まれます。

人として至極真っ当な感情かもしれません。

しかし、これが実は少し厄介で、自分の「期待」による「落胆」や、相手が自分に「見返りを期待する」ことによる「自分への罪悪感」が同時に生じるからです。これらの思いがしんどい、疲れるから、最初から1人で抱え込んでしまうというわけです。

だからこそ誰にでも「聞く耳」があるわけではない

「誰かを頼ろうとしない人」というのは、強そうに見えてしっかりしていると思われる反面、「独りよがりで、強がりな頑固者」と思われてしまうこともあるでしょう。

たとえばアドバイスです。こちらから何も言っていなくても「○○は大変でしょう。こうするといいよ。私も○○でこうして~」と言われたとします。その時、それを言ってきた相手が「信頼していない人」の場合、初めからちゃんと聞こうという気持ちになりにくいのです。

だって、相手はあなたにアドバイス的なことをすることによって、あなたからの「ありがとうございます」を大いに期待しているように思えるし、今後も正直求めていないのに色々言ってくるかもしれないと考えたら、ひどくめんどくさい心境になります。

それはただ、「自分が本当に頼って、そこに見返りを期待してない人」ではないから信頼できないだけ。要するにひたすら純粋に「あなたのために何かしてあげたい」と思っているのではない、ということが透けて見えるからではないでしょうか。頼りたいけど”人による”というのは、まさにこういうことなんです。

信頼できるかどうかを見極めることは悪いことではない

周囲の人のイメージはさておき、強がりだと言われようが、頑固だと思われようが、自分で信頼できる人を見極めて「聞くか」「さらっと流すか」を判断することは悪いことなのでしょうか?

人を頼ることが難しいからといって、その人は「自分が強い」と自負している、と勝手に決めつけられるのは心外でしょう。

「素直にどんな人のアドバイスも受け入れられる人が伸びる人」「人に弱さを見せられる人こそ、本当に強い人間」なんてどこかで耳にしますが、別に無理をして自分の弱さや内面を見せる必要はないと思います。

”見せられる人”をしっかり選ぶこと、損得勘定なく支えられたり支えたりできる人を求めること、こういったことはある意味かしこいやり方でもあって、ありのままのあなたが受け入れてもらえる相手を見つけられるまで、1人で抱えていたっていいと思うのです。

ただ、1人で抱え込むってそこそこキツイよね。

我慢強いから自覚がないだけで、本当はかなりしんどいはず

1人で抱え込む人、というのは、そもそも「1人で抱え込める人」だからそうなっているとも言えます。それこそ無理な人であれば、ところ構わずパニックになったり泣いたり、相談して回る人もいますから。

強がりではないけれど、昔から色々な経験をしていてあなたが思っているより「我慢強すぎる人」になってしまっているのではありませんか?

一般的に人が「つらい」と声に出すところでも、あなたにとっては「まだこんなもの」なのかもしれません。その辺の周囲とのギャップによって、強がりの仮面を被っていると思われてしまうのでしょう。

「あの人に相談してみたら?」は意外と失敗しやすい

これは筆者の経験談的な目線ですが、たとえば誰かに「あの人はいい人だよ」「あの人に相談してみたら?」と誰かについて言われるとします。しかし実際は、”あの人はいい人だよ”というのはその人がそう思っているだけの話であって、自分が接してみると「?」と感じることが多かったりします。

人の悪口も良い話も、なんでもやっぱり「自分の目で見る」ということは非常に重要です。人間は誰がその人を見るかによって、びっくりするほどイメージが違います。

こういう「信じてみようかな?」と行動して失敗する経験が増えてくると、やっぱり学ぶもの。「やっぱり自分でなんとかしなくちゃ…」と感じてしまうのです。

あなたは「本気で助けてあげちゃう」タイプの人

あなたは、1人で抱え込んでしまう人。その奥底の部分は、きっと「私なら本気で助ける」と思っている人ではありませんか?

「辛い人がいるなら、してあげたとかお返しとかなんとか思わずに助ける。それに対して”してあげた”なんて別に思わない」という感じ。

だからこそ、自分が相談したり頼るなら、同じく「別に”してあげた”なんて思わない」人がいいのではないですか。

あなたは根がとても優しいのだと思いますよ。だから1人で抱え込むようになったのですね。

「1人で抱え込んでしまう」ことがダメとは思わないでほしい

結局のところ、1人で抱え込んでしまう人が「そうしなくなる方法」なんて薄っぺらな答えはない。だって、自分で「この人になら話したい」と思える人がいないのなら、せっかく見せた本音も、丸裸になったものの傷ついて戻ってくるだけかもしれないから。

ある意味臆病で、ある意味かしこくて、我慢強い。そんな人、筆者は大好きですよ。「無理しすぎないで」なんて言うのは簡単だけれど、あなたはきっと無理しているつもりもないかもしれない。

1人で抱え込んでしまう人だっていい。あなたは自分の目で見て、自分で選択して、自分の感覚を信じて生きていく。誰に何と言われても、それでいいと思います。

だけどもしも、いつか本当に「信頼できる」と思う人との出会いがあったときは、「人に心配をかけること」を悪いことと思わないで。きっとその人は「心配くらいさせてよ」と言ってくれるから。/kandouya編集部

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