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誰からも愛されてない気がする。そんなときはただひたすらに……

誰からも愛されていない。誰も自分になんて興味がない。

私は今まで何度もこういう気持ちを味わった気がする。

大抵「誰からも愛されていないと思う人は、まず自分を愛してあげないと。自分のことを愛することができない人は、誰のことも愛せないの。自分が満たされていないのに、相手のことを満たしてあげられるわけがないんだよね。」

って、正論をぶつけられてしまいます。

それは、そのとおり。おっしゃる通りなんです。でも、そのままの自分で愛されたことがないのは、自分のせいじゃありませんよ。

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「無条件に愛された経験がない」という事実は、ちょっとやそっとじゃ変わらない

私は他人に「もっと自分を愛そうよ!」とは、なかなか言えません。だって、そのやり方を知らないから、どうしたってできないんですもの。少し上手くなっても、やっぱりまだまだ下手だったり、ときどきやり方を忘れたりします。

たとえば、小さなころからずっと水泳をやっていた人は、大人になってもその感覚を「体」で覚えています。だから、ずっと泳いでいなくたって水の中に入れば体が勝手に動くのです。

楽器のギターやドラムなんかもそうで、若いうちにむちゃくちゃ練習しておけば、歳をとってからいざやろうと思ったときにすんなり感覚を取り戻すことができます。

これはスポーツとか楽器だけでなく、すべてのことに同じことが当てはめられると思うのです。

愛情のもらい方、自分の愛し方っていうのも、身体が覚えているもの。だから、理屈でいくら「自分を大事に」「自分を愛しましょう」と言い聞かせたところで、浸透する速度や身につく速度はものすごく遅いです。

あなたには、無条件に愛された経験がありますか?

何かを失敗したときも、好き嫌いをしたときも、友達と喧嘩をしたときも、成績が落ちてしまったときも。どんなときも、誰かにあなたの気持ちを受け入れてもらったという自覚がありますか。多くの場合が、親との関係の話になります。

もちろん、親も人間です。親子の間では感情的になることも、叱られることもたくさんありますよね。その程度には個人差がすごく大きいと思うんです。でも、少なくとも「子供でいること」「親に面倒をかけること」「間違いや失敗をすること」などに対して、受け入れてもらう経験はとても大切です。

誰からも愛されていない、と感じるのには絶対、親子関係の問題や幼い頃の記憶が関係しているはずなんです。

自分のことを愛せない自分が、さらに嫌いになりませんか?

「愛されていない」という感覚は、繰り返し波のようにやってきます。あるときは「私は幸せでいっぱいだ」と感じたりするけれど、またしばらくすると「あぁ、やっぱり私は誰からも愛されていない」と元の位置に戻っていることに気づいたりする。

人間は常に誰かしらと接触しながら生きていて、とのときどきで喜怒哀楽を感じています。だから、愛されていると思えるときと、思えないときが繰り返されている……というのは自然なことでもあると感じます。

いつも幸せいっぱいなわけ、ありません。人は常に変化し、成長しています。周囲の環境も状況も変わっていきます。だからこそ、あなた自身の「愛」の感覚もそのときどきで違うし、周囲の人との関係もそのときどきで違っている。

でも「愛されていない」と感じる度にまた「自分が悪いんだ」「自分に価値がないから、誰も愛してくれないんだ」という感覚に浸ります。何度も何度も、この「誰からも愛されていない自分」になることで、さらに自分を嫌いになってしまう……ということもあるのではないでしょうか。

期待と失望を繰り返している

「愛されたい」と思うのは、期待です。この人なら、自分を愛してくれるかもしれない。私が、もっと頑張れば、相手も同じだけ愛情を返してくれるかもしれない。そんな期待をしてしまうのが人間です。

でも、結局その「愛されたい」の気持ちを利用されたり、裏切られたりしてしまうこともあります。愛されているけれど、その愛がいつなくなるのかわからなくて、自分自身で「愛されなくて当然だから、期待しないでおこう」と思うこともあります。

期待したい。でも、期待しないほうが身のためだ。この二つのあいだで揺れている……。私はこういう気持ちこそが、人間らしくて美しいとさえ思います。ただ、自分がそういう状況のときって心底みっともないし、恥ずかしい、もう嫌って思うものなんですよね。

じゃぁ、誰からも愛されていないって思うときはどうしたらよいのでしょうか?

誰からも愛されていないと感じるときは、ひたすら共感に浸ること

共感するって、よく使われる言葉ですが本当に大切なものなのです。

他人の意見や感情などにそのとおりだと感じること。また、その気持ち。

goo 辞書

まったくその通りだと感じること……これは「受け入れてもらう」ことに値します。

例え、誰かの気持ちにこちら側が共感する形だったとしても、自分が感じていることを相手もまったく同じように感じている、ということはお互いに「受け入れ態勢」にあるということなのではないかと考えます。

だからこそ、心が苦しいときは共感できる小説や本、映画やドラマ、漫画に救われる人が多いわけです。

共感とは「うんうん、そうだよねー!」「わかるー!」と、言葉でうなづき合うことだけではないのです。どこか知らない誰かが書いた文章や、作った曲、映像作品……なんでも良いから「同じ気持ち」に浸るということが非常に大切なんです。そういう作品を作っている人には、必ず心の深いところにメッセージをもっています。それに、どこかの誰かが共感して、繋がっていく。こういうことも「愛」であると私は思っています。

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愛されるために、自分を変えようとしないで

誰からも愛されていないから、じゃあ自分がもっと愛されるように変わろう。

そう思うのは、実は逆効果です。これはまた「無条件に受け入れられた経験」の話のように「今のあたなではダメ」と言われていることを受け入れて、自分がもがくことになるから。もがいてもがいて手に入れた共感や愛情は長続きしないのです。

もちろん、人間は変化し、成長していくものですし、それは大事なことです。でも、やっぱり根底に「ありのままの自分」に共感したり、受け入れてくれたりする人がいないままだと、変化することも成長することも苦しいだけなのかもしれません。その苦しさに気づいたときにまた「やっぱり誰からも愛されていなかった」と再認識することにもなってしまうから。

共感に浸る場所はどんなところでもいい

共感に浸る場所は、どんなところでも構いません。日常生活のなかに、心を開ける人がいなければインターネットの中でもいいのです。この記事のように、何気なくふと目に留まった文章がにものすごく共感して、少し心が落ち着くことだってあるはずです。そうやって「自分と同じ考えや気持ちの人が世界のどこかにいるのだ」という実感を得て、それを積み重ねていってほしい。

だから世の中には無数の文章・映像・音楽・絵画といったカルチャーが存在しているのです。どこかの誰かの「受け入れられたい」「愛されたい」という気持ちに、答えてくれる作品はたくさんあります。

誰からも愛されていないと思うときは、頑張りすぎているとき

誰からも必要とされていない、愛されていない……

そう思うときは、あなたが頑張りすぎているときでもあります。

「大丈夫!」「がんばるね!」(もっと愛されるために)

「私は平気!」「自分で何とかしなきゃ!」(愛してもいいと思って欲しいから)

こういう縮図って必ずあります。あなたの心とは裏腹に、周囲は「あの人は強いね」「頑張り屋さんですごいよね」という風にしか捉えないんです。その奥まで見抜いて、手を貸してくれる人ってあまりいません。

だから、あなたは頑張れば頑張るほど、誰にも愛されていない感覚が強くなって倒れてしまう……ということもあるんです。

でも、あなたはたぶんそうやって生きてきたんです。誰にも愛されなくても、本当の意味で理解してもらわなくても、ここまでやってこれた人なのです。だから、本当に強いのは確かなんだと思います。

ただそれでは、いつかエネルギー切れを起こすかもしれません。だから、まずは共感できるものをたくさん見て、誰かと同じ気持ちになるという感覚に浸ってみてほしいのです。誰からも愛されていないんじゃなくて、本当に愛することや愛されることってなんなのか、まだ知らないだけかもしれない。

ただ自然体でそこにいることを、喜んでくれる人が世界のどこかには必ずいると信じてほしいです。/Kandouya編集部

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