
人を見下してしまうなんて、自分はなんて性格が悪いんだろうと悩んでいますか?
誰に対しても尊敬の心をもって、ポジティブに、フリーダムに人間関係を築いていくべきなのに、なんて自分は器が小さいのだろう。
そんな風に自分の性格が嫌になって「変わらなきゃ」「もっと良い人にならなきゃ」って思っていますか?
人を見下してしまう自分が嫌だな、と感じている人は「変わろう」と努力するよりももっと大事なステップを踏む必要があります。
この記事では、人を見下してしまう心理を知って、そんな自分を受け入れられることをゴールにしています。
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人を見下してしまう心理は、誰もがもっている

人を見下さない人って、本当にいるんでしょうか? まったく人のことをバカにしない人がいるとしたら、ぜひ会ってみたいものです。
人を見下す心理は、ネガティブな感情を処理するための手段にすぎない
人を見下すという感覚って、すごく微妙な感覚ですよね。 見下すとは「自分より相手の方が下だ」と認識すること。 しかし、もしかしたら、根本的に相手を見下しているのではなく、他の気持ちを処理するためにやっていることなのかもしれません。
- この人嫌い
- あんまり興味がない
- 生理的に受け付けない
- 話がつまらない
- 嫌なことを言われた(された)
- うらやましい気持ち
人に対して、こういうネガティブな気持ちを処理するときに「見下す」という手段をとって、なんとかやり過ごしているものなんです。
ネガティブな感情って、すごく大きなエネルギーが動くので疲れるんですよね。真っ向から向き合うと、泣きたくなったり怒りたくなったりしてしまうので、自分の感情をある程度コントロールするために自然に処理する方法のひとつなのではないでしょうか。
人の心の中なんて、誰にも見えないしわからない
一見、とってもいい人で明るくて、欠点なんてなさそうに見えるような人も、必ず心の中に闇や腹黒さをもっています。
人間的な成熟度はそれぞれ違いますが、どんなにいい人でも、人間的にできた人でも、心の中には誰かを見下している部分があります。
たとえば、あなたはテレビのニュースで強盗や殺人などの犯人が逮捕され、送検されるシーンを見ることがあると思います。そんなとき「なんでこんなことしちゃうんだろうね……」と思ったり、話題にしたりすることがありますよね。
これも、見下している心理です。「こんなこと、あっちゃいけない」「やっていはいけないことを、なんでやってしまうんだ」という憤りや、悲しみ、怖さ……そういうものを「世の中には、変な人間がいるんだな」という視点からみることで、必要以上に気にしないように自分を守っているわけです。
学歴・容姿・肩書き・地位・人間性といったものに、どんな価値をつけていますか?
「自分の価値観」の基準で人を見下してしまうこともあります。
たとえば、あなた自身が「学歴があることはすばらしい!」と思っていれば、学歴のない人を見下してしまいます。また、引きこもりやニートといったものを否定的に見ていれば、そういう人を見下してみてしまう。
ルックスのよさや、ファッションセンスのよさを重要視していれば、センスのない人や顔の目鼻立ちで人を判断して見下してしまうこともありますね。
また、むやみに人の悪口をいう人や人をいじめる人、怒りの感情を露わにする人に対して、見下した視点でみることもあります。
このように「自分が、こういうことには価値がある」と思っているものを持っていない人、できていない人に対して見下す気持ちをもってしまうことも多いです。
これはなぜか、というとそこに自分が努力してきたこと、頑張ってきたこと、苦しんできたことが集約されているからです。「自分は〇〇に対して一生懸命価値を作ってきたのに、それをやらないなんて!」という憤りを処理するために「見下す」という方法をとっているのです。
つまり、価値観が多種多様なこの世の中で生きている上で、他人を見下さないなんてことはあり得ません。あなたの性格が悪いのではなく、あなたが自分の中のネガティブな感情にちゃんと気づいて、見つめている証拠ともいえる、だから、とりあえず「自分は性格が悪い」なんて思って悩まなくてもいいのではないでしょうか。
自分を抑えてしまうタイプの人は、人を見下してバランスをとってきた!?
人を見下している自分を「性格が悪い」「もっと改善しなければ」と自省している人は、過去になんらかの心の傷を負っていることがとても多いです。
- 学校でいじめにあった
- 友達関係で何度もつらい思いをした
- 複雑な家庭環境でストレスを抱えながら暮らした
- 親から虐待やそれに準ずる不適切な教育を受けた
- 恋愛で傷ついた経験が多い
などなど本当に内容はいろいろあるのですが、やはり過去に、あなたにとってすごくつらい経験があった可能性が高いんですね。
特に、こういった自分ではどうにもできなかったつらい体験に対して、自分の気持ちを言ったり表現してアピールしたりできなかった人は、自分を抑圧しやすいんです。
ネガティブな感情を抑圧することが多い分、人に対する感情も貯め込みやすいです。だから、自分を守るため、心の不安定さをコントロールしていくために「人を見下して自分を維持するしかない」ということも大いにあるんです。
真っ向から向き合ったらとても太刀打ちできない。だから、斜に構えたり、人を見下したりして、今まで切り抜けてきたんだと思います。それの、何がいけないのでしょうか。そうしないと生きられなかっただけなのになぁ、と私は思います。
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人を見下してしまう心に気づいたら、こんなことに注意していこう!

人を見下して生きたっていいし、それで自分の心を保てるなら否定しなくていいと思います。でも、道徳的にそうやって生きていこうとはいえないので、注意しておきたいことも解説していきますね。
無理して苦手な人、嫌いな人に合わせない
苦手な人、嫌いな人に対しては見下す気持ちを感じやすいですよね。そういう人と、無理に付き合うのはやめましょう。
仕事や親せき関係など、どうしても関わらなければいけないことも多いです。しかし、必要最低限の関りに止めてみてください。何事に対してもいえることですが「嫌いなのに、一生懸命よくしてあげる自分」や「苦手な人にも親切にできる自分」に価値を与えないでほしいのです。
見下したくなる人は、あなたとは合わない人なんです。だから、当たり障りのない接し方でうまくスルーしていくしかありません。スルーするには、嫌われてもいいと勇気を出すこと。嫌われたかもしれない、と思う瞬間はとても怖いですが、何度も繰り返していくと「人に嫌われても、普通に生きていけるんだ」ということがわかって慣れてくるものです。
人と自分は違うのだ、ということを頭に叩き込む
他人と自分は、まったく違う人間です。だから、あなたと感覚がピタッと合う人はとても少ないのが当たり前なんです。
- 育った家庭環境
- 出身校
- やってきた習い事や部活動
- 勉強の成績
- 学歴
- 仕事の内容や経験
- 好き嫌い
- 今の生活状況
- 価値観
全部違うんです。何度も言いますが、見下すのは、好き嫌いや嫉妬、興味のなさといったものを処理する方法なんです。自分と合わない人、自分には必要ない人のほうが、世の中には多いということを知っているだけで、人を見下す気持ちがあまり気にならなくなります。
誰とでも仲良くする必要はありません。善人になろうと頑張る必要もないのです。その場その場で、もう少し適当にやり過ごしたっていいと思います。
尊敬できる人が、1人か2人いればOK
世の中すべての人を見下して生きるのはさすがに寂しいですし、孤独すぎますよね。
でも、今あなたが「この人は信頼できる」と心から思える人や「この人は尊敬できる」と思える人のことを大事にしていけば、それでOKとしましょう。すべての人に対して尊敬の意をもって……なんてのは、聞こえはいいですが実際できるわけないんです。どんな人にも漠然と「この人にもいいところはきっとあるだろうし」と思っても、だからといって尊敬できる人ってわけではないはず。
そういうことに時間を費やさないで、本当に信頼できる人のために時間やお金、気持ちを使えばいいのではないでしょうか。あなたが今「この人は本当に大事な人」と思える相手を、精一杯大事にしましょう。あとの人には、気に入られなくてもいいし、最悪嫌われても生きていけます。筆者自身もまだまだできていないところはありますが、そうして生きるように努力しています。
人を見下すことで自分を守ってきた。そんな自分でもいいじゃないか。

人を見下すなんて、最低。腹黒い。闇が深い……。
そんな自分があってもいいじゃないですか。無理して善人になろうとすると、どこかで自分の中にギャップが生まれたり、気持ちに蓋をしてしまう部分が出てきて最終的に苦しくなるんです。
「こういう自分はダメ」「この性格はダメなんだ」と、否定の気持ちから自分を変えようとしないでください。自分の中の「この人は好き!」「この人だけは尊敬できる!」そんな、心動かされるような存在やできごとに対して働きかけていけばいいのではないでしょうか。/Kandouya編集部
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