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1分1秒でも早く…焦ってしまう性格の人が気をつけたい「時間の価値」

常に焦っている、何かしていないと気が済まない、じっとなんかしていられない……そんな、自分の「焦ってしまう性格」「時間に追われているような錯覚」に疲れてしまうことがある。

単純に生活に対して焦っていると、結果的に人生が早回しで進んでおり「生き急いでいる」という表現が自分によく似合ってくる。

目の前の課題に対して「問題を早く片付けよう」「早く結果を出そう」と急いでしまうだけではない。日常のちょっとした場面で、焦って体をどこかにぶつけたり怪我をしたりすることもある。周囲の家族には「もう少し、落ち着いて動きなさい」とたしなめられることもある。常に見えない時間に追われているのだ。

その理由を自分の中で細分化してみることにした。

焦ってしまう性格……たとえばどんなとき?

1分1秒でも早く、目的を達成したい

とにかく私は「時間」が惜しいような感覚がある。1分、1秒も惜しい。

靴のかかとを踏むのは行儀が悪いし、靴の傷みも早まるのでやってはいけないと、頭ではちゃんと理解している。それなのに、どうしても玄関を出る前にかかとを靴の中に納めてから歩き出すことができない。靴につま先を突っ込んだまま外に出て、鍵をかけて、目的地に向かって進みながら足をなんとか靴の中に押し込んでいくのだ。

自転車に乗っていても、どうしてもスピードが出てしまうし、歩いていても途中から走りたくなってしまう。いつもより早い時間に家を出ることができたときは、その分ゆっくり歩こうという気持ちには絶対になれない。「そのぶん早く目的地について何かをしなくちゃ!」という焦りが、さらに靴の傷み具合を早める。

人を待たせることができない

自分自身が「1分1秒も無駄にできない」という気持ちと共に生きているので、他人もきっとそうだろうという錯覚をしてしまうことがある。宅配便の人が外で荷物をもって立っていれば「早くしなきゃ!」と無意識に焦ってしまう。ピンポーンと呼び鈴が鳴ったら、すぐに走って玄関まで行かなくてはならない気がする。もちろん、靴のかかとも踏んでしまう。

そして滑って転んだり、玄関にかかとの潰れた靴が残されていて家族に「まったくもう」と呆れられる。

買い物も、ひとりで行くか通販で済ませたい。自分のものを見ているときに、一緒に行った相手が手持無沙汰になっていないかどうかが気になって、選ぶ気持ちになどなれないのだ。買い物先で別行動するという方法をとったとしても「相手が買い物を終えて、どこかで待っていたらどうしよう」と不安になるので、結局サラっと並んだ商品を目で追って終わってしまうことも多い。試着なんて、とんでもない!

「ほどほどに」が苦手

幼いころから「ほどほどに」ということがとても苦手だった。小学生の頃は「女の子の絵をかいて名前をつけて、下に書き込む」という遊びをひとりで延々とやっていた。親に見られたくなかったので、書けたものから机のビニールマットの下に隠していた。しかしほどほどでやめることができず、その絵たちは100枚以上溜まってくる。次第にビニールマットがぼっこり膨らんできて机が使い物にならなくなってくる。とっくにその作業に飽きていても、次に「やるべきこと」がみつかっていないと不安でやめられないのだ。

今でも、仕事をしていると「終わった、次!終わった、次!」とワーカホリック的になってしまう。手元に仕事がなくなると不安で、クラウドソーシングの求人を見ることに時間を費やしてしまったりした。特に単純作業や、与えられた事務的な作業の場合は危険だ。

あれもこれもやらなくちゃ、時間ができたら休むよりも何かを片付けたり作業を勧めたりすることに、気持ちが向いてしまう。結果、どこまでいっても満足しない。何のためにこんなに焦って動き回っているのかわからなくなることがある

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本当は何も追ってきていないし、時間の価値なんて誰にも決められない

自分には変態的な「時間」への執着があると思う。何事も、早くできたときは気持ちがいい。1秒の無駄もなく、やるべきことがピシっと終わったときはある種の快感を覚える。

それが自分の中で糧になっていることもある。時間を無駄にしないとか、人を待たせない、圧倒的早さで何かをやり遂げるとか、そういうことが評価されたり訓練になることもある。

でも、こういう生活の繰り返しが自分を壊してしまうこともある。自分自身の体や心は当然消耗する。常に焦っている人ほど、自分のペースを乱されることに嫌悪感を抱くこともあるだろう。「タイムイズマネー」ともいわれ、時間はお金と同じ価値をもっているというのは現代でもよくいわれることである。

おそらく、焦ってしまう性格を何十年も続けていれば、生活の時短スキルは十分すぎるほどに身に付いているはずだ。それ以上焦らなくてもいいし、時間など実は存在していないという概念があるくらい、不確かなもの。

生き急いでいる人、常に何かに追われているような人には「本当は何も追ってきていない」ということに気づく時が必要なのだ

焦ってしまう人は「時間を奪われた」という感覚に気をつけたい

そんな自分の焦りやすい性格を治そうと試行錯誤するのは、あまり効率的ではない。それよりも大事なのは「時間を与えてくれる」人がいることに、気づくこと。そんな人を受け入れるほうが圧倒的な楽さで、時間との付き合い方が上手になることがわかった。

時短スキルを高めようとか、時間がないのはいいわけだとか、いろいろな「時間の確保」についての話が聞かれる。確かに、どうでもいい人に時間を奪われるのは私も嫌だ。

ただ、そういう性格の人のプライベートには「時間を与えてくれる人」がどこかにいるはずなのだ。自分の大切な人たちの顔を見て、心当たりを探してみてほしい。

例えば、仕事がどんなに忙しくても、この人の誘いには乗るという相手。この人となら、くだらない話で長電話してもいいと思えること。この人のためなら、何分でも待ってやろう、時間がかかってもいいから付き添ってやろうと思える人。もしくは、そうする他ないという立場の人。

必ず、誰の周りにいるはずなんだ。自分の中の生産性を上げるために、そういう「時間を与えてくれる人」を「時間を奪う人」と間違って認識してしまうこともある

「この人が自分でなんでもやってくれれば、自分の自由な時間が持てるのに」

「この人がいなければ、仕事がもっとはかどるのに」

「この電話に出なければ」

「この誘いに乗らなければ」

「この人と会わなければ」

その先には何があるのだろうか。1分1秒も無駄にすることなく、目の前の課題をクリアしても、その先にまた別の課題を自分自身で作るだろう。

「時間がない」「この時間がもったいない」「そんな話を聞く時間などない」

そうやって生きたって本人が幸せならいいのだけれど、その先に何が残るだろうかと考えてみる。「自分にとって大事な時間」がすべてのように錯覚するときこそ、人との関係が壊れる瞬間かもしれない

別に、自分が1分1秒惜しくてかかとを踏んでも、焦って転んでも、別にいいのだ。

でも、常に焦りを感じてしまう性格だからこそ「人に時間を奪われる」という感覚には注意しなければいけないと思う。自分の中の数少ない尊厳の輪の中にいる人には、時間を惜しみなく使いたい。実際、限られた時間の中で生活しているのは確かだけれど、ときどき立ち止まりたいと思う。/Kandouya編集部

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