うまくいかないことが続いて調子がよくないときや、なんとなく気持ちが落ちているとき、過去とリンクする出来事がたまたまあった日。
もう忘れていたはずの過去の自分が、たまらなく嫌になったり自己嫌悪が強くなってつらくなることはありませんか?
過去の自分への嫌悪感
なんであんなことしたんだろうと恥じる気持ち
筆者はよく、今の自分から思うと「あの時は相当バカだった」と感じることがあります。
人から見れば大したことではないのかもしれませんが、自分としてはとても恥ずかしくて、自分が情けなくて、当時の自分を消し去りたいと感じてしまうんです。
たとえば、昔の友人関係でのゴタゴタや、もう疎遠も疎遠になっている人なのに「あの時もっとこうすればよかったかもしれない」と考えて自分が嫌いになります。
もうとっくに辞めている昔の職場でのミスや、うまくできなかったこと、軽率な発言……。とにかく思い出すと、嫌で嫌で仕方なくなるのです。
こんなときは決まって体調がすぐれないときであったり、夜に疲れているけれど眠れなくて寝返りばかりしているとき。
自分でも、こんなこと考えてもなんの意味もないってわかっているのに、浮かんできてしまうんです。
自分のことを嫌いだろうなと思って悲しくなる
自己嫌悪と同時に、これまで幾度となく経験している「出会いと別れ」なのに、自分を嫌いであろう人物のことを思い出して悲しくなったりもします。
元気なときや日頃の考えでは、人間関係がうまくいかなかったりだめなときもあるということを理解していて、そんなことを悲観したりしないのに…
自分のことを好きでいてくれる人のことよりも、自分のことをたぶん嫌いだなと思う人のことが頭に浮かんだりします。
「やってはいけないことをした」という自覚
過去の自分に対して、それはやっちゃだめだろう…と怒りたい、諭したいような感情になることもあります。
たとえばまだ年齢が若かった頃のくだらない嘘や、逃げてしまったこと、人に迷惑をかけたことなど、「ああ、悪いことをしたな」という自覚があるからこそ心がザワザワします。
それも浮かんでくるのは、本当にどうにもならないことばかりなんですね。
たとえば仕事に行きたくなさすぎて「親戚が亡くなりました」とありもしないことを理由に休んでしまったとか。逃げるように辞めてしまったことに対して、あのあと〇〇さんは迷惑だっただろうな。とか。
いずれにしても、どうしようもない「過去の失態」という感じのことなんです。
なぜ、過ぎたことを思い出して自己嫌悪するのか
今の自分がちゃんと成長しているから
時間が流れて、当時の自分からは想像していなかったほど、たくさんの経験をしてきたはずです。
だからこそ、その当時はそれで精一杯だったはずの毎日が、今となっては「なにを言ってんの自分」と平然と思えてしまうんですね。
人生は、今が1番つらいと思っていても、そこを乗り越えるとまた新たな壁に出会うことの繰り返しです。
そうやって少しずつ強くなって年齢を重ねていくわけなのですが、つい1年前の自分でさえも「なんであんなことに落ち着いていられなかったんだろう」と思う人は、めまぐるしく自己成長している人でしょう。
消化不良によって後ろめたさだけが残った
単純にいうと、過去の嫌な自分というのは、「向き合えなかった自分」なのです。
結果がどうであれ、きちんと向き合って逃げずに解決してから去っていくべきだったとか、本心を言えずに自分だけを悪者にすることで納得しようとしてしまったとか。
何かしらの「消化不良」がそこにあるから、同じだめだったという結果だとしても、自分が落ちているときに限って顔を出すのでしょう。
「やりきった感」がそこになかったから、物事に対しても人に対しても、思い出せば自分はそこに立ち止まったままになっているんですね。
自分を責めやすい性格とぐるぐる思考
自己嫌悪が時々強まってしまう人は、やっぱり自分を必要以上に責めやすい性格だと言えます。
1つの出来事に対して、本当は自分ばかり悪いことなんてないのに、昔のことやもう終わったことでさえも自分に全責任を背負わせようとしていませんか?
また、HSPによる想像のしすぎや、ぐるぐる思考グセがあるかもしれません。
ふと過去のことを思い出す→そのときの場面に立ち戻って相手がまだ身近にいるように感じたり、気持ちを想定しすぎる→自分が嫌になる→他のことまで思い出してくる…
というループです。自分に対して厳しすぎたり、自分に対して課すレベルが高すぎるのも、自己嫌悪の原因になります。
罪悪感や自己嫌悪にさいなまれた時に気を付けたいこと
時間が経過していることをちゃんと意識する
過去の自分のこと、しかもどうしようもない細かいことなどを思い出してどうしても嫌な気持ちになるときは、まず、今はそこから時間が経過していることをしっかりと意識しなおしてほしいと思います。
たとえばその罪悪感の残る自分がどのくらい過去の自分か、1年前の事、3年前のこと、3ヵ月前のことだったとしても、時間の経過と共に関わった相手の記憶からも忘れられていること。
忘れられていなかったとしても、時間が経てば人の気持ちは変わっていること。気まずい思いのある相手だって、あなたの知らない場所で色々な経験をしていて、あなたのことだけをいつまでも覚えているわけではありません。
恨みを持ってあなたとの距離を縮めてくることもないし、過剰にあなたが自分を責める理由はないということです。
自分のことを分析しすぎないようにすること
自己嫌悪の強い人というのは、自己分析ができる人ということ。そして、できなかったとしても心の根のほうはまじめで、自分ができなかったことやうまくやれなかったことを覚えているものです。
ですが、あなたが本当に相手に対して重大な傷を残したり、重大な影響をあたえているかどうかは、相手の心の中のことなので一生かかっても知ることはできません。
あなたは自己分析がうまく、広く色々なことがよく見えているタイプだと思いますので、普通に生きているだけで「楽観的」ではないでしょう。だからこそ、そこからさらに自己分析をしすぎてしまうことで、自分を苦しめてしまう危険性も高いのです。
頭の中で「答えの出ないことをずっとグルグル考えていないかどうか」と自分を客観的に見て遮断する癖をつけていきましょう。それは無責任なわけでも、だめなことでもありません。
100%自分だけが悪いと思ってはいけない
筆者もよく思うようにしているんですが、「今自分が考えていることは、あくまでも自分の想像である」と考えています。時間の流れの中で「あのときの誰か」がどう過ごしているかも知らないし、何を思っているかもわからない。
そして「何もかも自分だけが全面的に悪い。私はダメな人間だ」とだけは考えないようにしています。というのも、今まではずっとそうだったのですが、トラブルが起こったときの責任の割合は、必ず関わった人全員にあるものだ、と思うようにしてから楽になりました。
どんな嫌な出来事にでも、人とのやり取りでも、あなただけが全部悪いという出来事はありえません。なので、自分を嫌だと思うほど過去の事を悔やみ、反省している時点で、もう十分だということです。
過去の自分への自己嫌悪は、事実ではなく自分の想像だと常に思って
筆者もそうですが、こういった自分への自己嫌悪を今関わっている人に打ち明けると、「そんなの、あなただけが考えるべきことじゃないじゃん」と言われることがほとんどです。何も犯罪を犯したわけでもないし、人をいじめていたわけでもない。
過去の自分は好きになれないけれど、その自分がなかったら今の自分も結果的にはないので、必要な経験だったと考えてみてくださいね。前だけを見つめていればいいなんて簡単に言われても無理なときも多いですが、想像の範囲でしかないという考えを基本形にしていると、ぐるぐる思考に入っても、どこかで切り替えられるようになっていきます。
これは筆者の思いですが、大体、自分を責めたり過去を消したいと思う人って、本当に悪い人ではありません。世の中は「もっとかんがえろよ」と思う人ほどあっけらかんとしていて、「そんなに考えなくても」と思う人ほど気に病んでいるな…って思うんですね。
いずれはもっと時が流れて、胸が痛まない程度の記憶になるときがやってきます。だから大丈夫です。/kandouya編集部