
どんな悩みにも、必ずついて回るといってもいいのが「自己肯定感」というワードではないでしょうか。Kandouyaの記事内でも、この自己肯定感という言葉はよく登場しています。
自己肯定感は理解するのが難しいと感じられる方も多く、人によって解釈が異なることもあります。この記事では、筆者の解釈による自己肯定感の正体を、なるべく詳しく徹底してお伝えしていきます。
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自己肯定感とは「自分は大丈夫なんだ」と思えること

自己肯定感とは「自信がある」とか「自分を素晴らしいと評価できる」ということではありません。
「自分は大丈夫なんだ」と思えること。どんな状態の自分も、自分の過去も未来も、そして今も「大丈夫」「これでいいんだ」と思える感覚のことです。
ネガティブな気持ちでも大丈夫
たとえ失敗しても落ち込んでも、うまくいかなくても、誰かに苛立ったり腹を立てても、そんな自分に許可を出せるといいですね。
ネガティブな状態の自分にOKを出すことはすごく難しい場合が多いです。落ち込んだり、ネガティブな感情が沸き起こったときに、自己肯定感が低いと、自分の感じた素直な感情をも否定してしまうことが多いです。
- もっと明るくしなくては
- 自分に自信をもたなければ
- 情けない
- 自分はダメだ
明るい気持ち、前向きな気持ちだけでなく、ネガティブな思いや負の感情をもつのが人間です。常に「正しさ」や「穏やかさ」だけを維持して生きている人など、ほぼいないはずなんですよね。
まずは「どんな思いも、気持ちも、あなたが感じたことは事実である」という意識を持てるといいですね。
頑張らなくても大丈夫
頑張ること、努力すること、人から褒められること……こういったものはすべて他人の評価になります。
他人の評価は、頑張ったり見せ方を変えることで上げられるものです。しかし、一時的に外からの評価が上がっても、それを維持し続けることはとても大変ですよね。さらに、一度出した結果をどんどん超えていかなければならないように思って苦しくなることもあると思います。
頑張って成果を出して自分に自信をもつこと、努力している自分に価値を与える、というのは本来の自己肯定感のあげ方ではないんです。
とても難しいのですが「ただ、そこにいるだけでも世界の歯車として機能している」と思えるようになると最高なんです。たとえ仕事をしていなくても、今日はベッドから一歩も出なくても、人に迷惑をかけてしまっても、それでも本来はあなたという人間が「ここにいること」に価値があるのです。
条件なしに自分を受け入れられること
無条件の愛情という言葉を、耳にしたことがある方も多いのではないでしょうか。
本来人間は、みんな「無条件で愛される権利」をもって生まれています。しかし、育っていく過程の中では、何もしなくても、頑張らなくても、協調性がなくても、勉強の成績が悪くても「生きていてくれてありがとう」と言って育てられることはなかなかありません。
どうしても、期待をかけられ、役割を担い、空気を読み、頑張ることが当たり前になる。そんな風にして、私たちは何とか生きているんですね。首の皮一枚の状態で、なんとかつながっているという人も多いです。
条件なしに愛されることは、本来権利であるはずなのに、いつのまにか「とても類まれなこと」になってしまっているんです。しかし、本当は誰しもが無条件に誰かから愛される存在であり、無条件に自分を肯定していいものなんです。
他人の評価=自己肯定感ではない

「他人によって認められてきた自分の価値」を、自己肯定感だと錯覚してしまうことがあります。
「自信」は小さなころから、親や周囲の大人、友達関係などで培われていくものですよね。もちろん、自分自身で何かを「できた!」と思う成功体験や、何かを成し遂げた達成感などは自信となってその人に根付いていきます。
しかし、それらには条件がついています。
- 頑張ったからできた
- 努力したから手に入れられた
- 周囲が褒めてくれるからやってこれた
こういった経験も、非常に大事です。しかし、そこで「何かを頑張っている自分」にしか価値がない、と思い違ってしまうケースはとても多いものなんです。
偽の自分ができていくこともある
他人の評価で自信をつけていくと、本当の自分の「ありたいすがた」がわからなくなることがあります。
周囲がいいと言ったことや褒めてくれたこと、周囲からの印象に自分の照準を合わせていってしまうことが、人には少なからずありますよね。
そういった他人の評価は「一時的な自信」になって、自分を邁進させてくれることもあります。しかし、それは長続きしない場合もあるでしょう。もしくは「みんな褒めてはくれるけれど、なんとなく自分の中で窮屈な感じがする」という感覚をもつことも出てきます。
自己肯定感というのは、字面上では「自己」を「肯定」すると書きますから、自分をいいと思えることのように錯覚してしまいがち。では、その「いい」と思っていたのは、自分なのか。それとも、周囲の人なのか……ということを今一度考えてみる必要があるかもしれません。
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自己肯定感が低いのは悪いこと?

ここでまたやっかいな問題についてお話しましょう。
自己肯定感が低い人は、そんな自分をまた否定してしまう負のサイクルに入り込んでしまうということです。
「自己肯定感が低いと何事もうまくいかない」「自己肯定感が低い人は、誰からも愛されない」
こんな言葉が、多くの場所で見聞きされます。
すると「自己肯定感の低い自分って、やっぱりダメなんだ」「自分は自己肯定感が低いから、上手くいかないだろう」
という風に自分を責めて、さらに後ろ向きになってしまうんですね。
自己肯定感を上げるための第一のステップは「自己肯定感の低い自分でもいい」と認めることなんです。低いから劣っている、高いから優れているというものではありません。
優劣というのは、あくまでも他人との比較で生まれるものです。他人の評価は関係ない、というお話を先にしたとおり、すべては自分の中で自分のことを「これが自分である」と思えるかどうかが一番大事なことになります。
つまり、自己肯定感が低いと感じている今のあなたも、それでOKです。
もちろん、自己肯定感が高まると人生の充実度や幸福度が上がっていくのは事実なんですが、だからといって今の自分を否定してしまっては元も子もないということになるわけです。今の自分を自分で否定することは、基礎中の基礎をすっ飛ばして難しい計算問題を解こうとしているようなものだと、私は思うのです。
まさに今、ここにいる、この自分に「価値」を与えること。それができるのは、親でも教師でも上司でも恋人でも友達でもなく、あなただけ。「世界は自分の中にしかない!」というくらいに思い切って、自分を認めてあげて欲しいのです。
自己肯定感を上げるための方法とは?

自己肯定感を上げるための方法は、ひとつしかないと私は考えています。
毎日「自分は、大丈夫」「どんな自分でも、OKなんだよ」と、自分に言い聞かせることです。
そんなの、意味あるの? 宗教じみてない?
そんな風に思う方も、きっと多いと思います。
でも、思い返してみてほしいんです。あなたは、幼いころから今までずっと、誰かからひたすら「あなたは大丈夫だよ」「どんなあなたでも、いいんだよ」と言ってもらった経験がありますか。
たぶん、ほとんどの人がNOと答えるのではないでしょうか。条件をまったく課さずに、何も求めずにあなたを愛することは、他人にはできないことなんです。どんなに優しい両親に恵まれても、人間をひとり育てあげるためには条件を課さなければならなくなります。どんなに愛していても、条件をつけずに、まっさらな気持ちで他人を愛することは不可能だと思うのです。
もちろん、ときどきは本当に無条件に愛してくれる人に恵まれることもあります。そしてそれも、その人自身の力です。ただ、本当に信じられるのは自分だけです。他人の心のことは、自分にはわからない。
自分に条件を課さずに愛することができるのは、自分しかいないことも多いはずなんです。
だからこそ、あなたはこれから毎日「自分は大丈夫」「どんな自分でもOKだよ」と伝え続けてほしいのです。できれば、自分の名前をしっかりと呼んで、幼い頃の自分に話しかけるように。
難しいことは何も考えなくていいです。ただただ、これだけでいいと私は考えています。
自己肯定感を難しく考え過ぎないで

自己肯定感という言葉が独り歩きしているようにも思えますし、私自身も勘違いしていたり、正しく解釈できていなかったなと思うことがよくあります。そして今も、本当に理解できているのかがわからないというのが本音でもあります。
だからこそ、変に難しく考える必要はないという結論に至りました。
ただただ「生まれたばかりの赤ん坊」のように、自分を愛するということがどれほど難しく、そしてどれほど大切なのかを、私たちはもっと感じていく必要があると思っています。
誰の評価でもない、成績でもない、スキルでも経験でもない。自分が自分を「ここにいていい」と思える感覚を早く、心の底から味わってみたいものです。/夏野 新
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