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漠然としていた「安全基地」を体感した話。~私の安全基地の人々~

私には「安全基地」があります。

安全基地というのは本来、子どもが幼少期に親や養育者から絶対的な安心感を与えてもらえる環境を意味する言葉。これは人の人格形成にとっても大事なものですが、幼いときに正しい安全基地を持てないまま大人になってしまう人は少なくありません。

条件づけがなく「どんな自分でも受け入れてもらえる場所や人」のことを、私は大人の方に向けても安全基地という言葉を使って伝えています。

私は今そこそこの大人で、子どもを育てる側の人間でもあるのですが、本来の意味での安全基地というものはありませんでした。しかし、今の私には安全基地があり、それは家庭ではなく、バラバラな個人だと考えています。

安全基地の人に出会うたび、人生の充実感や成長スピードが速まっていく……ということを強く感じています。

そして、それと同時に「条件なく愛されること」がどれほど大切で、幸せなことかということを体感しました。ちょっとここで、私と、私の安全基地の人たちの話をしてみようと思います。

安全基地の人たちはみんな、私と真逆の人

「自分に似ている人や、共通点の多い人と付き合うと人間関係が楽になる」なんてことを思ったり言ったりすることがあるのですが、それは心の深いところの見えにくい「感性」の部分が似ているだけに過ぎません。

一見、性格や好み、行動パターンが同じでも「波長が合わない」ということがよくあるんですよね。

私の場合、自分の安全基地となってくれている人や、深いところで信頼できると思う人はみんな自分と性格や人生経験が真逆の人なんです。もちろん私の場合は……なので、すべての人の対人関係に当てはまるわけではないと思います。

私はどちらかというと、内向的で受動的、消極的な性格。思ったこともあまり口に出さないし、溜め込みやすい性格です。家の中で超分厚いメガネをかけて、本を読んだり何かを書いたりしているような人。キテレツ大百科のベンゾーさんみたいなイメージかな。

一方私が絶対的信頼を寄せる人の共通点は、みんな積極的で行動的、本能的です。やってみたいことはどんどん挑戦するし、思ったことをバシッと言える人ばかり。心の根底には繊細さをもっていても、ちゃんと自分の意思に従える人という感じです。私はそういう人を「すごいなぁ~」って思いながらメガネの位置をボケっと直しています。人生経験もわりと「自分の力で、自分で選択して、道を切り開いてきた」人ばかりです。

消極的で受動的な私は、ただここにいるだけなんです。

いつもそうです。自分の世界に入り込んでいて、何にもアクションを起こしていない。自分を卑下するわけではなくて、自分にとってそれが自然なことだから、そうなんです。

でも、そんな風にアクティブに動ける人、動かずにはいられない人が、私をなんだか知らないけれど見つけてくれるんです。そして、私は何も特別なことをしていないのにも関わらず、定期的に「よっ!」と顔を見せに来てくれるみたいな感じ。みんな口をそろえて、定期的にあなたに合わないと調子が狂うから来るんだよ、みたいなことを言うのです。

何度もしつこいですが、私は何もしていません。自分からは何もしない。でも、来てくれたときには何でもしてあげたくなるんですね。何もしていない私、ただここにいるだけの自分を好きだと言って、必ず戻ってきてくれることに無条件の信頼があるからです。

これが私にとっての、安全基地です。

特定のコミュニティがあるわけではありません。みんなバラバラの場所にいて、共通の知人なんてものもいません。すべてが私と一対一の関係なのですが、それぞれに同じ共通点があることに気づきました。

私にとっての安全基地というのは、そうやって私を求めてくれる人の個々の存在なのです。これが本来、生まれ育った家庭にあるのがベストともいわれているわけですが、私は今、幼少期にそれがなくてもよかったって思っているんです。

私には今、大切な安全基地があるから、持って生まれたものに固執する必要がなくなってしまいました。

真逆のタイプの人は、私の欠点をひっくり返してくれた

ただ、私の安全基地の人たちは、第一印象があまりよくなかったり、興味を持てなかったりする人も中にはいるんです。以前の私はとても警戒心が強くて、認知もかなり歪んでいたから、自分と真逆の人を見るととりあえず拒絶したくなったりするんですね。

でも「何なのこの人」「なんか怖い人」って思っても、やっぱり私は何も特別なアクションをしないんです。来るもの拒まず去るもの追わず、といったところでしょうか。

でも、なぜか相手が繰り返し接触してくる。忘れたころに、声をかけてくる。自然消滅していくのかもしれないと思っても、また戻ってくる。どんどん近づいてくる。たとえ、私の反応がどんなに鈍くても、薄くても。

なんだか、大好きな人たちのことを考えていたら、消極的で受動的な私こそが正解だと思えるようになったんです。

今までずっと「自発的ではない自分」や「表情も反応も薄い自分」を否定して生きていました。積極的になれないことや、反応や感情表現が薄いことを叱られてきたりもしました。それなのに、安全基地の人はみんな私のそんな欠点をも好んでいるところがあるようなのです。

つまり、私の欠点、汚点だった部分こそが、安全基地を作り上げているということになります。

今私は「これでよかったのだろう」と、思えています。わかるまでとても長かったし、たくさんの人に迷惑をかけたし、離れていった人もたくさんいます。

すべてのレッテルを取り払い、安全基地の存在に気づく

自分と安全基地の人には、凹凸という表現がまさに適しています。表面的な形は似ていても、凹と凹では組み合わさらない。もちろん、形が似ている人が不要なわけではありません。どんな人とも親しくなり、好きになることはあります。

でも、一見真逆の性格や思考パターンの人は、凹凸としてパズルのようにガシッと組み合わさるんですね。だから深く関係をもっていくことになる。補い合って完全になることができる。波長が合い、言葉や説明がほとんどいらないのです。

そんな存在の人は、どこにいるかわからないし、いつ出会うかもわかりません。たとえば、男女の枠組みや職業、肩書、年齢住んでいる場所……。そういう枠組みで付き合う相手や、心を開く相手を決めてしまうことも、あると思うんですね。でも、そういうラベルやレッテルはまったく関係ないということもまた、わかりました。枠組みや自分の中の偏ったレンズをもっている限り、見極められないのかもしれないという風にも思います。

理解することは、体感すること

信頼しているとはいえ「こんなことをしたら、嫌われるのではないか」「こんなことを言ったら、離れていくのではないか」という不安を、私は今も安全基地の人たちに対してもつことがあります。そういう弱い部分が「何もしない」という私の状態になっていることもあると思います。

でも、そんな不安を打ち明けても、裏の顔のようなものを見せても、だいたい笑って流してくれたり、むしろ喜んだりおもしろがってくれたりする。そして、これまでと変わらない接し方を続けてくれるのです。こんな場所があるなんて、すごいなぁと感動さえします。安全基地って、こんなにも大事なものなんだなぁって。

子育てや心理学などの分野では「安全基地」という言葉がよく登場します。その本当の意味が、理解できたのです。それと同時に、ただ言葉だけを知っても、論理的な説明を読んでも、聞いても、それを体感しない限り理解できないということもまた、わかりました。

これはすべての心に関する専門用語や、概念に言えることだと思います。私はこれからも、心に関することを文章にし続けるのですが、本当に理解しないまま書いても意味がないのだろうということも、改めて感じています。私が、私をちゃんと育てることができなければ、私の本当に書きたいことは書けないのだと、原点に立ち戻ったような気持ちにもなりました。

必ず誰しも、安全基地の存在である人がいるはずです。まだ気づいていないだけ、受け入れられていないだけかもしれない。既に思い当たる人がいるのなら、大事にしてほしい。これを読んでいる方にも、おせっかいながらそんな風に思ってしまいます。

相手の顔も、肩書も職業も、性別も、お金も、立場も何にも関係ない。外側のラベルや、レッテルを取り払って、目の前の人を見ることがどれだけ大事なのかもわかった気がします。ただただ波長が合って、言葉が要らないような不思議な感覚を与えてくれる人こそ、大事な安全基地であると、私は思っています。/夏野 新

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