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「自分のために生きる」とはどういうこと?イマイチわからないって人は読んでみて

「自分のために生きる」って、どういうことなんでしょうか。

実は今日、ある人に「私、今よりもっと頑張ってあなたに恩を返せるようになりたいの!」と言われたんです。その気持ち、わからなくもないですし、感謝して受け取りたい気持ちは山々だったのですが……

「あなたのために頑張りたい」という言葉に妙に引っかかってしまったんですよね。

だから私は相手の方に「人のために頑張ろうと思ってる?」と問いかけてしまったんです。

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「自分のために生きる」ってどういうことなのかわからない

自分のために生きるというのは、色々な場所で見聞きするフレーズではあるのですが、どうしてもしっくりこないとか、ストンと腑に落ちないという方も少なくないと思うんですよね。

自分のために生きるっていうのは、好きなことだけして生きるとか、周囲のことを考えない思いやりのなさのように思ってしまう人も多いはずです。生きづらさの渦中にいる人にとっては「自分のために生きる」「人に嫌われてもいい」「自分の心の声に従う」など、いろいろな表現に触れてもピンとこない感じがすると思うんです。

私もずっと、こういう言葉を「きれいごと」のように感じたり「それができたら苦労しない」なんて思って、イラっとしていたことも多かった。でも、それって多分「体感したことがないので、わからない」だけなのだと思います。

自分のために生きるのは、自己中?わがまま?

冒頭でお話した人に「人のために頑張ろうとしてる?」と問いかけてみたら「家族や近しい人には、相手のために生きようと思ってる」という答えが返ってきました。

そこで私は「自分のために生きている人の周りの人は、勝手に幸せになっていくみたいだよ」と、投げかけてみたんですね。すると相手は「自己中のすすめ?」と返してきました。

どうしても、自分のために生きなさいと言われると「自己中になってもいいのか」とか「人を傷つけてもいいのか」という風に思ってしまうことがあります。

でもね、 極論を言えば、自己中でもわがままでも、いいんだと思うのです。

ときどき、仲良しな夫婦や友達どうしなどで、相手の自己中さやわがままさを、笑ってネタにできることってあるじゃないですか。

「この人、ほんとマイペースでさ~! 待ち合わせの約束の時間通りには絶対こないし、一緒に買い物してても、急にどっかふらっといなくなっちゃうんだよ」なんておもしろおかしくいじる場面に遭遇することってありますよね。芸能人や俳優さんをゲストに、親しい友人が意外な一面を暴露するトーク番組とかも、そういう感じだと思います。

これは、本当に仲のいい間柄の人にしかできないこと。信頼し合っているからこそ、ダメなところ、わがままなところ、普通は受け入れにくいような欠点も「それがこの人です」という風に受け止めてくれている関係性なんですよね。

だから、結局のところ自分的に「ちょっとわがままかも……」とか「こんな事したら自己中って思われそう!」と感じてしまう言動も、相手がどう受け取るかは未知数ということなんです。

自分のために「何かをする」ってこと?

自分のために生きるのは「自分のために何かをする」ということではないのだと私は考えています。

さっきの会話の中で、もうひとつ「あれっ?」と思うことがあったんです。それは……

「仕事が落ち着いたら、旅行にでも行ってくるよ!」と相手が言ったこと。もちろん、旅行に行くのは大いにいいことなのですが、自分のために生きる=自分のために何かをする・お金を使う・物を買うという縮図はちょっと違うのかなと思ってしまうからです。

自分のために生きるのに大事なのは「ただそこにあるだけ」という考え

「自分ために生きる」ことを実感するには、自分という人間に条件を課さないことや、ただここにいるだけでいいということに気づくしかないと私は考えています。言葉で伝えること、理屈で説明することはとても難しいのですが、大事だと思うことをいくつかまとめてみますね。

感じたことを、感じるままに受け取る

自分の感情をジャッジしてしまうことが非常に多いと思います。つらいことがあったら「つらいなんて思っちゃダメ」と思うし、イライラしたら「またイライラして自分が情けない~!」なんて思てしまったりするじゃないですか。私たちは、常に自分の感情を厳しく判定している部分があると思うのです。

当たり前に湧く感情にすら、条件づけや判定をして「正解と不正解」を決めようとする。もちろん、感情をむやみやたらにまき散らすのはあまりよいこととは言えないのですが、そのままの感情を表現することと、がまんが鬱積して爆発するのとは全く違うと思っているんですね。

自分の感情をジャッジして「これじゃダメ」と判断し、がまんしてため込んでいく……するとときどき、爆発したりとささいなことでキレるようになる場合もあるのです。人に対して攻撃しない場合でも、その矛先は自分自身に向いて、身体や心のバランスを崩したり、精神疾患に陥ったりすることもあります。

自分の感じたことを、判定しない。感情に、正解不正解を決めないということはすごく大事なことだと思っています。

「他人と自分は違う」「自分は他人を動かせない」ということの再認識

人のために尽くしいていればいつか自分に返ってくる……という考えが無意識のところに根付いている場合も多いですよね。私が何かすると、相手が動き、それにより自分が幸せを得られるという考え方です。

さっきの私たちの会話の中では、相手が「私はもっと頑張って、あなたに恩返しがしたいんだ」と言いました。しかし、私はその人に自分のために頑張ってほしいなんてまったく思っていなかったし、求めていないことなんですね。

自分が「人のためになる」と思っていることが必ずしも、相手の欲しているものとは限らない。「他人と自分は違う」ということや「自分は他人を動かせない」と、もう一度認識し直すことも必要だなと感じました。

自分のために生きることを条件にしない

自分のために生きたい、ということをクリアするために「自分磨き」や「ご褒美」に執着するのも方向性が違うと思っています。

  • 旅行に行く
  • 物を買う
  • 自分にお金をかける

心の赴くままにそうするのは大いにいいことなのですが「自分をもっと向上させたい」とか「自分のために生きている自分を感じるため」の材料になっていることもあるんですよね。

楽に生きることではなく「自分のために生きるべき」考えに縛られてしまうことにも注意したいです。だからこそ「今のままでOK」「そのままの自分でいい」という考えを徹底して意識することがここでも重要になってくるわけです。

自分のために生きるとは、「自分はこれでいい」と思えるまで自分を探し続けることなのかもしれない

自分のために生きる、自分の人生を生きるというのは、とても曖昧な表現ですし「あぁ、これが自分のために生きるってことなんだ」と実感した人にしかわからないものなのかもしれません。言葉でいくら伝えても、理屈を説明しても、完全に理解するのは難しいこと。でも、私はどうしても多くの人にこの実感を得てほしいなぁと思っているのです。 /夏野 新

 

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