大人になってから、自分自身に対して「成長ってこうやってするんだなぁ」なんて思ったことはありますか?
筆者は、30歳となった今、ふと急に
「成長って、こういう仕組みなのか!」と
自分自身の感覚にびっくりしています。
いくつになっても成長できる……なんてよく聞く言葉ではありますが、まるで子どもが新しい世界を発見したかのように、自分自身に対して「成長する」「伸びている」と感じることはなかなかないかもしれませんね。
ここでは、ちょっと前まで生きづらいと感じていた大人が「成長するってこういうことか」と痛感したできごとについて赤裸々にお話していきます。
大人の成長は「丸くなる」ってこと?

大人同士の会話の中では、性格が丸くなったことや、穏やかになったことを
「成長したってことだよ」
なんて表現することって多いと思うのです。
しかし、私の場合はその感覚ではありません。
「あぁ、純粋ではない自分を受け入れるということなんだな」
そう思ったのです。
そもそも、まっさらで、純粋で、真っすぐなだけの人はいないと思うのです。
ただ、そういう純粋ではない自分を「嫌だな」と思ったり、純粋な自分だけを大切に扱おうとしてしまったりするところがあったのです。
子どものように、純粋無垢な自分でいなければいけない。
もちろん、常にそんなことを思って生きているわけではありません。心の深いところ、普段は意識に上がってこないような深層心理のところに「誰からも好かれる子どものようでいなくちゃ」という気持ちがあったように思うのです。
でも、大人の社会で生きることや、自分の生きたい人生を創るためには、純粋無垢な子どものままでは無理なのです。
大人の成長とは、ズルい自分を受け入れること

大人が「自分の人生を生きる」ことを許すためには、ズルくなることが必要です。
ただその「ズルい」という行動や感覚って、はっきり言葉に表現したり、思い描いたりすることができるでしょうか。
私はずっと、ズルくなるというのは、人を出し抜いたり、蹴落としたり、卑怯なことをするようなイメージをもっていました。
幼いころから誰しも「ズルをするな!」「そんなのはずるいぞ!」と言われたり、思ったりしたはずなんですよね。
悪いことをして、自分が得をするようなことをズルさだと考えてきました。
でも……
悪いことの定義って、何でしょう?
「これをしてはいけない」
「こんなことを言ってはいけない」
「そんな方法をとってはならない」
このように、私たちの頭の中にはたくさんの「してはいけない」ことがインプットされていますよね。
私の場合「断ってはいけない」とか「自分の意思を言ってはいけない」とか「全力で頑張らなければいけない」というようなことが頭の中に強くインプットされていました。
でも、私以外の人は
「〇〇すればいいじゃん」
「はっきり言えばいいじゃん」
「〇〇するって方法もあるよ?」
と、私に言ってくるんですよね。
私が「悪いこと」とか「すべきではないこと」と思っていることも、人によっては全然OK、むしろなんでそれをしないの?という視点だったりするわけです。
自分が「これはダメなだし、ズルいことなんだ」と思っていることを、当たり前のようにしょっちゅうしている人がいたり、勧めてきたりする人がいるのです。
ズルいというのは、漠然と頭の中にある「~してはいけない」の固定観念のことなのかもしれないと思ったのです。
なりたい自分や、目標のためにズルくなる
私はこの年になってはじめて、目標や、心から楽しいと思えることに出会いました。
でも、最初はあまりうまくいかなくて、やっぱり自分には才能がないとか、普通に今まで通り生活するのがお似合いなのかもしれないとあきらめかけたりもしたのですね。
でも、やっぱり捨てきれない目標や理想があって、それに向かって日々進んでいる最中です。
そんな中、ふと気づいたら……
自分がすごくズルくなっていることに気づきました。
大人が成長するとは「自分の中のタブー」を犯すこと

私は自分の中にいくつものタブーをもっていました。たとえば……
- 自分の気持ちを言ってはいけない
- すべての人に親切にしなければいけない
- 人を嫌ってはいけない
- お金を稼いではいけない
- 計算してはいけない
- 人の責任を自分が追わなければいけない
こんな風に、しなければいけないことや、してはいけないことがたくさんありました。
しかしだんだんとこのような固定観念や、ブロックのようなものが取れていくにつれて、今までタブーだったことをいくつもいくつも自分がやっていることに気づくのです。
今までは、自分が自分の中のタブーを犯したときに「自分何をやっているのだろう」「こんなことをしてしまった」という風に、自分を責めていました。
自分を責めて、ズルいことをやめて、純粋な子どもでいなければいけないという元の立場にもどる……その繰り返しでした。
でも「ズルくなること、そしてズルい自分を受け入れることこそが、成長なのかもしれない」と、ハッと気づいたというわけなのです。
子どもから大人になるときに、悪いことを認めてもらったり、自分の悪さとちゃんと向き合ってこなかったのですね。だからいつまでも「純粋な子どものままでいないといけない」という考えに縛られて、ズルい自分を受け入れられなかったのです。
ズルさをもっている大人は、幸福や成功を手に入れている

あくまでもここで言うズルさというのは、人を騙したり、誠意のない対応をすることではありません。
自分の中のタブーを犯すことや、世間がタブーとしていることをやってのけたり、飛び越えてみせている人のことをあえて「ズルい人」と呼んでいます。
きっと、以前のように凝り固まった自分ルールや、社会の常識、大多数の集合的な意識に飲まれていた私だったら、今の私をみて「ズルい人だ」「そういう自分にはなりたくない」と思ったはずです。
いつまでも、純真無垢な子どものままでいないと愛されない。そう思っていたのかもしれないですね。
でも、私は自分の人生を生きるために、自分なりのズルいことをやっていこうと思うのです。
嫌なことを無理して頑張ることでもない。嫌な人に自分を合わせ続けるのでもない。自分の人生に必要なものだけを、選び、不要なものを捨て、使えるものは使う。
相手のために頑張るのではなく、自分自身が楽しいと思うことや必要だと感じることだけに全力を注げばいい。
そうやって、賢くなっていくことが「大人になり、成長する」ということなのかもしれないと思うのです。
成長することを認めていこう。大人になっても、子どもみたいに成長できる

私は一連のことをずっと考えていて「あぁ、成長するってそういうことなのか」と腑に落ちました。「子どももきっと、こういう風に育つのが健全なのだろうな」とも思いました。
ずっとかわいい子どものままでは、いられないのです。
自分のやりたいことをする、自分の人生を生きるためには、やっぱり多少はズルくならないと無理なのです。
純粋さや、人への優しさは、本当に必要な人に与える分だけ残して、あとは全部使い果たすつもりでいます。
大人になっても成長できる。
それは、単純に性格が丸くなるとか、穏やかになるとかそういうことではなくて「自分の人生を生きるために、できることはなんでもやるよ」というがめつさ、ズルさなのではないかと、私は思うのであります。/Kandouya編集部
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