いつも明るくて、アクティブな人。
社交的で、どんなコミュニティにもどんどん入っていける人。
そんな人に、憧れてしまうことがありませんか。
「すごいなぁ……」って羨ましく思ったり、自分もそうなれるように「変わりたい!」って思ったりしてしまうこと、ありますよね。
そして「もしかして自分も、器用にやれるかも?」って思って実践してみたら、結局続かずに心が折れてしまうなんてこともあります。
どうして私たちは、明るい人や社交的な人に憧れてしまうのでしょう。
明るい人や社交的な人が、優れているような意識がある
今の世の中には、明るくて活発な人や、社交性のある人、いろいろな人脈をもっている人のほうが優れているように感じてしまう「集合意識」というものがあります。
明るい、暗い、社交的・消極的、ということに限らず、世の中にはたくさんのことに集合意識が働いていて、私たちはそれに価値観や人生観を奪われてしまっています。
子ども時代から、明るい方がほめられた
子どもの頃から、大人しくて引っ込み思案、ひとりで静かに黙々と何かをしている子は、褒められることが少なかったのではないでしょうか。
「あの子はあんなに友達がいるのに」
「あの子は活発で、運動神経がよくてすごい」
そんな風に、私たちの親やそのまた親の世代にまでさかのぼって「明るく活発な方がいい」という集合意識があったのです。
親だけでなく、学校の先生や友達といった、ありとあらゆる人がこの集合意識にとらわれているため、そのイメージから外れる人はダメな方の人、できない方の人という見方をされてきました。
「明るくすべき」「社交的にすべき」と思い続けてきた
大人しい人、集団が苦手な人、表情が少なかったり声が小さい人などは、常に「もっと〇〇すべき」という気持ちと共に生きたのではないでしょうか。
日常のふとした瞬間に「もっと声を張らなくちゃ」「笑顔を作らなくちゃ」「自分も頑張ってグループに入らなくちゃ」なんていうふうに、自分を変えようとしてきたかもしれませんね。
でも、やっぱりできないことの方が多い。うまくいくことや、ちょっと成長したりもするのでしょうけれど、根本的にはいつも無理している。
深いプールの中で、ずっと足をばたつかせているような感じなのかもしれません。
だからこそ、簡単にやってのけている人や、自然体で明るい人に対して「いいなぁ」「すごいなぁ」という憧れや羨ましさを感じるのです。だって、自分が必死にやってもできないことを、簡単に、ナチュラルにできるのは、羨ましく見えて当然なんですよね。ときには、ちょっと妬むような気持が出てきても不思議ではないかもしれません。
明るく社交的なのが優位……という意識は古くなっていく

2020年を境に、世界が大きく変化しています。ウイルス感染が起こったことで、社会が変わっていくのを肌で感じた人もいるでしょう。しかし、目の前のに起こっている問題の裏には、もっともっと大きな「破壊と再生」の動きがあるのです。
内向的で大人しい人たちは自粛生活が快適だった!?
内向的な性格の人、普段から人の集まる場所やコミュニティが苦手だった人にとって、自粛期間は快適だったという声も多いです。
「人に会えない」「飲みに行けない」「テーマパークや旅行に行けない」
それは確かに、大変なストレスになった人もいるし、経済にも打撃を与えてしまいました。でも、一方でそんな生活が心地よいと感じた人もいたのです。
そして、社会全体が「人に会わず、静かに家にいましょう」という意識になったとたん、今まで少数派だった人たちにとっての「それが当たり前」な社会に一変したわけです。つまり、集合意識が変わったということですね。
当たり前や常識、普通はこうでしょ?なんてものは、こうも簡単に変わってしまうものだということになります。
常識・当たり前が崩壊していく
これから、今までの常識や当たり前の考え方が、どんどん崩壊していきます。
たとえば、テレワーク化で毎日会社に行かなくても仕事が回ることが分かった会社もあるし、オンラインのやりとりで時間もお金も短縮できることが分かった人もいるはずです。
いつでもアクティブに動き回るのが良いこと、という概念は一気に崩されましたよね。
これは、目の前に起こった「ウイルス」という問題を避けるための対処法のように見えているかもしれませんが、起こっている事象は本当に氷山の一角にすぎません。その下では、それぞれの人の頭や心の中で「これって、本当はおかしいんじゃない?」「こんな当たり前、もういらないんじゃない?」という意識改革が起こっています。
今まで私たちがとらわれていた常識や当たり前は、生活様式だけでなく、それぞれの個性や考え方、価値観といった深いところの不要なものまで壊していきます。
破壊して、新しくて自然なものへと再生されていくのです。
明るさや社交性がないことを認めると、何が起こる…?
人見知りや集団行動が苦手なことに負い目を感じない人もいます。もしくは、負い目やコンプレックスをあえてさらけ出したり、誰かに知ってもらったり、認められたりすることで輝きを増すことも。
内向的で消極的な有名人が人気
「自分は自分であり、無理に社会や周囲の理想に合わせる必要なんてない」と思っている人も増えてきています。
たとえば、発達障害であることを公表して自身の体験を語っている、タレントの栗原類さんは有名です。集団に合わない自分を売りにしたネガティブタレントとして一時期とても人気が高かったことを記憶している人も多いのでは。
最近では、ひとりで質素に生活する様子をさらけ出す「パーカー/大学生の日常」というYoutubeチャンネルが話題で、この動画のチャンネル登録者数は45万人にものぼります。
いわゆる「ぼっち」な自分を公開することに自虐的な意味を込めている部分はあっても、それと同時にそれを楽しんでいる雰囲気が人気の理由となっているのです。
この日本に生きていて、彼らがまったくコンプレっクスを感じていないとは、考えにくいです。そして、人に評価されるようになって輝きを増した部分があるのも、事実かもしれませんね。
でも「あなたはそのままでいい」というメッセージを送ってくれている人が、増えています。それはこうした直接的なメッセージではないかもしれませんが、そこに人の良さや魅力を感じられる瞬間がたくさんあります。
明るい人に憧れる気持ちも、あっていい
自分を認める、個性を認める、と言葉で言うのは簡単です。
ただ、そこに憧れる気持ちや、すごいなぁと感心する敬意があるのは悪いことではありません。
「自分もそんな風になってみたい」
「自分にもできるかもしれない」
という期待や願望のようなものは、誰にでもあるし、そういう気持ちをもつのが人間らしさでもあります。
しかし、そこに振り回されて「自分はダメだ」という風に責めたり、自信を喪失してはいけない、と覚えておいてほしいのです。
社交的に、明るく、アクティブな自分になってみたい。やってみたい。そんな気持ちに従ってみてもいいです。
でも、もしかするとやっぱり途中でダメになるかもしれません。自分にはやっぱり無理だったと思う可能性は、正直高いです。
ただ「ダメだった」「無理だった」という気持ちは「やっぱり自分はこれでいいんだ」「こっちが合っているんだな」という確認作業のようなものだと思ってみましょう。
そこに価値の変動や、優劣の判定はありません。
失敗してもいいし、やっぱりやめた!でもいいんです。
たまには違う自分になってみて、疲れたらやめればいい。たまには赤の服を着てみるけど、やっぱり普段は白の方が好きだな……と再確認するような、そんな遊びみたいな気持ちをもっていてほしいです。
明るい人や社交的な人に憧れたら…

憧れや、理想をもつことはいいことです。でも、そこに「明るい人のほうが優れている」とか「社交的な人の方がステキ」という、集合意識がないかどうか考えてみてくださいね。
そして、憧れる自分の気持ちも、そこにあっていいものだと考えてください。
たまには演じてみるのもありだし、できそうなときはやってみてもいいと思います。何より、筆者がそんな風にして七変化しながら、ときどき充電切れになりながら生きているのです。
どんな自分でも生きていけます。
あなたはあなたの、どんな状態やどんな気持ちも味わって、おもしろがってみてください。/Kandouya編集部
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