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「明日死のう」と本気で決めて生きる14歳の話。

なぜ自分は生きているのか。生きていなければならないのか。あの頃の私は、その答えを見つけることができなかった。信じられる人もいない、あたたかい家族もいない。友達にも裏切られた。虐待ばかり受けてきた幼少期。性格の悪い担任。「自分が生きている意味なんて、どこにもないのではないか」……そう思う事しかできなかった。

それでも、今生きている。

14歳で人生を語るなんて、子供が何を言ってんだ。大人はそう笑っただろう。何もかも捨てて消えてしまいたかった私は、居場所もなく、起きることもご飯を食べることも、トイレに行く事もしんどいほどになり、涙も枯れてしまっていた。

「明日絶対に死のう」そう決めていた。それなのに今日まで生きていく事になったあの日の事を、あなたにも聞いて欲しい。

今、死ぬべきではない

まずはじめに伝えたいことがある。それは「今死ぬべきではない」ということだ。「死なないで」「人は誰でもいつかは死ぬんだから…」「命がほしくても生きられない人がいるんだから…」なんて、そんなきれいごとを言うつもりはない。そこまで追い込まれても、他人のことを考えるなんてできるわけないから。

それでも今、本気で生きることに疲れていても、死ぬべきではない。と私は伝えたい。どんなに明日に希望が持てなくてもひとりぼっちでも、どうかあなたがあなたらしく笑える日がくることを諦めないでほしい。なぜそう言えるのかを、これから書いていこうと思う。

「本気で」死にたいと決めた時にしか出ない底力

私は14歳の時、本当に明日死のうと決めて、イメージトレーニングをした。夜のうちに遺書を書いて、朝になったら親に発見されるんだ。その時に親は初めて後悔するだろう、私に投げつけた数々のひどい言葉、こそこそと隠れて私を「あの子は頭がおかしい」と周囲の人に言っていたこと、「キチガイ」「手に負えない」とたった一人の親に言われることがどれほどつらく悲しかったか、はじめて知るだろう。

そして言いたかったんだ。「私はおかしくなんてない!」と……。

想像すると、全身が震えた。これで楽になれるんだ。私を毎日殴り続けた兄妹も、守ってくれなかった親も、味方になったのに手の平を変えて私を集団でいじめてきたあのときの○○ちゃんも、きっと思い知るんだ。「なんてひどいことをしたんだろう」そう思えばいい。一生、後悔して生きればいい。死に方もちゃんと調べた。一番苦しくない方法で、効果的な死に方。

あの時は「死後の恐怖」や「死ぬときの苦しさ」なんて考えもしなかった。ただただ、これで楽になれる……そう思っていた。喜びさえ感じていたんだ。本気だったんだ。

明日死ぬから、もう何してもいいよね

決心した私は、「どうせ死ぬんだし、もう何も我慢しなくていいや」と思った。はじめてそう思えた。むしろ、何を我慢する必要があったんだろうと思った。だから、嫌でも我慢していた友達とも全員縁を切ったし、許せなかった相手には、共通の友人からアドレスを聞いて「なんであんなひどいことをしたの?私は一生忘れないから」とメールを送った。

冷蔵庫にあった食べ物を好きなだけ食べて、誰にも遠慮せずに、こっそり小さい頃からためていたお小遣いも使い果たした。「親は大変だから、自分は何も言えない」なんて思考は、どこかへ消えた。だって、明日にはもう私はいないのだから。

会いたかった人は1人だけ

明日死ぬから、唯一感謝を伝えたい人にだけは会っておこうと思った。小さい頃住んでいたマンションで、お昼ご飯がなかった私を部屋に招いてくれたおばちゃん。おにぎり、ならんだ卵焼き、コロッケ。「おいで」と一言だけ言って、そっと出してくれたその味は忘れられない。不憫に思ったのだろうけど、優しかったなあ。

でも、そのころから何年も経っているし、学校に行くふりをして当時のマンションまでふらふらと向かってみたけれど、会うことはできなかった。当たり前だ。向こうだってきっと覚えてないだろう。それでも、引きこもりだった私にとっては、確実にできるかわからないことを成し遂げるために1人で足を運んだだけでも十分だと思った。

本気で遺書を書いた夜

その夜、いよいよ遺書を書く時がきた。死んでしまったあとだったら、何をでっちあげられるかわからないと思った。親は「私は悪くないんです」とアピールするために、嘘をつくかもしれない。兄妹も友達も同じだ。

私は命と引き換えに真実をさらしたかった。だから、言えなかったこと、苦しかったこと、誰に何をされてきたか、本当は何がしたかったか、なんて言ってほしかったか、どれだけ寂しかったのか、つらかったのか……

そのすべてを遺書に書くことを決めた。

久しぶりに涙が溢れて溢れて止まらなかった。自分がどこにペン先を置いているかもわからなくなるほど目の前がにじんだ。ずっと言えなかった本音。嘘偽りない本心。いまさらだけれど、自分が本当にほしかったもの。そのすべてが、次から次へと、涙と一緒に溢れて溢れて止まらなくなった。

そうだ、私は「死にたい」と思っていたわけではない。自分の事をちゃんと知って、わかってくれて、大丈夫だよと誰かに言ってほしかったのだ。つらかったね、苦しかったね、よくがんばってきたね。もういいんだよ。頑張らなくていいんだよ。もう一人じゃないよ。そう言って抱きしめてほしかったのだ。

本気で「死のう」としなかったら、すべてを吐き出せなかった

遺書を書き終わる頃、私は自分の本当の思いに気付き、そして、これまでには絶対できなかった行動をしている自分に驚いた。憎いと思っている相手に直接思いをぶつけたり、外に1人で出て誰かに会おうとしたり、「明日この世を去る自分が、今できること、やりたいことは何か」ということしか考えていないこと。

隠している思いも本音も何もかも吐き出して、もう頭も空っぽになるほど吐き出して、もうなんでもできるような気がしていた。

そして、「今ならもう少ししたいことができるかもしれない」と思い立ち、「明日死ぬ」のはやめて、「次の日に死のう」と決めたのだった。

毎日「明日死のう」と決めて生きる日々

言葉だけ聞けば乱暴かもしれないけれど、その日から私は1年以上もずっと、誰にも告げずこっそりと「明日死のう」と毎日思いながら生きる日々だった。遺書を書いたあの日のように、「明日はここにいないんだから、言ってもいいよね」「明日はここにいないんだから、好きにしよう」そう思いながら生きていく日々が始まった。

そんな毎日は決して輝いてなんかいなかったけれど、不思議なことに、「がんばって生きなくちゃ」と思っていた頃よりもずっと楽になった。言いたいことを我慢しないで、やりたいことを我慢しないで、このままの自分でいなくては死んだあとに後悔する、と思うようになっていったのだ。

そんな日々を繰り返して2年。人間不信でコミュ障の私でも、新しい人との出会いや目標を作ることができた。もちろん「死にたい」と思うことは多々あったけれど、学校は諦めてバイトもした。

「生きたい」「人生が楽しい」とは程遠い、切ない生き方かもしれないけれど、それでも、それで良かったんだ。

筆者は今年30歳になる。今だってなんのとりえもないし、人生なんてつまらないと思っている自分も本当はいる。それでも今、同じように生きる意味を見失いそうな人の、ほんの0.01ミリでもいいから力になりたいと思う人間になった。

あのとき、私がほしかった言葉。ほしかったもの。孤独の中でわかったこと。「頑張っているよ。よく頑張っているよ。あなたは、1人じゃないよ。苦しかったよね。辛いよね。でもここに味方がいるよ。」そんな言葉を、あなたに伝えたいと思う。

届かないかもしれないし、「お前誰だよ」って思うかもしれない。ちっぽけかもしれない。それでも、もしも誰かの力になれたなら、そう思っている。

「正しいやり方」とは言えないかもしれないけれど、あなたもどうしても死にたくなった時は、本気で遺書を書いて、自分の思いにちゃんと触れてみて欲しい。吐き出して欲しい。生きるか死ぬか決めるのは、それからでも、遅くなんてないよ。あなたは、自分の価値に気付いてないんだよ。だから今、死のうではなく、「明日死のう」と決めてでもいいから、今を生きてみてほしい。その一歩の積み重ねで、誰になんと言われようが、あなたの人生を生きていってほしい。

最後に、私はあの時「死ななくてよかった」って、そう思っているよ。「生きててよかった」とは思えないけれど、死ななくてよかったかなって、思えるようになったよ。

だからあなたも、今死ぬべきじゃないと言える。/kandouya編集部

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