kandouya

月間テーマ

More

前の人生の性別って考えたことある?バカな妄想で性自認の仮説を立ててみた

人の中にはそれぞれ、男性性と女性性がある。身体の性別は、社会的なひとつの枠としてあるけれど、本人の心の中には男性も女性もそれぞれのバランスを保ちながら存在しているのが一般的だと思う。

もちろん、中には体と心の性が明らかに一致しなかったり、同性愛であったり、どちらの性別も愛せる人もいたりという人も珍しくないということが広く知られるようになってきた。

そして、私自身ある程度歳をとってはじめて「自分の中には男性性が強く存在しているな」ということに気づき、並々ならぬ解放感を得た。

そこで思いついたのだが、私たちは「どんな順番で繰り返して輪廻転生しているのか」が今の性自認や心の性別のバランスを作っているのではないか?というストーリーが浮かび上がってきた。

もちろん私の思いつきであり、信憑性も根拠もない。ただの妄想である。

でも、そう考えるといろんなことの辻褄が合うし、生きやすさが増すように思うのでここに書き記しておこうと思う。

[ad]

男性、女性を繰り返しながら輪廻転生しているのではないか

輪廻転生とは、生まれ変わりのことだ。人は、なくなっても体という器が消えるだけで魂は次の人生へと進んでいく……という生まれ変わりを信じている人も多いはずである。

人が生まれ変わるのは、人しかないという説もあれば、動物や虫などを経て人間に生まれ変わるという説もあるし実にさまざまだ。ただし、動物や虫であったとしても「雄と雌」が存在するので、どんな風に性別を経験してきたかという理屈は生まれ変わりに通用することになる。ただ、虫と人間を繰り返すというのは個人的にないと思っている。人間は人間の魂を繰り返すと考える方が好きなので、今回は過去生はすべて人間という体で話していこうと思う。

たとえば、私の場合身体の性別は女性だが、心の中の男性性が強い自覚がある。

その場合、自分が生まれる前の性別が男性であった、もしくは過去生で何度も男性を繰り返してきた名残によって、今の私は男性性の強い女性として生きているのではないか?と考えると、いろいろ腑に落ちるような気がするのだ。

たとえば3回女性の人生を生きてきて、今回が4回目の女性の人生だったらどうだろうか。自分が女性であるということに何の疑問も抱くことなく、より女性らしく、愛らしく生きることは容易いかもしれない。しかし、過去3回の人生が男性で、今回初めて女性を経験するとなると、やっぱり過去生の男性の名残があることは不自然ではないと思うのだ。

男性、女性、男性、女性を繰り返す魂だったとしたら、その多様な経験や記憶に混乱して「自分の性別がわからない」というLGBTのような突出した個性や違和感を感じることもあるかもしれない。どういう理屈で、今の性自認につながっているかはざっくりとしかイメージできないのだけど、これだけ男性性・女性性の問題で悩んでいる人が多いということが明らかになってきた今、それはもしかして目に見えない、誰もわからない過去生や輪廻転生のこととも関係があると考えると、すごく楽ではないだろうか?

どの性別で、何を経験してもいいという考え方

社会がこれだけ多様性を認め、考え方の視野が広まった今、私は「人はどの性別を経験してもいい」とか「人はどの性別の経験も持っている」という風に考える方が楽に生きられるように思う。

一般的な人は「私は女です」「俺は男だ」という風に信じて疑わないだろう。でも、自分の知り得ない過去生に、異性であった経験や記憶というものが実は存在している。

だから「なんか、女らしさに窮屈さを感じる」とか「男らしくなれずに苦しい」みたいな感覚に苦しむことがあっても当然だ。

なんども同じ性別を経験する魂だったら「私は女性の性別を過去3回も生きてるから、女性としてもっと磨きをかけていくわよ!」というように性別的ベテラン的な生き方もできるかもしれない。

私のようになんとなく性自認に納得しきれないけど、受け入れらないほどではないという人も多いだろう。そういう人は「過去に何度か男性をやったことがあって、めっちゃ楽しかったんですよ。それが忘れられなくて……」みたいな感じで、今回の人生でも過去生の性別に名残惜しさがあったり、未練があったりするのかもしれない。

性同一障害やLGBTといった人は、いろんな性別の人生経験を複数もっていてその記憶や体験の名残によって、今の社会の枠にそぐわなかったというだけ。ちょっと間違えちゃうとか、過去生でも同性愛だったとか、そういう可能性もあるのでは。こう考えたら、問題だと考えることのほうが不自然であり、めんどくさい考え方だとも思えてくるのだ。

考える規模を大きくして、楽に生きる

私は昔からときどき、現実世界で嫌なことや悩みがあると「宇宙から見たら、小さなことだよな」という現実逃避をすることがあった。

この世には何十億人という人がいて、世界は196カ国もある。

その中のたった数人の人間関係で悩んでいる自分が、何とも可愛らしいというか、まだまだ幼くて世間知らずなだけなのだな……なんて思って、気を持ち直したりすることがある。規模を大きく見ることは、自分の現実の問題の大きさをちょっと軽くしてくれたり、よい方向に捉えられるように錯覚させてくれたりすると思っているのだ。

もちろん、向き合わなければいけない現実もある。でも、目の前のことを大きく見積もりすぎないことや、自分の抱える悩みにフォーカスしすぎないためには、全体の規模を大きく見る、視野を広げる、視点を変えるということがけっこう大事だったりするのだ。

スピリチュアルや占い、目に見えない世界の話は、結局「自分の中に新しい視点や知らなかった観点をもたらすことによって、脳の動き方を変える」ということなのだと思う。何も不思議なこと、怪しい考えではない。

自分の考え方や捉え方さえ変われば、世界の見え方も悩みへの向き合い方も変わる。ただ、目に見えない限り他の誰かに「それで正解ですよ」「あなたは合ってますよ」といってもらえることはない。しかし、やっぱり何か保証が欲しかったり、背中を押してくれる存在が欲しかったりする。スピリチュアルな教えや占い、死後の世界観などは、そのためにあるのだと思っている。

自分の頭の中は宇宙、そして宇宙の95%はよくわかっていない

自分の頭の中は、自分で作れる。妄想でもいいし、根拠なんてなくていい。自分の頭の中は自由だし、何もわかっていなくてもいい。

人の脳は宇宙だとよく言われるが、まさにそのとおりだ。

実際の宇宙は、その95%が正体不明であるとされる。宇宙のほとんどは、何でできているのかどうなっているのか、未だにわかっていない。それでも宇宙の中にはたくさんの星が存在していて、地球があり、地球の中にはこんなにも複雑な社会が気づきあげられていたりする。そして、その中に私たちは生きている。

私たちの頭も宇宙だとするならば、その95%は正体不明ということになる。現に、人の脳の95%は潜在意識といわれ、自分でも認識できない領域とされている。

つまり、人の脳も宇宙も、なにもわかってない、根拠のないものでしかない。だったらば、好きなように考え、好きな仮説を立て、好きな妄想をして生きていたほうが、いいのではないだろうか。データや根拠といったものを使う発展は専門家に任せておけばいいし、知りたければ調べればいい。

ただ、数字やデータといったものばかり追うのに飽き飽きした現代人はこうしてバカバカしい仮説や妄想をつくって「世界はそういうものなのだ」とひとりで納得すると、とても楽だし、何より楽しく生きられるのかもしれないなと思っている。/夏野新

[ad]

おすすめ書籍《トラウマ・HSP・アダルトチルドレン》

スポンサーリンク

Return Top