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人生は枠だらけ!自由人とは、どんな人のことをいうの?

「自由人」とはどんな人のことを指すのか、考えたことはあるだろうか。

イメージでいうと……

新しい働き方、例えばノマドワーカーとかリモートワーカーとか、フリーランスなどをしている人。珍しい形の事業を起こして、楽しく働いている人。多趣味な人。服装が個性的な人。急にふらっと海外に行ってしまうような人。

常にマイペースで、興味のない話はあまり聞いていなくて、平日の昼間からオープンテラスのカフェでビールを飲んだりするとか。交わすのが上手くて、家庭をもつことよりも縛られない生き方を選択する人。

色んなイメージがある。

しかし、このイメージは全部「偽自由人」だと思う。

自由人の定義とは、なんだろう

「自由人の定義」なんて言葉がそもそも、自由でない人の発想だと我ながら思う。しかし、自由とは何をもって自由なのかという本質的なところに目を背けることはできない。

自由についてはこの記事でがっつり書いているので「自由」とは何か、から考えたい人はこちらの記事を読んでみてほしい。

自由は存在しない?「自由になりたい」と願うことの意味、自由になるには。

わかりやすい世の中の「枠(わく)」

最近では男らしさや女らしさということを植え付けないために、男子生徒に「くん」づけをしない学校が増えている。

男は仕事で女は家事という価値観も、崩壊した。そして、今は働き方改革の真っただ中であり、自分らしい働き方をするとか、個性を売りにする働き方が注目されていたりする。

また、若くてもしっかりした考えをもっている若者もいれば、歳を重ねているのにいつまでたっても、社会的・人間的に子供のままという人もいる。最近の流行ワードでいえば「子供部屋おじさん」なんて言葉も記憶に新しい。若いから未熟、中年だから立派、という考えも当てにならないことに多くの人がきづいている。

そういうのは、わかりやすい「枠」だ。

では、わかりにくい枠とはいったいなんだろう。

世の中は「枠」に支配されている

現代には、自分の好きなことを「好き」とはっきり言えない人が多い。

「オタク」という言葉を作ったのも「枠」にとらわれた人たちだ。自分の好きなことを突き詰めたり、変わった嗜好をもっていることを「オタク」という枠に当てはめる。

「草食系男子」「スイーツ男子」という言葉も、枠にとらわれた現代人を象徴するワードだ。男たるもの、男らしさ、というものが前提にあって、その枠からはみ出した男性のことを「草食系男子」と枠に当てはめた。

「おひとりさま女子」「こじらせ女子」なんてのも、可愛くてか弱くて「将来の夢はお嫁さんです」という女性のデフォルト的イメージが最初にあって、その枠から出てしまったはみ出し者に対して言われる言葉だ。

もちろん、自分で名乗ることで個人のユーモアや個性をアピールする材料になる。でも、流行ワードだけでなく、世の中のありとあらゆるところにそんな「枠」が設置されていて、そこから出る人に注目して、ああだこうだと議論する構図があるということに気づく。

「意外だね」「変なの」そんな言葉を怖がってはいけない

「意外だね」の言葉にはときどき、悪意がある。

「そうなの!素敵だね!」の意と「何それ、意味わかんない」の意だ。圧倒的に後者の方が多いと感じるかもしれない。

もしくは「そうなんだ……」という、何か悪いことを聞いてしまったような感じや、同情の目を向けられることもある。

でも、自分を出したときに人から違和感のある反応をされるのは、おそらく幅が広くて魅力が多いからだと思う。

人生の幅というのは、広ければ広いほどいい。

例えば、女だからという理由で赤やピンクの服しか着ない人なんていない。色んな色を楽しんで、着こなせるならそれは素晴らしいことだ。

日本人だから、日本語しか話さない? そんなわけないだろう。

それなのに、社会的な「枠」を出ようとすると、必ず誰かが何かを言ってくる。例えば、さっき挙げたような「流行ワード」がそのいい例だ。

どこかの誰かが勝手に決めたイメージから出ると、その人を「変な人」として扱ったり「理解できない」という感情を露わにする。それはなぜかというと、枠に違和感をもったことがなかったり、枠から出たときのつらさを知らないからかもしれない。

そういう反応を、怖がっちゃいけない。

人生のどんなことでもいい。怖さをもって枠を超え、自分の中の何かを大事にしている人は誰だって自由人なんだ。それを横から揶揄してくる人は、自由というものに疑問すら抱いたことがないから「何それ、ヤバくない?」といって笑うことしかできないだけだ。

あなたが変なのではなくて、あなたの人生や考え、趣味嗜好の幅が広すぎて、ついてこれる人が少ないのだ。

そういう人々の目を怖がっていては、自分に従うことはできない。

ひとりの人間が、生まれてから今まで当てはめられる「枠」

赤ちゃんの名づけ本には、男女別にわかれている。男の子には電車や飛行機が与えられ、女の子にはお人形やおままごとセットが与えられる。男の色、女の子の色という概念がある。

男の子は男の子の友達と遊ぶ。女の子は、女の子同士で遊ぶ。男の子に人気の習い事があって、女の子には定番の習い事がある。

学校の中には「裕福」と「普通」と「ギリギリ」の経済の枠が存在する。子供同士の中にも上下関係ができて、同じ年齢の子供の中にも「上」と「下」の枠ができる。学力別の「枠」ができ、クラスが分けられる。「運動ができる」「運動が苦手」の枠もある。男子は外でバスケットボールをして遊んでいる。女子は部屋の中でたわいもないおしゃべりをする。

思春期になると「一生懸命」な生徒と「斜に構える」生徒の枠ができる。「垢抜けた」生徒と「ダサい」生徒の枠ができる。普通に成長していける生徒と、つまづく生徒がいる。彼氏彼女のいる子と、いない子がいる。

大学に行く人がいる。フリーターになる人がいる。オタクになる人がいる。できちゃった結婚する人がいる。

会社員になる人がいる。公務員になる人がいる。うつ病になって引きこもる人がいる。若くして企業する人がいる。

ロックが好きな人がいる。クラシックのピアノが好きな人がいる。

スポーツが趣味の人。アニメが趣味の人。

ポジティブな人、ネガティブな人。

結婚した人。しなかった人。

子供ができた人。できなかった人。

生きている人。死んでしまった人。

私たちは、本当に「枠」の中で戦ってきた。そう思いはしないだろうか。

自由人とは「自分に縛られない人」のことである

私たちは、生まれてから今まで本当にたくさんの枠をあてがわれて生きている。

「あの人は自由でいいな」とか「自分には自由がない」と嘆いたりする。

そして「自由人になりたい」なんて言ったりする。

「あの人は自由人だから」と誰かを羨んだりしても、その人の心の中は本当に自由かどうかなんてわからない。

ひとりの同じ人物に対して「フラフラしていて自由に生きていていいなぁ……」と感想を述べる人もいれば「あの人はいい歳して家庭も持たないでフラフラしていてどうしようもない」と言う人もいる。見方は、人によってすべて違う。

だから「自由人ってどんな人のこと?」とか「自由人の特徴ってなに?」なんて質問は、まるで的を得ていない。

自由の自は、自分の自。自由の由には「寄せる」「従う」「手本とする」「経る」という意味がある。

自分に寄せる。

自分に従う。

自分を手本とする。

自分を通過点として、経る。

自由は、全部自分次第なのだ。自分が「枠」を出ようと思ったら出られるし、「枠があるから出ないでおこう」と思うならそれでいい。それも自由だ。

自由人をしいて表現するなら「どんな人の、どんな側面も受け入れられる人」

結論をいえば「自由人」なんか存在しないということだ。

自由は作れる。枠は、いつでも出られる。出られない理由は、自分で作っているだけだ。

人の意外な一面や、驚くような様子を見ても「人間って、そういうものだ」と、わかる人にはわかる。他人のどんな側面も理解しようとする人は、それに比例して自分の中の自由度も高い。

どこに行けるから、何ができるからじゃない。何をしなくていいか、何から逃れるかでもない。

しいて言うなら、人にはどんな側面があってもいいと知っている人のことを「自由人」と呼ぶのではないだろうか。/Kandouya編集部

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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