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【心理】流行が好きじゃない?流行に乗らない人がつくる「正当な世の中」

流行に乗らない人って、ちょっと変な人?

流行に乗らない人は変な人ではない。どうか、その感覚を今もこれからも大事に持ち続けてほしい。流行っているものが素晴らしいものとは言い切れない。素晴らしいものだから流行る、多くの人に愛されるものには理由があるとは、限らない。

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流行が好きじゃない筆者が、流行の映画を観に行ってみた

筆者は、中学生のころから流行のものに興味が失せてしまった「流行に乗らない人」だ。そんな筆者はこの夏休み、バカみたいに観客を動員している話題の映画を観に行った。「これだけ大多数の人に支持されていて、莫大な興行収入を得ているんだから、もしかしたら本当に素晴らしいものなのかもしれない」と思い直したい気持ちになったのだ。

夏休みの連休だったこともあってか、まず劇場の予約がいっぱいだった。日中は満席で、夕方の上映時間、観にくい左端の席しか空いていなかった。これだけ話題の映画だ、それは仕方がないだろう。その空いている席を目指して、映画館のフロアに降り立った。観客で溢れかえったロビー。流行の映画というものを観ない私は、こんなにたくさんの人で溢れかえった映画館を初めて目の当たりにした。やっぱりすごいなぁ……人の多さや、そこにあるワクワクしている人々の感情に圧倒されているうちに、自分自身の映画への期待感も自然と高まった。

流行の映画は、やっぱり好きじゃなかった

その映画は、やっぱりどうしても「素晴らしい」とはいえなかった。お世辞にも、いえなかった。好き嫌いはあるとしても、物語に深みがなく、辻褄が合わない。ただ、人々がうなずきそうな場面や映像、展開、構成、音楽を「切って張った」ような映画だと思ってしまった。これは、あくまでも個人的な意見なので、批判したいわけではない。

私が本当にいい映画を観たあとは、この映画について小一時間誰かと議論したくなるし、これはレビューに書き起こさなければ!という衝動に駆られる。そういう感動や、激情がなかった。確かに映像もきれいだし、感動的な場面や演出というものはあった。でも、何を伝えたいのかがまったくわからないのだ。映画を観ている間中ずっと「何がいいたいのか」をずっと探して、必死に映画のメッセージを受け取ろうとした。でも結局わからなくて、疲れて、終わった。私の理解力がないのだろうか?そうだとしたら、観客ひとりひとりに「この映画は何を伝えたいのか?」をインタビューして回りたい。

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流行が好きじゃないから、批判的にみているだけでは?

流行のものが好きではない、流行に乗るのはダサい。そんな先入観が、この映画を侮辱してしまうのかもしれない。そうも思ったのだけれど、やっぱり違う。本当に素晴らしい映画には、きっちりとした「裏づけ」があるものだ。あのシーンであれが出てきたのは、このシーンに繋げるためだったのか。あの人って、もしかしてこの人と関係があるんじゃない!?そんな風に、細かいことろまでねん密に練られたストーリーを必死に読み解くからこそ、おもしろいと感じる。難しいパズルやゲームのほうが、クリアできたときの達成感が大きいように。ストーリーが難解だったらいい、というわけではなく「筋が通っている」ことが前提なのだ。それが今回の映画にはなかったし、今までも感動のない映画に出会ったことは度々ある。

結果的に「これだけ大多数の人に支持されていて、莫大な興行収入を得ているんだから、もしかしたら本当に素晴らしいものなのかもしれない」という期待は打ち砕かれた。

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流行に乗るのは悪いことなの?ミーハーじゃだめなの?

映画なんてただの娯楽。雰囲気がよければそれでいいだろうと思う人もいるのだろう。でも、流行のものをそのまま鵜呑みにして「すごい!」「最高!」ともてはやす人が、確実にたくさんいるということがわかった。何度も言うが映画批判をしたいのではない。これだけの人が動員され、またその動員数の多さに人が集まることに、違和感を覚えるのだ。

これは、映画に限った話ではない。誰かがいいといったものを、そのまま「いい」と思ってしまうこと。自分はいいと思わなかったときに、それを発することができない風潮。大多数の人が評価しているものは、いいに決まっているという大前提。これが、日本という国を作っていることになるのだ。

流行は時代を作る大事なものだ。いつの時代も、音楽や映画、ファッションなどのカルチャーが時代を作り、そこに日本らしさが宿る。流行のものを知ることや、試してみるのは大事だ。でも「流行っているものはいいものだ」という前提を持っていては、文化の質はあがらない。流行は大事なものだからこそ「流行するものの質」を、受け取る側がもっと考えるべきなのではないか。

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流行しているものを、あなた自身は「好きか?」「嫌いか?」

「流行のものはダサい」「みんながいいと思っているものは、好きじゃない」というパターンもあるだろう。思春期や、若い世代の人には大事な感覚で、きっとこの道を通ってきた人も多いはずだ。

でも、流行しているものの中には本当に素晴らしいものもある。実は今回私が観てきた映画の前作は、話の内容もすごく良かったし、実際に評価も高かった。なぜこれが流行するのか、多くの人に評価されるのか?を考えることも必要だ。

そして、流行のカルチャーに対して「自分はどう思うか?」を常に自問してほしいのだ。みんな「スゴイ!」「ヤバい!」って言っているけど、私はそうは思わない。俺は全然好きじゃない。その自分だけの感覚を大事にしてほしいのだ。

これからの時代を生きる人にとって、いちばんこわいのは「自分がないこと」だ。流行物が好きか嫌いかではなく、その作品や物が自分にとって「好きか?嫌いか?」をちゃんと考えてほしい。

これをやっていくと、カルチャーの分野だけでなく、さまざまな物事に対して「自分はどう思うか?」という芯をもっていくことができる。誰がいいと言ったから、みんながどう言ったから、というのはあくまでも参考程度だ。最終的にいいものとそうでないものを決めるのは、自分自身だということをもう一度考えてほしい。

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自分だけの感覚が世の中の正当な評価をつくる

流行のものや、自分の好きなものに対して「なぜ、それを支持するのか?」を説明できるようになろう。映画や音楽、ファッション、本などのカルチャーは、どうしても個人の好き嫌いが全てだし、正解や不正解があるものではない。しかし、なぜそれを好きか、なぜやっているのかという理由をはっきりもたなければならない。

世の中には、正当に評価されていないものがたくさんある。物や文化だけではない、人に対しても同じことがいえる。それぞれが大多数に合わせて流れに乗っていると、本当に評価されるべき物や人が評価されないという事態が起こる。本当にいいものが日の目を見ず、嘘や雰囲気だけのふわふわしたものが莫大な人気を得て、多大な評価や収入を得ているということが、本当にこの世には嫌というほどあるのだ。

自分が自分だけの感覚をもって、それに自信を持つこと。それが、これからの世の中を作っていくことになるのだ。この世に生きているすべての人に価値がある。あなたが考えなしに流れに乗っても、考えて流れに乗らなくても、考えた末に流れに乗っても。個々のやっていることは、目に見えないところで、自分ではわからないところでちゃんと反映されるよう、世の中はできているのだ。/Kandouya編集部

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