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だから「インスタ映え」って嫌い。犠牲になったカツ丼と、あたたかい思い。

「インスタ映え」が嫌いなのは、その影でいろいろなものが失われているから

「だからインスタ映えが嫌いなんだよ」と、つくづく思う今までも、私はインスタをはじめとするSNSの悪影響について考えることが多かった。SNSで虚像を作っても、依存して中毒になっても、個人がひとりで自滅していくのなら全然かまわない。でも、実際はそうではない。

インスタ映えに熱狂する人の影には、何かを失ったり、悲しい思いをして泣く人の存在がチラつくのだ。

インスタ映えや、SNSへの投稿を目的に店を訪れ、店主の気持ちを踏みにじっていく人のニュースを目にしたからだ。

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甲子園球児のため……儲け抜きの「カツ丼大」

兵庫県神戸市、西宮球場の近くにある「大力食堂」ではデカ盛りカツ丼のボリュームと、その良心的な価格が注目されていた。ご飯2.5合分にも匹敵するそのカツ丼は、たったの800円で提供されていた。こだわりの小洒落たラーメンが1杯1,000円近くもするこのご時世に、高校球児が800円で満腹になれるその「カツ丼大」は良心的すぎる代物だった。

大力食堂の店主によれば、このカツ丼は儲けは一切抜き。都会の食事代は高い。体力仕事をしている人や若者に、値段を気にせずお腹いっぱい食べてほしいという願いから、このカツ丼大は生まれたのだった。

しかし、いつのまには世の中にデカ盛り・バカ盛りブームが訪れ、興味本位で食べに来る人も増えた。さらには「インスタ映え」という概念が生まれ、写真をとって自分の個人メディアにアップし「いいね」を獲得するためだけに、カツ丼大を「見に来る人」も増えたというわけだ。

インスタ映えの影響でカツ丼大は廃止、復活もない。

元々は、安くお腹いっぱいご飯を食べてほしいという老舗食堂の配慮だった「カツ丼大」は、2019年の今年で提供を中止することになった。その理由は「写真を撮るだけ撮って、残していく客が増えた」ためだ。

インスタ映えブームにあやかったであろう客が、スマホで「カツ丼大」を撮影し、半分以上のご飯を残していくという。店主は“残ったご飯は廃棄するしかないが、お金もお米ももったいない。それを見ていたら、情けなくなった……”と話している。今年で、長年高校球児や地元の客に愛されてきたカツ丼の大盛りは廃止。取材者の「もし残さず食べてくれるのなら復活もあり得るのか?」という問いに店主は「復活はない」と断言したという。

インスタ映えトップクラスの「タピオカ」がもたらしている裏の影響

インスタ映えやSNSへの投稿のために、こうして影で泣いている人がいる。さらに、飛び火を食らっているのは飲食店だけではない。清掃業者や自治会の職員、また清涼飲料水メーカーの人達にも被害を与えている。

タピオカドリンクを撮影後、すぐに捨てる若者たち

若者を中心に爆発的ブームを生んでいるタピオカミルクティーやタピオカドリンクも、写真を撮るだけ撮ってすぐに捨てる人が急増している。某テレビ番組でも、この問題が取り上げられたことがある。

タピオカをドリンクを美味しいと感じるか、感じないか。それは個々の好き嫌いによるだろう。それでも、一般的な感覚として「注文したものはできるだけ飲み切る」努力をするのが当然ではないだろうか。お金さえ払えば、あとは飲もうが捨てようが同じなのだろうか?

どうしても口に合わなくてお残しをするのであれば、それなりに適切な処分をするのが人として「当たり前」の行いなのではないか。

インスタ映えに困り果てている「関係のない人たち」

店の前や、道の植え込みに放置されたタピオカドリンク。これを、処分して清掃するのは自治体の担当者である。渋谷区環境政策課の担当者は、現状に困っていることを吐露している。

タピオカ激戦区とされている渋谷区では、こうしたインスタ映えブームが起こる前から確かにポイ捨ての問題を抱えていた。訪問者の多い土地であるため、どうしてもマナー違反を犯していく人はそれなりにいたのだろう。しかし、今回のタピオカブームのおかげで、さらなる問題に直面してしまっている。

さらに、自動販売機横に設置されているリサイクル回収ボックスの中に、飲みかけのタピオカドリンクのカップを突っ込んでいく人もいる。面倒なものは、自分の目の前から消えさえすれば最初からなかったことと同じなのだろう。夏場になると、飲み残しの腐敗は早まり、虫やねずみなどが湧くようにもなる。こうしたものを処理しているのは、自動販売機の管理者でありタピオカとは何の関係もない。回収ボックスには「空き缶・ペットボトル以外は入れないで」という旨のステッカーを貼るなどして対策しているが、そもそもこんな手間をかけないと「いけないことなのだ」と自分を律することができないのが問題だ。

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インスタ映えが嫌いなのは、その影にあるものが見えるから

筆者は「インスタ映え」というワードが嫌いだ。インスタ映えというワードを分解すると、インスタに映えるものということになる。そのもの自体がどうこうではなく、あくまでも主役はインスタだから。

例えば、自分で作ったこだわりの料理をインスタに載せて、そのあと美味しく食べるのはとても健全だし、楽しいだろう。特異な絵を活かして、漫画やイラストカットを描いて載せ続けていると、書籍化の話がきたり仕事に繋がったりもする。個人のセンスや得意なものを発信するには、とてもよいツールである。「今日は〇〇に行ってきたよ!楽しかった!」という他愛もない投稿だって、公開日記のようなもので全然ありだと思う。

ただ、どうしてもインスタに投稿していると、ドツボにハマりやすいのだ。みんなが挙って「スゴイ!」ともてはやしていること、テレビや雑誌などのメディアで話題にあがっているものには、触れたいと思ってしまうものなのだ。それは、きらきらしていたり、衝撃的だったり、笑えたり……ポジティブな感覚を生み出すから。

でも、その影で誰かが悲しんでいたり、大事なものを見失ったしわ寄せみたいなものができやすい。最初は「毎日のコーディネート」を自分の趣味の記録代わりに投稿していたのに、いつの間にか反響が来たり、いいねやフォロワーが増えたことで「あの服も買わなくちゃ」「この靴はいち早く取り入れなきゃ」「もっとブランドの幅を広げなきゃ」と必死になって、消耗してしまう人もいる。結局はキラキラした投稿、人気の投稿の影にいる自分が、泣いているのと同じ。

こういう「表」と「裏」があるのが、SNSの怖いところ。特に、写真は誰でも手っ取り早く投稿ができるから、特にこの裏表の差が出てしまいやすいものなのではないだろうか。

インスタ映えの裏も、映える人であってほしい

主体は常に、自分の中にあるべきだ。例え、自分のやっていることがインスタ映えでなくても、流行ものでなくても、その物や作業を好きだ、楽しいと思えるものを大切にしよう。インスタ映えする写真を撮るのなら、その裏にしわ寄せがきていないかどうか、振り返ることもときどきは必要だ。

インスタ映えを追うことは、広く浅くを繰り返していくことに過ぎないと筆者は考えている。インスタ映えという言葉は嫌いでも、インスタや他のSNSを使って自分の個性や得意を発信するのは、これからの個の時代を生きるための重要なスキルである。ただ、自分の好きなものや発信したいことを突き詰める投稿と、流行の表面を撫でているような投稿は全く別なのだ。誰もが気軽にSNSで発信できる時代。多くの人が同じような投稿をしている、そのなかのいち「いいね」にはそれほど価値はない。

インスタ映えに信念をもっているなら大いに結構だ。その裏で、自分がどのような行いをしているのか、またその影で泣いている人がいないか一度考えてみてほしい。/Kandouya編集部

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