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ひねくれ者は嫌われる……それ誤解かも?愛すべきひねくれ者の原因と特徴

ひねくれ者で、何が悪い。我らがひねくれていることで、誰かに迷惑をかけているのだろうか。

「ひねくれ者とは、人の言葉を素直に受け止められない人のことです」「ひねくれている人に共通する6つの特徴とは?」

よくもそんな、簡単な言葉でまとめてくれたなぁ。ひねくれ者って、性格が悪くて空気が読めなくてただただ迷惑な存在だって、批判してくるような記事ばかりだ。やっぱり我らがひねくれ者は、どこまでも人から「理解できない厄介な存在」でいなければいけないのかもしれない。

それでも私は、すべての愛すべきひねくれ者に、斜め45度から静かにメッセージを送りたい。

「ひねくれ者」がなぜひねくれたのか、なぜ嫌われるのか?

ひねくれ者がひねくれてしまったのは、真正面からぶち当たると死ぬからだ。

真正面から戦ったり、真っ向から対立したりしたら、袋叩きに合うくらいの批判や中傷を受けるからだと思っている。あくまでも、これはイメージに過ぎないので、実際は陰でヒソヒソ言われたり、後ろ指さされたり、軽く無視されたりするようなことも、同じ部類に入ると思う。

世の中を少し見下して、ひねくれたものの見方をする人のことを『斜に構える』という言葉で表現する場合もある。

あなたが生きていて、斜めに身を構えそうになる状況を想像してみよう。それは、誰かが攻撃してくることを予測するときだ。真っ向から勝負したら負ける、傷つく。だからひねくれて、斜め45度の角度から様子を伺うしかない。

それを「カッコつけている」とか「人をバカにしている」と勘違いされてしまうのが、お決まりのパターンでもある。

でも、愛すべきひねくれ者は、そんな自分をカッコいいと思っていないし、自分に酔ってなんかいない。自分が好きでナルシストで自信たっぷりだったら、とっくに真正面から向き合って応戦しているに決まっている。

《優しい》愛すべきひねくれ者の特徴とは?

ひねくれ者にも、いろいろな人がいる。時には単純に性格が悪い人のことを「ひねくれ者」などという人もいる。でも私はそれを真っ向方から否定したい。ここでは、愛すべきひねくれ者の特徴をあげてみよう。

人の痛みがよくわかる

ひねくれ者は、人生のどこかで傷ついた経験がある人だ。傷ついた経験、理解されなかった経験、傷口に塩を塗られるような経験……いろいろな悲しみを経験しているだろう。

それは、本人が自覚している場合もあれば、何の経験が今のひねくれに繋がっているのか、はっきりしないこともある。でも、いずれにせよ「できない人の気持ち」や「傷ついた人の気持ち」をわかっている、優しさが根底にある。

本質を見抜いている

ちゃんとひねくれている人は、本質を見抜く力がある。例えば、人の表情や発言の裏側の本音や、心理に気づいていることも少なくない。表向きだけ取り繕って、実は腹黒い人の心もすぐに見抜いてしまうだろう。誰もが「いい!」「素敵!」と口を揃えて言うものを、まったくいいと感じないこともある。それは、周囲に同調することや人に流されることで痛い目にあう危険性があることを知っているから。物事の本質を見抜く人は、ときどき「いじわるな人」「批判的な人」として見られる。本当のことを言っているだけなのに「めんどくさいやつ」として認知されてしまう。

アピールが下手

ひねくれている人は、アピールするのが苦手だ。自分を見てほしいけど、見てほしくない……注目されるべき状況でも、注目されると逃げたくなる。ひねくれ者には、そんな複雑な心がある。

ときどき、見てほしいのにそれを素直に表現できず「かまってちゃん」として扱われてしまう人もいるが、これはちょっともったいない。かまって欲しいと欲するのではなく「さりげなく置いておくから、暇で暇でしょうがないときでいいので見てみてください」くらいの気持ちが、ひねくれ者にはちょうど良いスタンスだろう。

ユーモアのセンスが独特

ひねくれて斜に構えている人は、ユーモアのセンスが独特だ。お笑い芸人でいえば、小藪一豊、バカリズム、さまぁ~ず大竹、オードリー若林といったところだろうか。(筆者はお笑いには詳しくないし若干メンツが古いのはご容赦願いたい。)

「これなら、笑うだろ!」という真っ向勝負ではなく「こっちから見ると、けっこうジワジワくるよ」という目線でネタやトークをかます。だから、一般的には「斜に構えているだけで不愉快」「笑いの芸がない」などと、ひどい批判されることがある。

でも、わかる人にはわかる。むしろ、こういう斜め45度からの笑いなら、おもしろいと感じるという人も少なくないだろう。

音楽や芸術のセンスが独特

よく、斜に構えている人は流行の音楽や映画を批判的に見るという点を指摘している人がいる。でも、なぜ流行のものを「つまらない」というのか、その理由はただ一つ。「もっと難しくて美しいものを知っているから」だ。

例えば、流行の映画の話題で複数人が盛り上がっている最中に「あんなのつまんねぇよ!」って言うのなら、それはひねくれ者じゃなくて地雷を踏む人だ。ひねくれ者とは、そういう破壊的なことをする人のことではない。

「もっと、流行しているもののいいところを見つけたり、肯定できる部分を探したりばいいのでは?」という意見も目にしたのだが、はっきり言ってそんなことをしている暇はない。世の中には、一生かかっても知り得ないくらいに、難しくて素晴らしい芸術やカルチャーがたくさんあるのだから。

時と場をわきまえてひねくれる

愛すべきひねくれ者、としていちばん大事なのはこれだ。

ひねくれたり、斜に構えるためには「時と場をわきまえなければならない」ということだ。例えば、さまざまな価値観の人が集まる職場や、年代もバラバラの保護者関係、知り合ったばかりでさほど親しくない人とのやりとり……

こんなところで、さっそくひねくれ感を出してしまう人は、斜に構えた自分に酔っている「偽りのひねくれ者」である。TPOをわきまえないでひねくれるのは、ただのかまってちゃんだし確かに見ていて不愉快だ。

愛すべきひねくれ者は「他人からなるべく注目されないように」「批判を受けないように」と日々必死だ。だから、いつも真っ向勝負ができず、人のいるところではそれなりに「まっすぐな、普通の人間のふり」をしている。

愛すべきひねくれ者と、偽りのひねくれ者の違いとは?

偽りのひねくれ者……それは、ひねくれている自分を「自分は他人と違う、スゴイヤツ」だと遠まわしにアピールしている人のことだ。愛すべきひねくれ者たちからすると、この偽りのひねくれ者の存在は厄介だ。

  • 自分は人とは違うんだ
  • 人と違う自分かっこいい
  • 自分は人より優れている

こういった、自己肯定感が変に高いうぬぼれのようなものがある人は、偽りのひねくれ者だ。

最初に言ったけれど、本当のひねくれ者は「斜に構えないと、痛すぎて死にそうだった」人なんだ。誰よりも自分に自信がなくて、謙虚でいることしかできない。自分から謙虚さをとったら、何も残らないのに、さりげなく「自分ってスゴイ」をアピールしてしまった日には、もう次の日から何もない空っぽの自分になってしまいそうなんだ。

……というのは半分想像だし大げさかもしれないが、愛すべきひねくれ者は決して「自分をかっこいい」なんて思っていないし、思っていたとしてもそれを人にアピールしようだなんて思えない。だって、正面から否定されたらもう二度と立ち上がれないかもしれないのだから。

ひねくれ者はめんどくさくて陰湿で嫌な奴って、ひとくくりにしないでくれよ

ひねくれ者にも、いろいろいるのは確かだ。単純に褒められたり注目されたりするのが嫌いなだけの人もいれば、人の好意を素直に受け止められない、素直に心を開けない……いろいろなタイプがいる。でも、そんなのひねくれ者に限ったことではない。

「いい人」にだって色々なタイプがいるだろう。いい人だけど、ちょっとノリがめんどくさい人。いい人だけど恋人には絶対したくない人、いい人だけど本音は何を考えているかわからない人。

ひねくれ者だって同じだろう?ひねくれているけどギャグのセンスが面白い人。ひねくれ者だけど目の奥が優しい人。ひねくれ者だし、一緒にいると不快な人。色んな人がいるんだ。それを「ひねくれ者は嫌われるヤツ」と一緒くたにしてほしくない。

明るくて、素直で、何でもポジティブに捉えて生きられるものなら、最初からそうしている。ひねくれ者自身がそういう人に憧れている。普通の一般的な、アベレージに憧れているんだ。でも、そうしていたら耐えられないくらい弱い人がたくさんいる。そんな人に、少しくらい斜め45度の傾きを与えてあげたって、いいのではないだろうか。/夏野 新

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