人には忘れられない過去の痛みや傷、それに伴う憎しみや恨みがあります。
全く何もないという人のほうが珍しいはずです。大小に関わらず、思い出すとズキズキするような傷跡を抱えながら、生きています。
でも不思議なもので、時間の経過やそのあとの人生経験によって、「もう許せるかもしれない」と思うこともあるもの。
ですが、本当にそうですか?
今回は「過去の痛みや恨み、憎しみの感情」との向き合い方を見ていきます。
[ad]
憎しみの感情を許すことだけが、成長の証ではない
たとえば、あなたを傷つけた人、少なからず人生に良くない意味で影響を与えた人。
今となっては思い出すたびに涙を流すほどではなくなったけれど、忘れられない嫌な思い出。
「ずっと許せないから、忘れられないから、自分はあの頃から成長していないのかな」
そう感じてしまう人もいるでしょう。しかし、そんなことはありませんよ。
痛みや憎しみを抱えて生きてきたその重み
つらい過去や感情を背負ったまま生きていくことは、重いダンベルを足にくくりつけて階段を登っているのと同じです。
同じ人生の階段でも、オモリがあるのとないのでは、全く違うものになります。
時にはそれが邪魔で仕方ないこともあったでしょう。時には外れかかった重りの捨て方がわからなかったときもあったでしょう。
その重りのせいで、人よりも遅れてからしか、新しい階段を登り始めることができなかったかもしれません。
それでも人より重いものを背負ったあなただからこそ、上を目指すことの大変さ、一歩一歩の喜びを何倍も知っているのです。
許せなくても見つめているだけで凄い
自分の中の黒い感情や、嫌なできごとを直視するのは、とても疲れます。
できればなかったことにしたい、見ないようにしよう、閉じ込めてしまおう……。それだってごく自然な思いです。
しかし、あなたは今、「自分の中の憎しみや辛さ」を見つめています。そして、自分のことを一生懸命、客観視しようと向き合っています。
その時点で凄いことなのです。少なくとも、過去に傷ついてどうしようもなくつらかった時から見れば、大きく前進しているし、強くなっています。
人を憎んでしまう自分を責めなくていい
心の奥では「あの時のあの出来事さえなければ…」と思ってしまう自分がいるのに、そんな自分にも嫌気が差してしまう。こんなこともあるでしょう。でも、その憎しみは消えなくて当たり前です。
その出来事がきっかけで人生の歩み方が変わってしまったり、人とのコミュニケーションの取り方が難しくなってしまったり、与えた影響の大きさを思えば、消えるはずもないのです。むしろ、消えない感情を理解しながら、時折向き合っている自分を、褒めてもいいのではないでしょうか。
人を憎んだり恨んだりすること=人間としての悪、と思う人もたくさんいますが、それによって苦しんでいるのはほかでもないあなた自身であり、無関係な人に迷惑をかけないようにしているだけで成長しているのです。
憎しみが消えない、と感じて苦しいときはどうすればいいか
憎しみも苦しみもすべてひっくるめて「あなた」だ
人には言えない心の中の感情や本心があります。それを言えないのは、物事の善悪をちゃんとわかっているし、憎いと思う対象の人物だって100%悪人ではない…とわかっている(そう思いたい)あなたがいるから。
それでいいのです。きれいな人間でなくたって構いません。心の中のことは、誰に縛られる必要もないのです。どんな感情もすべて含めて今のあなただ、そんな風に自分を許してあげてください。自分を追い込んだり傷つけないでください。
一生憎しみは消えないかもしれないけど、変化はしている
嫌なことが起こった当時の感情のままで、はらわたの煮えくり返る勢いのままで今を生きているわけではないと思います。思い出すと、じわじわと蘇ってきて、どうしようもない気持ちになって苦しい。けれど、人は少しずつ変化しています。
この先の事はわかりません。わからなくて見えなくていいのです。許せるかもしれないし、一生許せないかもしれない。どちらだったとしても、そのままでいいのです。時には「相手も色々あったのかもしれない」「なんだか許したい気持ちになってきた」と思う日もあるでしょう。
かと思いきや、やっぱり「無理」「許せない、嫌い」と強く感じる日もあるでしょう。そうして揺れ動きながら、「憎い」「嫌い」という感情と共に生きていくのです。あなたはこれからもまだ成長し、変化します。その時、その時のありのままの感情でいましょう。否定しなくてもいいんです。
「許したい」と強く感じるのなら
- 過去に自分をひどく裏切った友達
- 最悪の形で別れた元恋人、夫や妻
- 人間不信の原因となった「実の親」
- いじめやそれに近いことをされた人物
- なんらかのトラウマを植え付けられてしまったきっかけの人物
など、過去に自分にとって「痛みを与えた」「苦しみを植え付けた」人を許したい。そう思っても、急にその人物と接近したり、直接会って話そうとすることはおすすめしません。なぜかというと、フラッシュバックの恐れがあるからです。
関わりを絶っていたり、会わずにいるときにはなんとなく「もう普通に接したいな」と感じていても、近づくと傷口が一気に広がったり、一瞬で恐怖や嫌悪感が蘇って余計に苦しくなるかもしれません。
そして「やっぱり憎い」と思ってしまう自分を責めたり、落ち込んで暗い気持ちになってしまうこともあります。「許したい」の先に「関わりたい」という気持ちがないうちは、「許したい」という思いを大事に、何かのきっかけができるまで待つことも大切ですよ。
「許そう」は自分へのなぐさめでもある
筆者にも一人だけ「許せない」人物がいます。関係を絶ち、何年も過ぎて、最近になってどうしても連絡を取り合わなければならない状況になりました。離れている間、「もしかしたらもう平気かも」「許せるかも」なんて思っている自分もいたのです。
しかし、実際に会ってみると、自分に対して淡い期待を抱いていたその気持ちは粉々になりました。やはり、トラウマは消えないのです。自分でも驚くほど嫌悪感が戻り、吐き気がして涙が止まらなくなりました。
「許そう」という気持ちは、「こんなにひどいことをされたのに、許してあげられる自分」になりたかったのかもしれません。そんな自分になることで、自分を慰めたかったのでしょう。それは、許そうと思っているのではない、と気づきました。だからあなたも、そんな風に自分を慰めようとして、より傷つくような思いをしてほしくないのです。
憎しみは「消えるもの」ではなく「形を変えるもの」
誰かへの憎しみは、消えることはありません。消えることはないけれど、自分の成長や時間、経験と共に、形を変えていくものです。抱えているのが苦しくて、もう手放したいと思うこともたくさんあるでしょう。しかし、そのために無理をして「許そう」と思わなくても構いません。
いつか何かのきっかけで、あなたが憎くて許せなかった人と向き合う必要のある瞬間が訪れるかもしれません。本当の意味で消化するのは、そうした自然の流れが、意識していなくても訪れた時だけ。そう考えて、無理なく過ごしていきましょう。
人に対して憎しみや恨みを持つことは、悪ではありません。「いい人」にならなくてもあなたは十分頑張っているのだから。/kandouya編集部
https://kandouya.net/mentalhealth/5704/