「類は友を呼ぶ」とはよく言ったものだ。たしかにそうかもしれない。
筆者はネガティブな人が大好きである。というか、むしろネガティブな人しか周りにいない。「どんな時も強く明るくたくましく!今日も一日頑張って行きましょうー!」なんて言う人は、私の周りにはいない。
「生きているだけで疲れるけど、なんとかやりますか」という人たちばかりだ。それでも私はそれで「気が重くなる」とか、「病む」とか、全く思わないし、自分もネガティブだけれどそのことに否定的な気持ちなどない。
そこで今回は、私がネガティブな人に囲まれて、それでもネガティブな人が大好きな理由を書いてみたいと思う。
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ネガティブな人のこんなところが好きだ
いつだって自分に、問いかけている。
ネガティブな人は、どんな時も自分に問いかけている。「これで大丈夫か」「迷惑をかけていないか」「自分でいいのだろうか」。周りから見れば「十分だって!いけ!」と思うようなことでも、どこまでも自信が持てない。けれど、そんな姿を見てイライラなんてしないし、むしろ「愛くるしいなあ」とさえ思う。自信満々なのも素晴らしいけれど、”自分に問いかける声”をしっかりと持っているネガティブな人を、応援したい気持ちでいっぱいなのだ。
優しさを恐れつつも、嬉しそうだ。
ネガティブゆえに、人からの善意や優しさも「えっ…?なんで自分なんかにこんなに優しい?裏があるのでは…」と勘繰ることもあるネガティブな人。私はそんな人を「卑屈」「絡みづらい」「めんどくさい」なんて思わない。それに、疑ってはいるけれど、やっぱり嬉しそうなところにも「ピュアさ」を感じてしまう。嬉しいのに怖いなんて、とてもカワイイ。
昨日は笑ってたのに、今日は何もできない。
ネガティブな人は情緒的に不安定なことも多々ある。昨日まではそれなりにご機嫌だったのに、今日はもう「この世界すべて無理。何もできない。動きたくない。消えたい」なんて言って震えていたりする。
よくよく話を聞いてみると、通常では「そんなに気にしなくても…」と思うような失敗だったり、好きな人がちょっと冷たい気がしたという思い込みだったり、特に理由なんてなかったりもする。頭にきのこが生えるほどいじけているネガティブな人は、人間臭くて、不器用で、手を差し伸べてみたくなる。
人の痛みを知っているから、寄り添い方をわかっている。
ネガティブな人はネガティブな人の気持ちがよくわかる。だから、落ち込んでいる人に対して強引に元気づけるようなやり方をしない。さりげなく、でも今一番してほしいであろう「距離感」をなぜか抜群に掴んでいるものだ。私はそんなネガティブな人とネガティブな人の掛け合わせによって、結局はプラスになっていると思うことがしばしばある。
これはある意味、ポジティブな人にはできないワザだなあ…と感心することだってあるくらいだから、好きだ。
考えすぎてあまりにも謙虚である。
自己肯定感の低いネガティブな人だからこそ、何かしてもらえたり嬉しいことがあると、子供のように喜んで涙したりする姿をたくさん見てきた。ちょっとのことでも「自分のせいなのではないか」と考え、信じられる人に対してはものすごく感謝している。
その「ありがとう」の重みは、同じネガティブ素質の人にしかわからないかもしれない。「いちいち、うじうじと悩むからうっとうしい」なんて思ったことはないし、謙虚すぎてこちらが頭を下げたくなる思いである。(筆者もネガティブだから…)
ネガティブな人が好き。言わないだけで結構いるんじゃないですか?
ネガティブ批判する人ばかりじゃないよ
世の中的に言えば、堂々とネガティブな友達が多いんですとか、自分はネガティブなんですなんて言えないかもしれない。言わない方がいいといわんばかりの風潮かもしれない。しかし、ネガティブ批判をする人ばかりじゃないよ!と伝えたい。
確かに色々なタイプがいて、ネガティブでも陰湿とか、攻撃的な人もいるだろう。逆に言うと、ポジティブでも謙虚な人はたくさんいるし、人との距離感をわきまえている人もたくさんいる。
だったら、ネガティブだからダメ。ポジティブでいたほうがいい。という考え方は必要ないのでは?と思う。「その人」そのものを見つめてもいないのに、ネガティブ組とポジティブ組に分けたり、そこで人間的な魅力を決定づけることが、とても無意味思えるのだ。
ネガティブにはネガティブが集まる、は本当
冒頭でも触れたように、類は友を呼ぶ。これはそこそこあっているように思う。筆者もネガティブ気質だから、自然とそういう類いの人に好かれやすいし、居心地の良さを感じている。しかしこれはちょっと”表面的”な話。
今の時代に多いのは「隠れネガティブ」なのだ。一見、明るくて前向き、ポジティブな人にしか見えないのに、実は心の奥でネガティブを飼いならしている人がとても多い印象だ。だから、私の周りにいるのは「ネガティブな人」だけれど、「ぱっと見はポジティブなネガティブ」も多数いることをお伝えしておきたい。
本質的なところで見ての「類は友を呼ぶ」
あなたはネガティブ?ポジティブ?自覚しているのはどちらだろう。「私はポジティブだし、ポジティブな人と付き合いたいのに、ネガティブな人ばかり寄ってくるんだよね~」なんて人はいないだろうか。そんなあなたは、本質的に「ネガティブな部分」を持っていて、隠しているつもりでも隠れていないのかもしれない。
友達でも恋愛でも、求めている相手とは違う人ばかり寄ってくるなら、あなたにも本質的な部分で見ての向き合い方をしてみるといい。ネガティブな人にイラっとしながらも、結局関わってしまって断ち切れないで悩む人は多い。それはその人の持つ「情の深さ」や「ネガティブな部分」に引き寄せられているのかもしれない。
「類は友を呼ぶ」なんて嘘。と思わずに、見方を変えてみると成長にもつながる可能性があるかもしれない。
ネガティブな人が大好き、なんて言う奴もいるから自分を批判しないで
あなたは「自分がネガティブで嫌だ」と思ったことがある人かもしれない。本当はネガティブな人が好きだけど、それって変なの?と思って他人には言わないでいる人かもしれない。繰り返すようだが、私はネガティブな人が大好きだ。
生きていることにとても一生懸命で、とても人間らしく思える。うまくやれないかもしれないけれど、人の痛み苦しみがわからない人よりもずっといいと思える。ネガティブな人も隠れネガティブな人も、堂々とそれが自分だと言える場所が増えてほしい。
もっと言うなら、ネガティブです。ポジティブです。と人を分けないでほしい。こんな奴もここにいるのだから、あなたがネガティブで悩んでいるとしたら、全然「自分を否定しないでいいよ」と言える。それでも「私なんてクズです……」とでも返してきそうな、ネガティブな人がこれからも、私は好きだ。/kandouya編集部