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幸せが怖い理由は「失うと動けなくなるから」

あなたは、幸せが怖いなぁと思ったことはないだろうか。幸せだなと感じたとき、その気持ちはウソじゃないはずなのに、手放しで喜んだり、浸ったりできない…。

こういう気持ちは、いつもこの気持ちと闘ってます!とか、葛藤してます!という感じではない。

そうじゃなくて、まるで焼きたてのパンにバターが染みていくように、じわじわと胸を突くんだ。

最高の焼き具合のパンにバターがのって、十分に染みたのなら、あとは美味しく食べて大満足すればいい。なのに、結局食べずに終わってしまう、そんな自分をずっと感じているんだよね。

幸せが怖い理由は、失うと動けなくなるから

Photo by Rosalind Chang on Unsplash

私は「幸せを感じると怖くなる」という気持ちと、かれこれもう20年は共に生きてきた。「病んでるから」「曲がりものだから」「あまのじゃくだから」……そう笑われて終わるのかな。だけど、ちゃんとそこには理由があるのだ。

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幸せだからこそ、失うのが怖くなる

子供の頃から、自分は幸せになってはいけない人間なんだと、思っている節がある。もちろん初めからそう思っていたわけではなくて、ことごとく幸せがくつがえされてきた経験によるものだ。自分で望んだわけじゃないんだ。今、これを読んでくれているあなただって、きっとそうだよね?

いつしか戦い方や苦難に耐える方法ばかり身にまとってきたように思う。だから、どちらかというと、苦しい状況や苦労のある状況に立ち向かっている自分のほうに、慣れているともいえる。

幸せ=最高潮。ならば、あとは「失う」「壊れる」「儚いものだ」という記憶が、自分の脳裏をかすめて離れない。我ながらどうしようもない奴だなって思っている。でも、幸せに浸るよりも前に、失う恐怖にたじろいでしまうんだ。

「こんな幸せでごめんなさい」と後ろめたい気持ち

「ああ、幸せだな」と感じること自体は、自分で否定していない。わかっているんだ。でも、誰の得にもならないし、そんなこと思う必要もないと理解していながら、後ろめたい気持ちにもなる。

誰に謝りたいんだろう。この申し訳なさのような感情。「自分なんかが」と自分の価値を低く見積もっているのかもしれない。毒親のせいか?これまでの過去の出来事のせいか?自分の弱さなのか……。ずっと考えてきたんだ。だけどこの罪悪感は、どう頑張っても消えることはない。

でもね、時と年齢を重ねて思うよ。「幸せを感じてはいけない人間なんているわけない」と。あなたもきっと、心の中にいる小さなころのあなたが、まだ少し怯えているのではないか。「ごめんなさい…」そう言わなくちゃ、幸せを受け取ってはいけないような気がしているんじゃないかなって思う。

「明日、こうなったらどうしよう」と想像する力が強い

幸せを強く感じるものは、結果的に全部が儚いのだ。儚いものに、人は幸せを感じる。たとえば大切な人が自分の事を「愛している」と強く抱きしめてくれる時。「大好きだよ」と無邪気に笑ってくれる時。「もしかしたらこれは夢かもしれない」と思うものに、幸せを感じるのだと思う。

だからその儚くて今にもどこかへ飛んで行ってしまいそうなものは、明日になったらなくなっているのではないか?と感じてしまう。「明日、何か不幸なことが起こるかもしれない」「この幸せは、よくないことが起こる前触れなんじゃないか」なんて、自分の運命を呪う。

たとえば好きなアーティストのためにそれなりのお金を払ってチケットを買って、遠くまで足を運んでライブを見に行くのはなぜか。じっと見ていると、あまりにも素敵すぎて「明日にはいなくなってしまいそう」という刹那的なものを感じさせるからではないかって思うんだ。

そんな想像力や感受性の強さも、「幸せが怖い理由」だと私は考えている。

HSP「マインズ・アイ」の想像力とは?まるでそこにあるかのように

幸せが怖いあなたに、知って欲しい大切なこと

Photo by Jean Gerber on Unsplash

幸せが怖いという感情を抱えるあなたに、同じ気持ちを知っている私が伝えたいことがあるんだ。人の事言えないけれど、ずっとそうして生きてきて、ちょっとだけ見えた大切なことがある。

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もしその幸せがくつがえされたとしても、受け取っておいたほうがいい

たとえば、裏切りや絶望に慣れているような人は、幸せは幸せなんだけど、いつまでも続くわけがないってはなから考えてしまう人も多いと思う。だから、なくなってしまったときに自分がボロボロにならないためには、最初から「なくなるもの」って考えておいた方が、傷が浅いんだよね。

その気持ち、痛ましいくらいわかるよ。幸せを真っ向から受け取るのって、本当に怖いよね。

でも、実は一度は受け取っておいたほうが、本当に次に辛いことが起こっても、少しだけ、少しだけだけどね、傷ついたときの痛さが違うんだ。幸せだった時の形は壊れてしまっても、その時の感覚って消えない。消えてないんだよ。

だから怖くても、その感覚を頼りに、ちょっとだけ泣きながら笑ったりもできる。それが、つらい経験が多くて戦うことに慣れた私たちの、強さとも言えるんだよ。

その気持ちは、誰のものでもない

まるで自分は誰かに「幸せですけど、よろしいでしょうか…?」と言っているかのように、お伺いをたてなくてはいけない気持ちになる存在がいるかもしれない。

自分が過去に失敗して傷つけてしまった人、離れてしまった人、毒親や家庭内の人間、別れた過去の恋人、友人。だけどね、あなたが感じている「幸せな気持ち」「幸せな瞬間」は、誰のものでもない、あなただけのものだ。

その自由まで他人や何かに奪われていいわけがないって思うんだよ。そんなに自分を奮い立たせなくたって、もういいよ。そんなに頑張らなくてもいいよ。自分を責める事なんかないよ。自分の気持ち、どうか大切にしてね。

幸せが怖い人は、幸せのありがたさを知っている人

幸せが怖くなるほど頑張ってきた人は、間違いなく「小さな幸せ」を感じられる人だ。大金持ちだとか、ほしいものがなんでも手に入るとか、そんな欲が満たされた幸せなんかじゃない。

「愛されていいのか」「信じてもらっていいのか」「こんなに笑顔でいてもらっていいのか」なんて、何気ないことに感じていたりするんだ。幸せのありがたさを、幸せの尊さを、知っているからだ。

そんな人間でもいいじゃないか。むしろそんな人間の方がいいんじゃないか。私はそう思ってるんだ。実はね、なかなかいない人なのかもしれないって、思ってもいいと思うよ。幸せは消えてしまいやすい、そのことを誰よりも知っている人は、愛する人を、全身全霊で守れるから。

幸せが怖い!でも、そんなあなただから好きな人がきっといる

Photo by Rodolfo Sanches Carvalho on Unsplash

幸せが怖いと感じて素直に喜べないあなただとしても、それはひねくれ者でもなんでもない。それだけ幸せが大きな大切なものだとわかっているんだ。

ちっぽけなことしか言えない私だけど、今だけでも別にいいから、その幸せ、思う存分味わっておいてほしい。怖いのは、そうなってしまうんだから仕方ないのだ。

どんなに怖いと思っていても、生きていれば「幸せ」と感じる瞬間に出会う。出会えるという事は、あなたが誰かを想ったり大切にできているってことなんだよ。だから自分の価値を下に見ないでね。そんなあなたを好きでいてくれる人が、絶対にいるから。今までも、これからも。

私もまだまだ、いくつ歳を取っても幸せを両手ばなしで喜べる気はしないけれど、ちょっとずつ、怖がらずに受け取っていける人間になりたいって思ってる。あなたも、ゆっくりでいいから、そうしてみてほしい。/kandouya編集部

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