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どうやって頑張らない生き方ができるの?「頑張らない」がかわからない人の心理

昨今、日本の至る所で「頑張らない生き方」「頑張るのをやめる」という、ゆるい生き方や力を抜いて生きるノウハウが広まりつつあります。

ただ、本当に「頑張るのが普通」な人生を送ってきた人にとっては、正直よくわからないという感想をもつのでは。

もしくは、頭では理解できるけど、どうしても頑張ろうとしてしまう、頑張らないことを頑張らなきゃ……みたいな状況に陥るなんてことはありませんか?

「頑張るのをやめるのって難しすぎる……」という、階段の1段目よりも前で足止めを食らってしまっている人に向けてお話をしたいと思います。

頑張らないほうがうまくいくらしい。でも、その理屈がわからない

「頑張らない方がうまくいくんだよ」

「ゆるく力を抜いていこうよ」

確かにそういうゆるいスタンスでいつつ、ほどほどに生活できたり人生を楽しめたりするのがいちばんです。でも、小さなころから頑張るのが当たり前だった人にとっては、それを崩していくのが非常に難しい。

心と体に「頑張り」が染み込んでいるんですね。だから、頑張るのをやめる前に早くもつまづいてしまうのです。

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頑張るとは「自分の気持ちを無視する」こと

頑張るのは、まじめであることや、規則正しく動くこと、周囲に優しくすること、努力することではありません。

「自分の気持ちを無視すること」が、今世の中でいわれている頑張るという概念なのではないでしょうか。

嫌だな、怖いな、つらいな、やりたくないな……というようなことも、何かしらのやるべき理由があり、その理由を優先してしまうので、結果的に「頑張るしかない」という状況になっていませんか?

これは、ポジティブな感情でも同じことがいえると思います。

楽しいな、楽だな、嬉しいな、心地よいな……という感情も「今こんなことしている場合じゃない」とか「他のみんなはちゃんとしてるんだし」というように、ポジティブな気持ちも無視してしまうシーンって、日常の中に数えきれないくらいあるはずなんですよね。

やらなきゃいけないことは、日常の中に山ほどあります。それを全部しなくていいよ、とするのが「頑張らない」というこではなくて「今よりもう少し自分の気持ち聞いてあげたほうがいいかも」という感じが「頑張らない」の最初のステップなのではないかなと思います。

頑張っている方が楽なように感じてしまう

頑張ることが体に染みついている人は、無理して頑張っているときの方が楽に感じることもあります。筆者も「1分1秒も無駄にせず動けた日」は、変な快感のようなものを覚えてしまう傾向がありました。

体の疲れも心のストレスも、好きも嫌いも全部関係ない。自分の気持ちを無視しすぎて、完全にわからなくなっている状態です。日常のルーティンを完璧にこなせたり、予定どおり、理想通りの働きができているときの方が「楽」なように錯覚してしまうのです。結局しばらくすると、疲れて寝込んだり、原因不明の体調不良が起こったり「もう自分ってダメだ」のターンになったりする。

それはそれで必要な小休止なのかもしれませんが、やっぱり息苦しくなるときがくるのは当たり前ですよね。

頑張っている時の自分だけに価値を置いている

頑張らない生き方とは、どうやってやっていいものかわからない人の最大の問題点は「頑張っている時の自分だけに価値を置いている」ことだと考えています。

頑張らないと不安になるというのは「頑張っていない状態の自分には価値がない」と思ってしまうからだと思うんです。

昨今「自己肯定感」という言葉が広く使われるようになりましたが、自己肯定感とは「自分を高く評価すること」ではなくて「どんな自分でもOK」「どんな自分でも大丈夫」と思える感覚のことなんです。

先ほどの筆者の例のように「1秒の狂いもなく日々のルーティンをこなせる自分」のほうが楽だったり、そこに心地よさを感じたりしてしまうのは、その間だけは自分に価値を与えているから。頑張っているときしか「自分、ここにいていいんだ!」と思えないからなのだと感じます。

そして今までずっとそうしてきたのに、突然「頑張らなくてもいい」とか「頑張るのやめよう」と言われると、正直心外だったりもするんです。ますます自分の価値をどこに置けばいいかわからなくなって不安になったり、怒りを感じたりすることもあるかもしれません。

「頑張る」という言葉の由来から見えてくるもの

そもそも、頑張るというのは「眼(がん)を張る」が語源です。

目を離さないこと、見張り、目をつけるといった状態が由来になっています。それが、一定の場所から動かずに見張っている→頑張る、という具合に転じています。

つまり、変化しないことを意味していますね。

しかし人の生活も環境も、好き嫌いも、当然感情も、全部日々変化しています。とくに感情なんて、一瞬ごとに変化して移ろいゆくものです。それを無視して、一点に集中して見張るような状態。

慣性の法則のように、ずっと同じ状態を続けるのは一見楽なように錯覚しますが、いつかはエネルギーが失われて止まります。結果「頑張りすぎて疲れる」ということに繋がっていくのでしょう。

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頑張らない生き方とは、どうやってやればいい?

「頑張らない」という生き方の理屈がわからない人は、まず自分の感情や好き嫌いなど、気持ちに着目してみるといいと思います。

今の生活のすべてのがまんを投げ捨てることなんてできませんよね。でも、ちょっとした嫌なこと・不快なこと・何度やっても上手くならないこと・変われない部分……そんな部分をもっとよく見てほしいと思います。

自分の感じたことを無視しない。あれこれ理由をつけて、今の状態を維持しない。

「あぁ、やっぱ私はこれ嫌いだ!」「前からちょっと思ってたけど、もうこれできない!」みたいな感じで、ちょっとずつ自分の中の感情にOKを出してみましょう。

「頑張らない」を頑張ると、また苦しくなる

ここで注意したいのは「あぁ、自分また頑張りすぎのクセが出てる」と落ち込んだり「なんでわたしってこんなにくそ真面目なんだろう」と自分にダメ出しをしたりしないことです。

「私頑張っちゃってる?」「これって頑張ってることになるのかな?」なんて考えるのも、極力やめましょう。頑張らないことを頑張るという状態になってしまうと、さらに苦しくなってしまうものです。

大事なのは「どんな自分でもOK」とする、真の自己肯定感の認識です。頑張っちゃう自分でもいいし、疲れたら突然ドタキャンしちゃう自分でもいい。ストレスを溜めて甘いものやお酒に逃げる自分でも、とりあえずはOK。

どんな自分でも大丈夫だから、今より少しは自分の気持ちに目を向けてあげよう、というくらいのゆるさが大事だと考えています。

頑張らない人生っていい。でも、頑張ってきた自分ももっといい。

頑張らないで生きるのは、とても自然体ですばらしい生き方です。筆者もいろいろ偉そうに述べた割に、まだまだできていません。

ただ、頑張らない生き方もすごくいいけれど、頑張ってきた今までの自分ももっといいと思います。あなたの頑張りによって、あなた自身が得たものはたくさんあると思います。

今までの自分は間違っていたのではありません。自然体で生きることが大事だと気づくために頑張ってきただけですから、今までの生き方や努力、がまんや忍耐、頑張りをちゃんをと受け入れることもしてあげてほしいなと私は感じています。/Kandouya編集部

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