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不安はなくならない。ワクワクする欲求の手前

不安をなくしたい。すぐに不安になる自分が嫌。不安さえ感じなければ進めるのに。

私はずっとそう思っていました。不安という言葉はとても広い意味をもっていて、その中には「怖い」「迷う」「わからない」「焦り」などいろいろな種類があると思います。

ここ数年、いろいろな場所で「不安を手放そう」「不安になっていては行動できない」なんていう言葉を聞くので、私も不安をなくすためにいろいろと試行錯誤をしてきたつもりでした。

今これを読んでいるあなたも、不安の中にいるかもしれませんね。

でも結局「不安をもったまま、欲求に従って進む」のが、もっとも幸せに近い行動であると私は今思っています。不安は手放してはいけないとすら思っています。

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自分の心地よさやワクワク感に従うことと、不安の間

自分の人生を生きるためには「自分の心地よさやワクワク感に従おう」「自分の心の声に耳を傾ける」というような発信に触れる中で、その理屈が理解できないと感じている人も多いのではないでしょうか。

自分の心地よさとか、ワクワク感。それって、楽しい、嬉しい、リラックス、嫌なことはやめる……なんていうように、さまざまな心地よさ、ワクワクを思い浮かべると思うんですね。

でも、ただワクワク、ふわふわして生きることが本当にいいことなわけがないって、心のどこかで思っているところがあると思うのです。そんなことしていても、この世界では生きられないって思っているはずなんですよね。

そこで私は「ワクワク感があるのは、今の一歩先」だ思うのが自然なんだと感じました。

欲求の手前には必ず壁がある

ワクワクすること、それは自分が求めているものだったり、夢だったりというポジティブな目標です。でも、それは常に一歩先にあるものだと考えるほうがいいと思うのですね。

そして、そのワクワクの手前には必ず不安があるものです。

きっと、今まで生きてきて何かを決断するとき、行動するとき、勇気をだすときのことを思い返してみると、そういう構図になっていると思うんです。

どんな小さな欲求も、必ず一歩先にあるはずです。

欲求は、今持っていないもの、今ここにはないものです。ああ、アイスが食べたいけれど、買い置きがない。コンビニまでは歩いて10分か。雨だし、今パジャマだし、こんな時間だし。とても平凡な日常のワンシーンにも「不安」「迷い」「怖さ」というものはあります。

でも、食べたいという欲求、ワクワクする気持ち、食べたときの快感を想像するとますます食べたくなる。

コンビニにアイスを買いに行く例えは、ただめんどくさいだけなんじゃない?と思うかもしれないんですが、規模の大きさや、対象のもの、感覚が違うだけで、めんどくさいも不安も怖さも、全部同じネガティブな「不安」だと思うんですよね。

ワクワクする欲求と、不安は常にワンセットなんです。光と闇、朝と夜、陰と陽、ポジティブとネガティブ。

不安を「悪いもの」とする社会

不安を持って生きている人が、私は好きです。そして不安だけど、どうにかしたいともがいている人がもっと好きです。

不安を持たない人などいません。でも人によっては、不安を感じる頻度が高かったり、ささいなことにも不安になってしまう人がいますよね。元々もっている気質だったり、過去にあった出来事が原因だったり、そのた大勢の感覚や価値観に合わない人だったり。いろいろなコントラストがあります。そして、それがときには「不安障害」「神経症」というような病気とされてしまうことがあるんですね。それってなんか、おかしいなぁって私は思います。

ただ、不安によって精神的に病んでしまっている人に「そんなの病気じゃないから頑張れよ」と言いたいんじゃなんですよ。

あなたがおかしいんじゃなくて、周りがおかしいという真実もあるんです。あなたはただ、ここに生まれただけで一生けん命生きてきたはずです。でも、それを捻じ曲げた原因は外にあるんです。

今まではやっぱり情報が少なかったので「人間はみんなだいたい同じ」「子どもはだいたいこういうもの」みたいに思われていました。でも、時代が変化してきて「それぞれの個性」とか「多様性」とか、言うようになってきたじゃないですか。

だから、今身体や心に支障をきたすほどの不安があっても、それは今までの「人間(子ども)はだいたい同じでしょ」というとんでもない誤解の中で自分を捻じ曲げて、適応させるために麻痺させながら生きてきたということだと私は本気で思ってしまっています。少なくとも私の中ではそれが真実です。

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不安をもっていると、嫌でも目を向けなければいけなくなる

不安はもったまま生きていていいと思います。でも、もっている限りは不安と常に向き合っていないといけないんですよね。

アイスを買いに行くにも、今は深夜12時。着替えて雨の中傘をさして出かけるのか。それもなんだか、ムダな労力かもしれないな。自分ってほんとめんどくさがりだな。いや、甘いものがないといられないのが悪いのかな。こうやっていつも甘いものに頼ってしまってダメだな。

たぶん、迷いとか不安のあるときとか、不安になりやすい人って、無意識にこのくらいの思考が一瞬で湧いて流れていくと思うんですよね。

不安をもっている限り、不安を見つめないといけないわけです。見たくないものとか、目を背けたいものを見なくちゃいけない。それって、人生にはめちゃくちゃ大事なことです。深夜のアイスだって、人に大事なことを伝える怖さだって、仕事をやめる勇気だって、何かを始める前の不安は全部同じだと私は思ってます。

不安から抜け出したいなら、自分の欲求や感情に向き合う

私は、自分って実はかなり欲の強い人間なのかもしれないと気づいたんです。周囲に何を言われても、情緒不安定になりながらも、自分の芯の部分の欲をごまかせないんです。その欲求を達成するために、ずっとあれこれ考えている。これこそが「不安」や「悩み」「繊細さ」という表向きの形です。

欲求って悪いものじゃありません。だって、欲求はワクワクなんですから。お金とか地位とか名誉とか、そういうもろい欲求ではなくて、なんかこう、頭や心のずーっと奥の方にうっすらあるもの。見えにくくて、説明もしにくい。でも無視できない。なぜか引っかかる違和感みたいなものでしょうか。

だから、私は不安はもったままでいいと思っているし、今の不安から抜け出したいのなら不安を直視して、整理して、欲求を満たすほうが楽だと感じています。それは、何かを得るという選択かもしれないし、何かをやめるという選択かもしれない。好きな人に愛を伝えることかもしれないし、人と距離を置くこと、区切りをつけることかもしれない。

だから、私は雨だろうと、深夜だろうと、アイスを買いに行きますよ。/夏野 新

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